■衣笠祥雄(きぬがさ さちお)
□肩書き
プロ野球選手
プロ野球解説者
□本名
衣笠祥雄
□愛称
鉄人
□生年
1947(昭和22)01.18(山羊座/O型)
□没年
2018(平成30).04.23(享年71)大腸がん
□出身地
京都府京都市
□出身校
京都市立洛東中学校
平安高校
□略歴(満年齢)
65年(18歳)広島東洋カープに入団。
84年(37歳)打点王、セリーグMVP、正力賞。
87年(40歳)連続試合出場の世界記録を更新。現役引退。
※入団、引退は野球シーズン年度
※通算成績:
2677試合、2543安打、.270、504本、1448打点
※主なタイトル・表彰:
打点王1回、最多安打1回、盗塁王1回、
MVP1回、ベストナイン3回、 ゴールデングラブ賞3回
※主な出演:
テレビ「午後は○○おもいッきりテレビ」「秘密のケンミンSHOW」
CM 「アートネイチャー」
□趣味
ゴルフ
□資格・免許
船舶1級免許
□サイズ
175㎝
□特記事項
・父親はアメリカ人
・長男は衣笠友章
・2215試合連続試合出場(当時の世界記録)
■衣笠祥雄
□幼少時代〜
・父親はアメリカ人(在日米軍人)。
・子供の頃、京都の母方の祖父に育てられた。
・小3の時、母親と母親の再婚相手と一緒に暮らし始めた。
・義父は電気工事の現場監督、
母親は保育園の給食係をしていた。
※「衣笠」は義父の姓
・小学校時代、6畳ひと間に4人で暮らしていた。
・家計を助ける為に新聞配達をやっていた。
・中学時代、最初は柔道部に入ろうと思っていたが、
野球部の練習を見ていたら打つのが面白そうだったので野球部に変更。
野球経験が一切なかったので最初は練習について行くのに苦労した。
ショートを志望したが最初の練習でトンネルしてキャッチャーをやらされた。
・中学時代、かなりの不良だったが、
仲間が野球に差し支えないようにと気を使ってくれて酒やタバコはやらなかった。
・高3の時、4番キャッチャーとして甲子園に春夏連続出場(いずれもベスト8)。
□私生活
・好物…ステーキ。
・赤ワインが好き。
・母親が肝硬変で他界(享年56=82年)。
■衣笠祥雄
□人間関係
・江夏豊…親友。3日に1回は電話で話した。
・山本浩二……同時期に広島の中軸打者として活躍。同い年(同学年)。
アベックホームランを86本打った(ONの106本次ぐ本数)。
・有藤通世、田淵幸一、山本浩二、尾崎将司…同い年。
・根本睦夫…2軍暮らしが続いて私生活も荒れていた時期に合宿所で根本から毎晩説教された。
根本に「アピールできる所がどこか考えろ」と言われてホームランバッターになる事を決意。
・清原和博…衣笠を目標にしていた。
・正子…71年12月結婚。中学時代から交際していた。
・子供:
長女…永真。28歳(=01.12現在)。
長男…衣笠友章。77.04.23誕生。俳優。
■衣笠祥雄
□エピソードなど
・両親はプロ入りに反対で大学進学を強く勧められたが、自立したかったのプロ入りを選んだ。
・契約金1000万円年俸120万円で広島に入団。
・プロ3年目に野手に転向して様々なポジションに挑戦、10年目にサードに定着。
・豪快なフルスイイングが持ち味。
・5試合連続本塁打(=71年)。
・代打満塁本塁打(=73.10.10ヤクルト戦)。
・サイクルヒット(=76.07.07巨人戦)。
・通算161死球は歴代3位。
シーズン最多死球を6回記録。
史上初の1イニング2死球(=76.08.31中日戦)。
・2試合連続初回先頭打者ホームラン(=77年)。
・打率.198という大スランプで連続全イニング出場が678試合でストップ(=79年)。
・西本聖のシュートによる死球で左肩甲骨を骨折(=79.08.01巨人戦)。
翌日代打で出場して3回フルスイイングで三振、
「1球目はファンのため、2球目は自分のため、3球目は西本君のために振りました」と発言。
・日本シリーズ連覇(=80年)。
・阪神戦で史上16人目の通算2000本安打(=83.08.09)。
・プロ20年目で初3割と初100打点(=84年)。
・連続試合出場の世界記録を更新(2131試合=87.06.13中日戦)。
連続出場開始試合は70.10.19巨人戦。
その後シーズン最終戦まで連続出場して2215試合まで記録を伸ばした。
・史上5人目の2500安打&500本塁打。
・国民栄誉賞を受賞(=87年)。
・野球殿堂入り(=96年)。
・背番号「3」は永久欠番。
・県立広島大学の客員教授を務めた。
・著書:
「お父さんから君たちへ」
「ルー・ゲーリックを超えて」
「人生、フルスイング」
凡例:18.01現在=2018年1月現在
関連項目:物故者