■鈴木登紀子(すずき ときこ)
□肩書き
料理研究家
□愛称
ばぁば
□生年
1924(大正13)11.14(蠍座)
□没年
2020.12.28(享年96)肝細胞がん
□出身地
青森県八戸市
□出身校
八戸高等女学校
□略歴(満年齢)
79年(55歳)テレビ「キユーピー3分クッキング」出演。
11年(87歳)テレビ「あさイチ」出演。
※他の主な出演:
テレビ「きょうの料理」「明石家さんちゃんねる」
□趣味
映画観賞 旅行
□特技
洋裁
■鈴木登紀子
□幼少時代〜
・父親は篆刻家。
・母親は岩手の宿屋の娘。
・6人兄弟の末っ子(兄3人、姉2人)。
・母親は近所で評判の料理上手だった。
毎晩晩酌をする父親の為に和え物、お吸い物、お造り、煮物、焼き物を1品づつ作っていた。
台所で母親を手伝って日本料理を自然に学んだ。
・明るくておてんばな子供だった。
・家の手伝いでつるべ井戸から水を汲んだ(家に水道がない時代だった)。
・高等女学校時代、音楽と体育は甲、主要教科・裁縫・お作法は丙だった。
※甲乙丙丁(甲が成績上位)
・高等女学校卒業後、女子挺身隊として三沢飛行場の庶務課に配属。
・バスケットボール、スピードスケートをやっていた。
■鈴木登紀子
□私生活
・好物…焼肉。ステーキ。
・健康法…旬のおいしいものを朝昼晩バランスよく食べる。
・持病…糖尿病(60代半ばに発症)。
・87歳の時に大腸がんの手術を受けた。
・89歳の頃、肝臓がんで入院中に心筋梗塞になり、ステントを挿入する手術を受けた。
・肝臓がんの治療を継続中(=19.07現在)。
・虫歯が1本もない(=08.01現在)。
※歯磨き粉会社の新聞全面広告のモデルをやった事がある
・風邪気味の時は食事をしっかり摂って早めに寝て一晩で治す。
・母親から譲り受けた食器を愛用。
・娘の洋服の殆どを作った。
ワンピースと同じ生地で帽子も作った。
・住んでいる所…東京都・田園調布。
・年に数回全世代(子供世代、孫世代、ひ孫世代)が集まってホームパーティーを開催。
・次女と同居中(=19.07現在)。
・結婚して八戸から満員の汽車で上京する時、洗面所に13時間立ちっぱなしだった。
・夫と一緒によく旅行に行く。
11年連続で初夏に3週間スイスに行った(毎年同じホテルに滞在)。
・夫が心臓の病気で3週間入院した時に毎日夕食を作って病院まで届けた(=05年頃)。
■鈴木登紀子
□人間関係
・明石家さんま…テレビ「明石家さんちゃんねる」で共演。
・後藤繁榮(NHKアナウンサー)…テレビ「きょうの料理」で共演。
後藤を「若殿」と呼ぶ。
・矢内真由美(NHKプロデューサー)…料理に関して厳しく矢内を鍛えた。
・清佐(きよすけ)…元会社員。47年見合い結婚。※92歳で他界
・子供:
長男。
長女…川村由起子。料理研究家。
次女…安藤久美子。料理研究家。
※孫が5人、ひ孫が5人いる(=08.01現在)
■鈴木登紀子
□エピソードなど
・体の不自由な人の家に料理を届けているうちに料理の腕が口コミで広がり、
46歳の頃、近所の主婦のリクエストで料理教室を始めた。
・子育てを終えた40代半ばから料理研究家としての活動を始めた。
・料理教室で料理だけでなく料理にまつわる礼儀作法全般を教える。
・料理教室のレシピは全て手書き。
・包丁を使う音を聞くと正しい使い方をしているかどうか判る。
・「日本料理研究の第一人者」と呼ばれる。
・調理道具は京都の錦市場で購入することが多い。
有次の包丁、市原平兵衛の竹箸を愛用。
・53歳の時からテレビ「きょうの料理」に40年以上出演。
台本を覚え切れないのでトークはアドリブが多い。
・テレビ「明石家さんちゃんねる」の料理コーナーに出演。
・ドラマ「エラいところに嫁いでしまった!」に出演(=07年)。
・主な著書:
「登紀子ばぁばのお料理たしなみ帖」
「登紀子ばぁばのおいしい和食 とことん教えます」
「登紀子ばぁばの料理指南」
関連項目:凡例:19.01現在=2019年1月現在