鈴木雅之
■鈴木雅之(すずき まさゆき)
□肩書き
歌手
□所属グループ
ラッツ&スター
□本名
鈴木雅之
□愛称
マーチン
□生年
1956(昭和31)09.22(乙女座/AB型)
□出身地
東京都大田区大森
□出身校
大田区立大森第三小学校
芝浦工業大学工業高校中退
□略歴(満年齢)
80年(24歳)シャネルズとして「ランナウェイ」でデビュー。
91年(35歳)ソロで紅白歌合戦初出場。
96年(40歳)ラッツ&スターで紅白歌合戦初出場。
※主な出演など:
テレビ「スタジオパークからこんにちは」「徹子の部屋」
楽曲「ハリケーン」「め組の人」「夢で逢えたら」
楽曲「ガラス越しに消えた夏」「違う、そうじゃない」「もう涙はいらない」
*楽曲は上段がラッツ&スター、下段がソロ
□サイズ
176㎝ 靴のサイズ28㎝
□特記事項
・姉は鈴木聖美
■鈴木雅之
□幼少時代〜
・実家は町工場。父親は旋盤工。
コンプレッサーのバルブを作っていた。
・母方の祖父は海苔漁師。
・下町で生まれ育った。
・3代目の江戸っ子。
・4歳年上の姉がいる(鈴木聖美)。
・1階が工場、2階が住居だった。
・家族全員が音楽好きだった。
・母方の祖父は海苔漁師。
祖父の船に乗せて貰ってよく東京湾の沖合で歌の練習をした。
祖父が好きだった三橋美智也をよく歌い、祖父に歌をホメられた。
・大のお姉ちゃん子だった。
姉と一緒によく遊んだ。
姉と一緒にままごとをした。
ステレオで音楽をかけて一緒に歌った。
姉にスカートをはかされて扇風機でパンチラシーンをやらされた。
姉に置いていかれそうになると泣いて後を追いかけた。
同じ部屋を共有、二段ベッドで寝ていた。
・2歳の頃、公園で変なおじさんにさらわれそうになったのを姉に助けて貰った。
変なおじさんの抱えられている所に姉が飛び蹴りしてきたので自分は顔から地面に落ちた。
・ラジオ関東のコアな番組でよく音楽を聴いた。
・自分の声にコンプレックスを持っていた。
テープレコーダーに録音した自分の声にショックを受けた。
合唱で歌わせて貰えずカスタネットを担当した。
・子供の頃、三橋美智也が好きだった。
・東京五輪の直前に父親がサプライズでカラーテレビを買ってきた。
・アストン・マーチンが大好きだったので「マーチン」というニックネームを付けられた。
・小学校時代、転校生の女の子を好きになった事がきっかけで苦手だった運動が得意になった。
それまでは恥ずかしがり屋で徒競走も水泳も苦手だった。
・小3の時、姉の影響でR&Bを聴き始めた。
ビートルズや日本のGS全盛時代だったので変人扱いされた。
・小5の時、遠足でテンプテーションの「マイ・ガール」を歌った。
・中学時代、仲間のリーダーだった。
グループをまとめる為にあらかじめ個別に根回しして意思確認をした上で全体集会を開いた。
・中学時代、ガロのコピーバンド・ゲロを結成。
つのだひろの「メリージェーン」の影響でドラム&ボーカルでやっていた。
・中学時代、プロレスが好きだった。アントニオ猪木の大ファン。
アントニオ猪木の影響で扁桃腺の手術を受けた(猪木が扁桃腺を手術)。
・高校時代、不良だった。
田代まさしらと暴走族グループ・蚤を結成、
修学旅行で他校の生徒とモメてリーゼンントだった髪型をボウズにされた。
田代まさしとディスコでソウルのステップを競った。
鈴木の家は不良仲間のたまり場だった(田代は毎晩のように泊まっていた)。
・高校時代、バンド活動。
・高校時代、出席簿の遅刻の欄を砂消しゴムで消していた。
■鈴木雅之
□私生活
・好物…海苔巻き(ソウルフード)。カリフォルニアロール。
オーガニックナッツバー。ストロベリーパフェ。ミニストップのプリンパフェ。
おはぎ(大好物、こしあんが好き、ライブ後に楽屋で食べる)。甘いもの。
・健康法…Wii Fit。トカちゃんベルト。ウォーキング。水泳。岩盤浴(ツアーに持参)。
・酒に酔って存在に気付かずに店のガラスに激突してムチウチ症になった(=00年)。
・風邪をひきやすい(扁桃腺が弱い)。
超音波温熱吸入器を愛用(コンサート前に楽屋で使う)。
夏でもマスクを使う。
ホテルで寝る時にマスクを使う。
・バリアミスト、消毒ハンドジェル(数種類)を愛用。
・朝5:00頃に寝る。
・寝る時はアロマテラピーをやり、アイピローを使う。
・通販が好き。腹筋器具やスカイウォーカーを購入。使わないモノも多数購入。
・お笑いが大好き。お笑い番組を録画して見る。
・ミラータイプのサングラスを愛用。
在宅中に宅配便が来るとサングラスをかけて応対する。
プールで泳ぐ時にミラータイプのゴーグルを使う。
・宝物…父親から貰った腕時計(父親が独立する際に母親が父親にプレゼントしたもの)。
・ペット…犬(パグ、名前はあんこ、牝=08.06現在)。
・メールに絵文字をたくさん使う。
・カラオケで自分の歌を歌う。
・子供の頃から人見知りの照れ屋。サングラスは照れ隠しの意味がある。
・母親は89歳で他界。
・好きなタイプ…聞き上手な女性。褒め上手な女性。
・女性に甘えるのが好きらしい。
・若い頃は熟女が大好きだった。
■鈴木雅之
□人間関係
・田代まさし…ラッツ&スターのメンバー。高校の同級生。
・桑野信義…ラッツ&スターのメンバー。幼馴染み。実家がすぐ近所。
幼稚園・小学校・中学校の1年後輩。
・菊池桃子…デュエット曲「渋谷で5時」をリリース(=94年)。
・島谷ひとみ…デュエット曲「ふたりでいいじゃない」をリリース(=07年)。
・黒沢薫、鈴木雅之…ユニット・エナメル・ブラザーズとして
シングル「She's My Girl」をリリース(=07年)。
・村上てつや、酒井雄二、鈴木雅之、桑野信義、佐藤善雄
…ユニット・ゴスペラッツとしてアルバム「ゴスペラッツ」をリリース(=06年)。
・鈴木愛理…コラボシングル「DADDY! DADDY! DO!」をリリース(=20年)。
・大瀧詠一…デビュー前に一緒にバンド・モンスターを結成して
パロディソング「ピンク・レディー賛歌」をリリース。
ラッツ&スターのシングル「夢で逢えたら」のスーパーバイザー。
・大沢誉志幸…鈴木のアルバム「mother of pearl」をプロデュース。
・山下達郎…鈴木のアルバム「Radio Days」をプロデュース。
・槇原敬之…鈴木のシングル「Boy,I'm gonna try so hard.」をプロデュース(=03年)。
・笑福亭笑瓶…鈴木のモノマネができる。
・宇崎竜童…よく間違えられる。
・つのだ★ひろ…つのだの「メリー・ジェーン」を聞いて歌手に憧れた。
コンサートや打ち上げで「メリー・ジェーン」を数え切れない程歌っている。
アマチュア時代はつのだに憧れてドラムをやっていた。
・アントニオ猪木…憧れている人。
リングで試合前に猪木に花束を渡した時にボディスラムで投げられた。
・西川かの子…中学時代から鈴木の大ファン。
・コージー富田…ラッツ&スターのファンクラブに入っていた。
鈴木のアルバムのCMに鈴木のモノマネをして出演。
・栃東大祐…カラオケで鈴木の曲を歌う。
・鈴木聖美…姉。歌手。
鈴木聖美withラッツ&スターで「ロンリー・チャップリン」をリリース(=87年)。
・加山雄三…子供の頃から憧れている歌手。
・市毛良枝、篠ひろ子…憧れている芸能人。
・礼子…85年結婚。ラッツ&スターのメンバーと合同で披露宴。
■鈴木雅之
□エピソードなど
・高校中退後、実家の町工場を手伝っていた(旋盤工を6年間)。
・シャネルズ結成のきっかけは事故で死んだロック好きの暴走族仲間の供養。
75年結成。メンバーは子供の頃からの遊び仲間。
・アマチュア時代、バンドの練習が終わるとシャコタンに乗って走りに行っていた。
・アマチュア時代、新宿のライブハウス「ルイード」に出演。
・アマチュア時代、ハウスミートグラタンのCMソングを歌った。
・ロックコンテストで準優勝(=78年)。
・シャネルズのメンバーは全員他の仕事を持っていてプロになるつもりはなかったが、
レコード会社に口説かれて1曲だけの約束で「ランナウェイ」をリリース、
「ランナウェイ」が110万枚の大ヒットになって辞められなくなった。
・シャネルズは靴墨を顔面に塗った黒人メイクが話題になった。
顔面黒塗りのままでクルマで移動して検問の警官にびっくりされた。
・グループ名をシャネルズからラッツ&スターに改名(=83年)。
・米米CLUBとライブで共演したのをきっかけにソロデビューを考えた。
ソロデビューに際してメンバー全員の行く末を見届けた後にレコーディングを始めた。
・シングル「ガラス越しに消えた夏」でソロデビュー(=86年)。
・ユニット・ゴスペラッツを結成してアルバム「ゴスペラッツ」をリリース(=06年)。
メンバーは鈴木雅之、桑野信義、佐藤善雄、村上てつや、酒井雄二。
・「マーチンマシュマロ」をプロデュース。
・シンガーソングライターが作った曲をカバーして自分流に歌うのが好き。
・50歳を過ぎてから音域が拡がった。
・トレードマークのサングラスは数え切れないほど持っている。
自分でデザインしたものもある。
・真夏の野外フェスでもスリーピースで歌う。
・良い意味でのアマチュアリズムを持ち続けている。
・恋をしているカップルの雰囲気作りになるようなラブソングを歌うのが好き。
・「ラブソングの帝王」と呼ばれる。
・アニメ「かぐや様は告らせたい」の主題歌を歌って<アニソン界の大型新人>と話題になった。
凡例:20.01現在=2020年1月現在