高橋真梨子
■高橋真梨子(たかはし まりこ)
□肩書き
歌手
□所属
ペドロ&カプリシャス(72年〜78年)
□本名
高橋まり子
□旧芸名
高橋まり
□生年
1949(昭和24)03.06(魚座/A型)
□出身地
広島県廿日市町→福岡県福岡市
□出身校
福岡市立高宮中学校
私立駒沢学園高校
□略歴(満年齢)
72年(23歳)ペドロ&カプリシャスに2代目ボーカルとして加入(→78年脱退)。
74年(25歳)「五番街のマリー」がヒット。紅白歌合戦初出場。
84年(35歳)「桃色吐息」がヒット。紅白歌合戦出場。
※ペドロ&カプリシャスの他の主なシングル:
「ジョニィへの伝言」「陽かげりの街」
※他の主なソロシングル:
「for you…」「はがゆい唇」「ごめんね…」
□趣味
読書 スポーツ観戦 サックス ゴルフ ドライブ
□サイズ
155㎝
□特記事項
・夫はヘンリー広瀬
■高橋真梨子
□幼少時代〜
・父親はジャズ・クラリネット奏者の森岡月夫。
ピアノの調律師の仕事もしていた。
・両親はともに広島で被爆した。
・ひとりっ子。
・父親の影響で子供の頃から音楽に親しんだ。
・子供の頃、対人恐怖症気味で人付き合いが苦手だった。
・小学校時代、コーラスクラブ。
・小5の時、両親が離婚して母親に引き取られた。
夫婦喧嘩で父親にひどい言葉を吐く母親を見て母親を嫌いになった。
母親が不倫相手を自宅に連れて来た事が何度もあった。
・母親は水商売をしていた。
・14歳の時、ジャズの勉強を始めた。
博多のボーカルスクールに通っていた。
・14歳の時、父親に教えられてタバコを吸いはじめた。
・14歳の時、父親が他界(享年39)。
■高橋真梨子
□私生活
・好物…パン(ホームベーカリーを所有、朝食はたいていパン)。
キャベツ。
・得意料理…ポトフ。ハンバーグ。
・酒が好き。
若い頃はかなりの酒豪だった。
夫が飲まないのでほんの少ししか飲まなくなった。
・健康法…にんじんとりんごのジュース(毎朝飲む)。
四穀米。バランスボール(テレビを見ながら)。
・重い更年期障害に悩まされた。
一番重い時は仕事を休んで寝たきりのうつ状態。
・喉の為に普段から高い声を出さないように気をつける。
・花粉症。
・冷え性。毎晩寝る前に夫に脚をマッサージして貰う。
・夜型。朝起きるのが大の苦手。
・飛行機が苦手。
・掃除が好き。
・好きな音楽…50〜60年代のアメリカンポップス。
・好きな歌手…ファッツ・ドミノ。
・スポーツ観戦が大好き。
野球からアイスホッケーまでなんでも観る。
特にボクシング観戦、格闘技観戦が好き。
・動物が好き。
イルカやクジラの事を考えるだけで涙が出る。
・トイプードルを飼っていた。
・いきつけ…イタリア料理「はまさき」。
・ゴルフのパットが苦手。
・以前はカラオケは大嫌いだった。
・人前では泣かない。
・母親がガンで他界(=98年)。
・夫の初対面の第一印象は最悪だった。
「こういう女をだましそうなタイプとは絶対つきあえない」と思った。
友人として送り迎えをして貰っているうちにだんだん仲良くなった。
・大失恋をして慰めて貰った33歳の時に夫との仲が接近した。
・夫を「おとうさん」と呼ぶ。
・夫が朝食を作ってくれる。
・マイ鋏を使って夫の髪の毛を月に2回カットする。
・夫は健康オタク。新しい健康器具が出るとすぐに買ってたいていすぐに飽きる。
・夫によく腕時計をプレゼントする。
・ゴルフは夫婦共通の趣味。
・夫はプロデューサー、作曲家、カメラマンとしても活動。
高橋のCDのジャケット写真を夫が撮影。
・作詞をはじめると夫が気をきかせて外出してくれる。
・夫はしょちゅう財布を落とす。
■高橋真梨子
□人間関係
・萬田久子…親友。ゴルフ仲間。
母親が亡くなる時に萬田がいろいろケアをしてくれた。
・大信田礼子…友人。デビュー当時に仲が良かった。
・タモリ…福岡市立高宮中学校の先輩。
・森口博子、氷川きよし…福岡市立高宮中学の後輩。
・森進一、鶴間エリ、中本マリ…スクールメイツの同期生。
・甲斐よしひろ…父親同士が音楽仲間(博多の同じキャバレーで演奏していた)。
・ASKA(CHAGE&ASKA)…高橋に曲を提供。
・門倉有希…アルバムで高橋の「五番街のマリー」をカバー。
・柴田泰…ジャズピアニスト。ナベプロ時代の歌の先生。
正しい発声法を身に付けるまで曲を歌わせてくれなかった。
・倖田來未…高橋のファン。
・ヘンリー広瀬…音楽プロデューサー。元ペドロ&カプリシャス。
93年8月にカリブ海のバミューダ諸島で挙式。結婚前に約10年同棲していた。
■高橋真梨子
□エピソードなど
・高2の時、スカウトされて歌手を志して博多から上京。
・スクールメイツの一員としてザ・ピーナッツのバックで踊っていた。
・スクールメイツの中から4人を選抜したコーラスグループ・スカーレットのメンバーだった。
・スクールメイツやスカーレットの活動はいやいややっていた。
・酒・タバコなどの素行不良でスクールメイツをクビになって博多に戻った。
・19歳から23歳まで博多の会員制クラブやディスコで高額なギャラで歌っていた。
ジャズからソウルまで約300曲レパートリーがあった。
「九州ナンバーワンシンガー」と呼ばれていた。
・ペドロ&カプリシャスのボーカルとして誘われた時に1年だけの約束でしぶしぶ承諾した。
1年経ってそろそろ博多に戻ろうかという時にヒットが出て帰れなくなった。
・作詞をしていて言葉が出てこない時は部屋中をのたうちまわる。
・歌っていて自分の世界に陶酔する事はない。
・トークが苦手。
ペドロ&カプリシャス時代はコンサートで歌い終わるとステージの後ろに下がった。
ソロ転向後しばらくは一字一句MC台本通りに話した。
・カメラを向けられると緊張する。テレビ出演や写真撮影は苦手。
・ステージではく靴にこだわる。高さと厚みがあるハイヒールを履く。
・「あなたの空を翔びたい」でソロデビュー(=78年)。
・ニューヨークのカーネギーホールで公演(=93年)。
・ロンドン・ロイヤルアルバートホールで日本人初のコンサート(=94年)。
・香港・コンベンション&エギジビションセンターで日本人初のコンサート(=97年)。
・収録曲をファン投票で決めたベストアルバム「the best」をリリース(=00年)。
・mariko-tの名前でアメリカ、イギリスでシングル「say my neme」をリリース(=01年)。
・紅白歌合戦紅組トリ(=13年)。
・ニューヨークのカーネギー大ホールで3回公演(日本人唯一=93年、08年、16年)。
16年は芸能生活50周年記念コンサートとして開催。
・2000人以上の大規模ホールで年間25公演以上のツアーを41年継続(=20年現在)。
・初のセルフカバーアルバム「MariCovers」を発売(=19年)。
・300曲以上のオリジナル曲のうち約150曲を自ら作詞。
映画やドラマの主題歌に25曲が起用された。
凡例:20.01現在=2020年1月現在