■高田純次(たかだ じゅんじ)
□肩書き
俳優 タレント
□本名
高田純次
□所属
劇団東京乾電池(77年〜89年)
□生年
1947(昭和22)01.21(水瓶座/O型)
□出身地
東京都調布市国領
□出身校
調布市立第二小学校
調布市立第三中学校
都立府中高校
東京デザイナー学院グラフィックデザイン科卒業
□略歴
82年(35歳)テレビ「笑っていいとも!」出演。
85年(38歳)テレビ「天才たけしの元気が出るテレビ」出演。
15年(68歳)テレビ「じゅん散歩」出演。
※他の主な出演:
映画 「十手舞」「瀬戸内ムーンライトセレナーデ」「パビリオン山椒魚」
ドラマ「毎度おさわがせします」「無責任社員物語」「税務調査官窓際太郎の事件簿」
テレビ「11PM」「あんグラ」「快傑熟女!心配ご無用」
CM 「中外製薬 グロンサン」「花王 ソフトワンダフル」「エバラ 焼肉のタレ」
□趣味
映画観賞 野球観戦 競馬 クルマ バイク ゴルフ
□特技
イラスト どこでも寝られる 眼球を素早く動かす
□資格
宝石鑑定鑑別士 古物商 大型二輪免許 4級小型船舶
□サイズ
175㎝
■高田純次
□幼少時代〜
・父親は東京ガス勤務のサラリーマン。典型的な「5時まで男」だった。
・兄が小さい時に肺炎で死亡したので実質的には長男。
・弟と妹がいる(いずれも腹違い)。
・4歳の時、実母が病気で他界(享年32)。
見舞いに行って病室で抱きしめてもらった事が唯一の思い出。
・おばあちゃん子だった。
・引揚げ寮「国領荘」(調布市国領)に住んでいた。
・小学校時代、クラスメイトの奥山多恵子さんに初恋。
水飲み場で見えたパンツが大人になった後も脳裏に焼き付いている。
・小学校〜中学校時代、成績優秀で神童と呼ばれていた。
常に学年10位以内に入っていた。
・中学時代、アメリカのドラマに熱中(「ローハイド」「ララミー牧場」など)。
・中学時代、友達と一緒に枯れ草にいたずらで火をつけて消防車が出動する騒ぎになった。
・中学時代、アルミニウムの鉛筆キャップに火薬を詰めて点火して飛ばして遊んだ。
・中学時代、赤面症で人前で話すのが苦手だった。「赤面症を直す本」を読んでいた。
・先生から太鼓判を押された都立国立高校受験に失敗した。
・都立府中高校の男女共学1期生。
・高校時代、古典落語研究会、天文同好会、野球同好会、サッカー同好会をかけもち。
都下で初めて天文ドームが出来たので天文同好会に入ったが、
卒業までに望遠鏡が入らなかった。
・高校時代、友人5人でつるんで、よく麻雀やボウリングで遊んだ。
・高校時代、モダンジャズが好きだった。
・高校時代、自作のスタンプを押して作ったVANっぽい袋を持ち歩いていた。
・17歳の時、セックスを初体験。
・大学受験に2年連続失敗。のべ10校の受験に失敗した。
・専門学校時代、ヌードデッサンの授業が大好きだった。
・専門学校時代、友人と一緒に借りたアパートにナンパをした女の子をよく連れ込んだ。
ちゃんと交際する気はなかったのでウソをつきまくって口説いた。
・3億円事件が起きた時に自宅に刑事が聞き込みに来た。
■高田純次
□私生活
・好物…白米(朝食に必ず食べる)。のり弁。
お茶漬け。チャーハン。カツカレー。
ラーメン。カレーうどん。
餅(大好物、週に1回雑煮か磯辺焼きを食べる)。
カツサンド。あんぱん。あんドーナツ。
ハムカツ。鮭。納豆。生卵。のり。
煎餅。柿の種。歌舞伎揚げ。
・嫌いな食べ物…トマト。にんじん。
・酒が好き。好きな酒はビール、日本酒。
・タバコを吸う(=17.01現在)。
・芸能人野球大会のベーススライディングで骨折(42歳の時)。
・椎間板ヘルニアと脊髄狭窄症の手術を受けた(=15年)。
手術を受ける前は少し歩くと足が痺れるので痛み止めを打って仕事をしていた。
・鼠径ヘルニアの手術を受けた(ロケ中に倒れて緊急搬送=17年)。
・持病…イボ痔。
・好きな本…時代小説。
・好きなマンガ…「ピアノの森」。
・映画が好き。多い時は月20本以上観る。
ストーリーが単純でカーチェイスと女性の裸がある映画が好き。
好きな映画女優はアンジェリーナ・ジョリー。
・どこでもすぐに寝られる。
平らで固い所の方が寝付きが良い(道路工事のバイトをしていた時の習慣)。
・通販で買う健康グッズが長続きしない。
・結婚前に使っていた家具は全て拾い物だった。
※「拾い物の生活」として週刊誌に載った
・消防車が好き。雑誌「週刊世界の消防車」を愛読(付録のミニカーを72台集めた)。
・和田アキ子の写真をお守りがわりに常時セカンドバックに入れてある。
・東京都調布市つつじヶ丘の神代団地に住んでいた(2DK、家賃3万円=31歳から約6年間)。
・いきつけ…
「寿司春」(目黒区=13.09現在)。
中華「寿福」(目黒区、あんかけもやしそば、10年通っている=13.09現在)。
和食レストラン「宍道」(駒沢)。
中華「李園」(横浜中華街、5年通っている=11.02現在)。
・クルマが大好き。こえまでに35台以上を乗り継いでいる(=11.03現在)。
アストンマーチンDB9、フェラーリに乗っていた。
愛車はBMW Z8(全世界555台限定生産=08.02現在)。
・47年式カスタムのハーレー(300万円)に乗っている(=11.02現在)。
・電動バイクを愛用。
・折り畳み式自転車を愛用。
・42歳の時、高速道路でクルマを運転中に後ろから追突される交通事故。
スピンして側壁に5回衝突してクルマは大破したが奇跡的に怪我はしなかった
(スピンの最中に死を覚悟した)。
・クルマを運転中に原付バイクと衝突する交通事故でバイクの男性が怪我(=09年)。
・よくひとりで横浜港に行ってマンガを読んでボーッとする。
・アメリカ・ダラスの空港の税関でパンツだけにされて厳しく取り調べられた事がある。
・30歳頃までは内気な性格だった。
・家族と一緒によく焼肉屋に行く。
・学生時代に好きになった女性の名前を全員覚えている。
・若い頃はいい女を見つけると所持金が30円しかなくてもナンパした。
・20歳から25歳頃まで女性にモテた。
・ストリップバーで女性にあげるチップの為に「100円札」を大量に購入した事がある。
・合コンが好き。
・ナンパした女性が娘の同級生だった事がある。
・出かける時に妻の胸にタッチしてキスをする。
・妻は大のサッカーファン。
■高田純次
□人間関係
・大竹まこと…親友。合コン&ゴルフ仲間。テレビ「あんグラ」で共演。
・渡辺正行…友人。合コン&ゴルフ仲間。テレビ「あんグラ」で共演。
・柄本明、ベンガル…友人。劇団東京乾電池の仲間。
・笑福亭笑瓶…友人。合コン仲間。
・火野正平…友人。
・和田アキ子…ゴルフ仲間。和田の誕生パーティーで司会をやった事がある。
・恵俊彰、関根勤…バラエティ「男3人ムリ珍お宝旅」で共演。
・イッセー尾形…研究生仲間。一緒に劇団うでくらべを旗揚げ(=72年、半年で解散)。
・岩松了、イッセー尾形、柄本明、小日向文世、斉藤暁、笹野高史、佐藤B作、ベンガル
、萩原流行、村井国夫、久本朋子、余貴美子、吉田日出子…劇団自由劇場出身。
・兵藤ゆき…デュエット曲「CHANCE!心ときめいて」をリリース(=88年)。
・多岐川裕美…デュエット曲「19番のタンゴ」をリリース(=92年)。
・上沼恵美子…デュエット曲「P.S. 愛してる!」をリリース(=96年)。
・河合美智子…デュエット曲「東京パラダイス」をリリース(=05年)。
・麻木久仁子…同じ事務所(高田は社長)。
・小川菜摘…同じ団地に住んでいた(東京都調布市つつじヶ丘の神代団地、隣の棟)。
・布施明…都立府中高校の1年後輩。
・横尾忠則…好きな画家・デザイナー。
・柴田英嗣(アンタッチャブル)…高田に憧れてお笑い芸人を目指した。
・住谷正樹(レイザーラモン)…高田のファン。
バラエティ「元気が出るテレビ」の無茶な企画が大好きだった。
・田村亮(ロンドンブーツ)…高田のファン。19歳の時に弟子入りを志願して断られた。
・ダンディ坂野…高田を目標にしている。
・青木さやか…高田のファン。「元気が出るテレビ」の高田を見てお笑いタレントに憧れた。
・田村淳(ロンドンブーツ)、古田敦也、川嶋あい、関根麻里、山口美江
…高田のファン。
・櫻井克彦…小〜中学時代の同級生。居酒屋「さくらい」(調布市)の店長。
※「今田ハウジング」に出演(=08年2月6日放送分)
・伊藤正和…小・中学時代の同級生。
※「ウチくる!?」に出演(=04年7月4日放送分)
・駒崎且郎…若い頃に一緒にナンパしていた友人。
※「ウッチャきナンチャき」に出演(=02年)
・勢子…日本舞踊の師匠。72年入籍。出会ってすぐに同棲して1年後に入籍。
※74年結婚とする媒体もある
・子供:
長女…高田祐子。76年誕生。ファッションデザイナー。
次女…聡美。81年誕生。アートディレクター。
※孫(女児)…5歳(=15.09現在)。
■高田純次
□エピソードなど
・20歳の時、映画「イージー・ライダー」の影響でバイクの免許を取得。
・20歳の頃、中古のカワサキ90(3万円)で日本一周に挑戦。
北海道で事故で怪我をして途中で断念。
怪我が治るまでの数日間、アイヌの青年に世話になった。
・専門学校卒業後、カメラマンの助手をやっていた。
・20代前半の頃、イラストレーターをやっていた。
・友人に誘われて観た自由劇場「マクベス」に肌が立つ程感動、翌年研究生に応募した。
・自由劇場の舞台は人物設定だけ決めて即興のアドリブで展開。
・27歳の頃、演劇では食えないと思って宝石鑑定鑑別士の資格を取り、
宝石卸会社「トキモト」に宝石デザイナーとして入社(無遅刻無欠勤で約3程勤めた)。
業界誌「ジュエリー」「宝石の四季」に「新進デザイナー現わる」と紹介された。
・会社の受付の女の子とデートで行った新宿の飲み屋で柄本明やベンガルに偶然再会、
劇団に誘われて1ヵ月間悩んだ末に会社を辞めて劇団東京乾電池に入団した。
・劇団東京乾電池の舞台は、人物設定のみでいきなり即興でケイコして、
良かったものを残して作るやり方だった。
・東京乾電池入団後、貯金200万円は1年でなくなり、生活の為に色々なアルバイトをした。
道路工事、死体運び、キャバレーのボーイ、大道具など60種以上。
水道管を埋める為の穴を掘っている最中に土砂が崩れて生き埋めになって死にかけた。
・30歳の頃、家賃2万2000円の風呂なしアパートに住んでいた。
・ロマンポルノ「Mr.ジレンマン 色情狂い」に秘書のお尻をなめる役で出演(=79年)。
・東京乾電池のメンバーとしてテレビ「笑ってる場合ですよ!」に出演(=80年)。
・テレビ「オレたちひょうきん族」に初代ブラックデビル役で出演。
おたふく風邪で1回で降板。
・テレビ「笑っていいとも!」にレオタード姿のダンス講師として出演(=82年)。
・CM「花王 ソフトワンダフル」「エバラ 焼肉のタレ」で家族と共演(=85年)。
・テレビ「元気が出るテレビ」にリポーターとして11年間出演、様々な無茶な企画に挑戦:
早朝バズーカ。
清川虹子の時価3000万円のダイヤを飲み込む。
韓国の名門女子大学生に「処女ですか?」→学生の父親が軍高官で5年間韓国入国禁止。
※「元気が出るテレビ」はその後のバラエティの原型となった番組
※「元気が出るテレビ」は史上初めて大河ドラマの視聴率を上回った
・ピンチヒッターで「ザ・ベストテン」の司会を担当(=88年)。
・2時間ドラマに多数出演。
・「平成無責任男」「平成の適当男」と呼ばれた。
・番組中に人の話を聞いてない事が多い。
「あっそう」でつないで「ですよね」と判ったふりをする。
・収録時間が長いと途中で電池が切れる。
本番中に寝てしまった事がある。
・CM「P&G ジョイ(台所洗剤)」は実際にアポなしで訪問して収録。
・「5時から男」が流行語大賞大衆賞を受賞(=88年)。
・ブランド「スポーツキッス」のコンセプトプランナーを務めた。
・キタムラのメンズバッグをプロデュース。
・企画モノのCDを多数リリース。
シングル「サラリーマンのうた」をリリース(=00年)。
シングル「適当男のポルカ」をリリース(=07年)。
平凡パンチのアーティスト名で「ケメ子の歌」をカバー(=09年)。
・雑誌「週刊テレビライフ」に日本一テキトーな人生相談コーナーを連載。
・人生相談本「人生教典」出版(河出書房紳新社=02年)。
・エッセイ集「適当論」出版(ソフトバンク新書=06年)。
・映画「ホームカミング」に主演(映画初主演=11年)。
・画集「じゅん散歩画集 一歩一絵」出版(文化工房=23年)。
※凡例 20.01現在=2020年1月現在