黒沢年雄
■黒沢年雄(くろさわ としお)
□肩書き
俳優 歌手
□本名・旧芸名
黒沢年男
□生年
1944(昭和19)02.04(水瓶座/AB型)
□出身地
神奈川県横浜市
□出身校
横浜市立西前小学校
日本大学中学校
日本大学横浜高校
□略歴(満年齢)
66年(22歳)映画「ひき逃げ」出演。
78年(34歳)シングル「時には娼婦のように」がヒット。
80年(36歳)ドラマ「ザ・ハングマン」出演。
※他の主な出演:
映画 「日本のいちばん長い日」「伊豆の踊子」「仁義なき戦い 頂上作戦」
ドラマ「草燃える」「八代将軍吉宗」「ムコ殿2003」
テレビ「踊る!さんま御殿!!」
※他の主なシングル:
「やすらぎ」「酒とバラの日々」
□趣味
読書 美術品収集 写真 アウトドア 海外旅行
バイク テニス ヨット スキューバダイビング
□特技
ゴルフ
□資格・免許
大型自動車免許 大型二輪免許
□サイズ
175㎝ 67㎏
□特記事項
・弟はくろさわ寛
・妻は街田リーヌ
■黒沢年雄
□幼少時代〜
・父親はボイラーマン。
・生まれた時に呼吸をしていなかった。
・4人兄弟の長男。弟が3人いる。
・3歳の時、栄養失調で死にかけた(医者に見放された)。
・子供の頃、直径4mの火の玉を見た。
・子供の頃、友達を笑わせるのが好きな目立ちたがり屋だった。
近所の演芸大会に飛び入り参加した。
・子供の頃、家は裕福ではなかった。
食事がパンの耳だけだった事があった。
瓦礫の山から鉄屑を集めて業者に売った。
夜中に水道管をのこぎりで切って盗んで売った。
・子供の頃、近所の庭から柿を盗んだ。
・小学校時代、好きな女の子と押し入れの中でお医者さんごっこをした。
・小学校時代、将来絶対に映画俳優になると決めた。
同級生のノートに「将来絶対価値が出るから」と頼まれもしないのにサインを書いた。
・中学時代、スポーツカーにはねられて10mふっとんたが、少し失神しただけで無傷だった。
・中学時代、プレスリーの歌を聴いてロック歌手に憧れた。
・中学〜高校時代、野球部。
1年からレギュラー捕手。プロ野球選手を目指していた。
走るのが速かったので盗塁は成功率100%だった(=ネタか?)。
当時は練習中に水を飲むのが御法度だったのでこっそり田んぼの水を飲んだ。
・高校時代、陸上短距離が得意(100m11秒台)でオリンピック出場を勧められたが
お金にならないので断わった。
・高1の時、母親が喉頭がんで他界(享年40)。
・高校時代、一時家出して不良グループに入っていた。
・高3の時、一念発起して優等生について猛勉強してクラスで3番になった。
・学生時代、駅で自主的に乗客整理をしていてあやまって線路に落ちた。
・初めてセックスした時、緊張のせいか延々フィニッシュに至らなくて相手にいやがられた。
■黒沢年雄
□私生活
・好物…たんめん。焼肉。しゃぶしゃぶ。アサリの味噌汁(週1回)。貝類。はんぺん。
アメリカ風のチョコレートパイ。ソフトクリーム。「柳屋」(静岡・掛川)の緑茶。
・ブランチはトースト、サラダ、ゆで卵、コーヒー(10年毎日以上続けている=12.12現在)。
・夕食をたいてい自宅で食べる。
・酒が好き。ほぼ毎晩飲む。ビール、ウイスキー、ワインが好き。
・家でひとりで飲む事が多い。外で大勢で飲む時は率先して座を盛り上げる。
・健康法…八穀米。ウォーキング(毎日寝る前に30分、大股で早足で歩く)。スポーツジム。
・活字中毒。
・毎日ヒゲの手入れをする。
・花粉症。
・胸毛が濃い。
・手足が小さいのがコンプレックス。靴のサイズは24.5㎝。
・大腸ガンの手術を2回受けた(=92年)。
3年間下血が続いていたが痔だと思って病院に行かなかった。
コップ1杯分下血して診察を受けて「あと少し遅れていたら2年後に死んでいた」と言われた。
手術をした医者はもともとテニス仲間だった。
告知された時に「今まで楽して儲けてきた罰が当たったんだ」と思って頭を丸坊主にした。
手術後のリハビリがとても楽しかった。
・肺気胸で肺の1/4を切除する内視鏡手術を受けた(=07年)。
・膀胱がんの内視鏡手術を受けた(=08年)。
・食道がんと胃がんで4回手術を受けた(=13年)。
・食道がんの手術を受けた(=15年)。
・膀胱がんの手術を受けた(=16年)。
・インフルエンザのワクチン注射を受けた事がある。
・全裸で日光浴をして金玉袋をやけどして2〜3日歩けなくなった事がある(20代前半の頃)。
・涙もろい。
・全ての行動を左足からはじめる。
・高所恐怖症。
・ヘビ、クモ、猫、オバケが嫌い。
・電化製品が苦手。
・掃除、皿洗い、ゴミ出しが大好き。
・地震に備えて飲料水や非常食を常備している。
・演歌が嫌い。
・汚すのが嫌なので自宅のトイレではおしっこも座ってする。
・どこのトイレでもトイレットペーパーのはしを三角に折る。
・家の中でもきちんとした格好をする。自分の部屋で着替えてから家族がいる部屋に行く。
・好きなブランド…ゴルチェ(90%はゴルチェ)。
・宇宙からパワーを貰ってスプーン曲げる事ができるらしい。
・犬が大好き。
・ペット…
犬(キャバリア、名前はキャサリン、17歳=07.12現在)。
犬(名前はディライラ=03.09現在)。
・別荘がある所…山梨県南都留郡河口湖町(フィットリゾートクラブ内のマンション)。
・いきつけ…
季節料理「三笑」(富士山麓、採れたての旬の山菜や魚を出してくれる)。
中華「三幸苑」(横浜市中区、開店当初から40年通っている)。
焼肉「吉田」(大阪市天王寺区)。
「瀬里奈」(六本木)。
・毎日外出する。
・愛車はポルシェ(=01.09現在)。
・ドライブをして面白そうな店を見つけるとマメに立ち寄る。
・クレジットカードが嫌い。現金を持ち歩く。
・洋服の買物が大好き。店員に勧められるとなかなか断れずについ買ってしまう。
・横浜が好き。月に2〜3回行く。横浜に行くと落ち着く。お墓参りをして友人と食事をする。
・月、富士山、巨木を見るのが好き(パワーを貰う)。
・カメラを持ち歩く。
・サウナが好き。週に1回は行く。
・ゴルフはシングルプレーヤー(ハンディ9)。
・夏休みは山麓のリゾートクラブでテニス、冬休みは南の島でゴルフをする。
・飛行機が大好き。名古屋でも飛行機で行く。
・若い頃はひとりで海外旅行によく行った。イタリアとスペインが好き。
初めての外国の街でも地図なしで歩ける。
・家族で海外旅行に行く時は、自分はファーストクラス、家族はビジネスかエコノミー。
・長時間飛行機に乗る時は機内で腹筋・腕立てをする(疲れないと眠れない)。
・海外では滅多に日本人に見られない(ラテン系に見られる事が多い)。
・バイクで崖下に10m転落してバイクは大破したが奇蹟的に無傷だった事がある。
・運転していたクルマがスピンして何度も路肩に衝突、
クルマは大破したが自身は奇蹟的に無傷だった事がある。
・空き缶をその辺に捨てる人間は許せない。
・人前で楊子を使わない。
・16年3月に生前葬を行った。
・長女がアメリカ人と結婚した。
・テニス、ゴルフは夫婦共通の趣味。
妻も運動神経が良いので妻に負けないように猛練習する。
・好きなタイプ…ホテルのフロントや会社の受付嬢のようなタイプ。
・女性と別れる時は連絡が来てもひたすら無視してフェードアウトする。
・恥ずかしがり屋なのでセックスの時は必ず部屋を暗くする。
・27歳の時にパリのディオールの店で妻を見かけてひと目惚れして電話番号を渡した。
電話がかかってきたのは半年後だった。
何度もフランスにラブレターを出した。10年交際して結婚した。
・「明日、婚約会見を開くから」とプロポーズした。
・妻がお茶を入れてくれたり料理を作ってくれたりした時に「ありがとう」と言う。
■黒沢年男
□人間関係
・三浦雄一郎…スキーの師匠。
・叶和貴子…デュエット曲「東京砂漠のかたすみで」をリリース。
・酒井和歌子…映画「めぐりあい」で恋人役で共演してキスシーン。
多数の映画で共演。
・原西孝幸(FUJIWARA)…顔が似ているとよく言われる。
・勝新太郎…お茶屋遊びなど豪快な遊び方を教えて貰った。※故人
・石原裕次郎…裕次郎に憧れて俳優を志した。※故人
・高倉健…大腸ガンで入院した時に花を贈って貰った。
・森繁久弥…東宝の新人時代に森繁の草履を暖めて森繁の主演映画に出演。
浪曲、パントマイム、端歌など森繁が持っている芸を全部見せて貰った。
・松嶋菜々子…憧れている芸能人。電話番号を貰う夢を見た。
・くろさわ寛…弟。歌手。
・松坂慶子…交際を噂された。
・街田リーヌ(街子リーヌ)…モデル。76年結婚。ピエール・カルダンの専属モデルだった。
アメリカ・ロサンゼルスの教会で挙式。東京・八芳園で披露宴。
・子供:
長女…裕美。77.09.29誕生。女優。芸名は三井万裕美→黒沢レイラ。
■黒沢年雄
□エピソードなど
・高校卒業後、2年半で30以上の職を転々とした。
クルマ・ベッド・ミシン・避妊具・保険のセールスマン、パチンコ屋の用心棒、
ダンプの運転手(無免許)、キャバレーのドラマー、バーテンなど、
常にいくつかの仕事をかけもちでやっていて睡眠時間は2〜3時間。
面接の時に「給料はいりませんから使って下さい」と売り込んだ。
・サラリーマン時代、野球選手になる夢が破れて乱れた生活を送り、毎日のようにケンカした。
ふたりで15人を相手にして丸太を使って相手をKOした事があった。
・第4期東宝ニュータレントオーディションに合格(=64年)。
目立つ為に最終審査にわざと遅刻して土下座して謝り、
「俺を採らなかったら大損するぞ!」とはったりをかました。
・東宝時代のニックネームは「黒豹」。
・20代なかばで年収は3000万円(90年代の貨幣価値に換算すると約3億円)。
現金100万円を持ち歩き、高級外車に乗って毎晩銀座で豪遊、頻繁にヨーロッパに行った。
・森繁久弥に「役者は遊ばなきゃ駄目だ」と言われた。
・30歳までは稼いだ金は全部遊びに使った。
社長令嬢、政治家の娘などハイソで知的な女性と多数交際、
口説く為に音楽や美術を必死に勉強した。
・34歳で結婚した時の貯金額は200万円。
・態度が悪い若いタレントをセットの裏に呼び出して殴った事が何度もあった。
・追っかけの女性が毎日自宅まで押し掛けてきた事がある。
・東宝から独立して個人事務所を設立(=73年)。
・あがり性だったので生放送の歌番組で歌う時は常に出番前に酒を飲んでいた。
・長女(当時中学生)に「パパは面白いからバラエティに出ればいいのに」
と言われてバラエティに出るようになった。
・98年頃からバラエティ「踊る!さんま御殿!!」に準レギュラー出演。
・長女・黒沢レイラと土曜ワイド劇場で初共演(=99年)。
・芸名を「黒沢年男」から「黒沢年雄」に改名(=00年)。
・ファンから声をかけて貰う時は「トッシー」と呼ばれたい。
・トレードマークの毛糸の帽子は自ら頼んで作って貰うオリジナル。
・フジテレビの月9のドラマに出たいと思い続けていたらオファーが来た。
・自ら設立したインディーズレーベールから自作CDをリリース(=05年)。
・本番が大好き。本番直前の緊張感がたまらない。リハーサルは大嫌い。
・トークショー、講演の仕事を多数やっている。講演で自分の人生を台本なしで語る。
・著書「二流芸能人が、何度がんになっても笑って生きている理由」を出版(=10年)。
・バブル崩壊で負った約8億円の借金を15年に完済。
金利分だけで毎月500万円返済していた。
借金返済の為に都内の自宅を売りに出していると報じられた(=12年)。
凡例:19.01現在=2019年1月現在