■藤岡琢也(ふじおか たくや)
□肩書き
俳優
□本名
藤岡琢也
□生年
1930(昭和05)09.04(乙女座/O型)
□没年
2006(平成18)10.20(享年76)
□出身地
兵庫県姫路市
□出身校
旧制姫路中学校
関西学院大学文学部中退
□略歴(満年齢)
66年(36歳)ドラマ「事件記者」出演。
77年(47歳)映画「八甲田山」出演。
93年(63歳)ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」出演。
※他の主な出演:
映画「小説吉田学校」「サラリーマン専科 単身赴任」
ドラマ「春日局」「おんなは度胸」「徳川慶喜」
CM「サッポロ一番」
□趣味
音楽観賞
□特技
写真
■藤岡琢也
□幼少時代〜
・父親は日本フェルト工業株式会社のサラリーマン。
事務員として入社して社長になった。
・妹が2人いる。
・子供の頃、七輪に火を起こすのを手伝った。
・子供の頃、隣のお金持ちの家の人に言われた「ウチの子になる?」という冗談を真に受け、
1週間考えて両親に「隣の家の子になります」と打ち明けた。
・小学校時代、成績優秀。総代で卒業。
・軍人になるつもりで広島陸軍幼年学校に進学(入学半年で終戦)。
広島に原爆が落ちる10日前に生徒全員で山奥に疎開して難を逃れた。
終戦の日、生徒全員で自決しようと思ったが、
「日本を立て直すのがお前たちの任務だ。言う事が聞けないなら俺が先に死ぬ」
と先生が日本刀を抜いたので思いとどまった。
・戦後、姫路で焼跡を片付けている時、友人が叩いて遊んでいた砲弾が爆発、
しゃがんでいた友人は破片を上半身に浴びて死んだが、立っていたので膝の怪我で済んだ。
・大学時代、進駐軍放送で聞いたジャズに熱中。
バイオリンとトロンボーンをマスター、
タンゴバンドのメンバーとしてダンスパーティーで演奏。
・肺結核で19歳から26歳まで7年間入退院を繰り返した(大学を中退)。
・雑誌「アルス写真年鑑」に投稿した写真が特選に選ばれプロのカメラマンを志すが、
肺結核が悪化して肋骨を7本切る胸郭形成手術を受け、
その影響で上体が曲がるようになって諦めた。
・胸郭形成手術の時、意識を失う瞬間がどういうものか気になって目をあけていたら、
目を開いた状態で麻酔がかかってしまった。
■藤岡琢也
□私生活
・得意料理…タク焼き(特製お好み焼き)。
・森繁久彌に「もっと遊べ」と言われて40歳を過ぎてから酒を飲み始めた。
・05年春から週3回人工透析を受けている(=06年現在)。
・ジャズが大好き。アナログレコードを約3000枚所有。
若い頃は1枚3000円のレコードをアメリカに注文して購入していた(3000円は当時の平均月給の約1/3)。
・幽体離脱を体験した事がある。
・ペット…犬(ラブラドールレトリバー、名前はタロー、9歳=05.09現在)。
・住んでいる所…東京都渋谷区南平台(=01.11現在)。
自宅に完全防音完備のスタジオがある(有名なジャズマンが集まる)。
・いきつけ…フレンチレストラン「マダム・トキ」(代官山)。
■藤岡琢也
□人間関係
・キダ・タロー…友人。高校時代のバンド仲間。
・石井ふく子、泉ピン子、藤岡琢也
…3人とも9月生まれなので毎年一緒に誕生日を祝った。
・藤田朋子、野村真美、中田喜子、長山藍子、泉ピン子、
野村真美、沢田雅美、京唄子、赤木春恵、山岡久乃、
えなりかずき、植草克秀、角野卓造、前田吟、宇津井健、藤岡琢也
…ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」シリーズの主な出演者。
・橋田寿賀子…ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」シリーズの脚本家。
・石井ふく子…ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」シリーズのプロデューサー。
・原節子…子供の頃から大好きな女優。
・岸ミツアキ…好きなジャズピアニスト。
・千鶴子…60年結婚。見あい結婚。妹の神戸女学院時代の同級生。
■藤岡琢也
□エピソードなど
・上京当時、4畳半の学生下宿(賄い付き)に住んでいた。
冬に夜中に帰ると戸棚の中の夕食が凍っていたが、
火を使うのが禁じられていたので水をかけて食べた。
・劇団・葦に入った頃、肺結核の手術の後遺症で食事をまともに摂れなくて鬱病になった。
駅のホームで誰かに体を押されるように線路の方に進んで寸前で思いとどまる、という事が何度かあった。
・劇団・葦の初舞台の役柄は金髪二枚目の外人海軍士官。
・劇団・葦で効果音係もやっていた時に機械が故障して自分の声で銃声を出した。
・下積み時代の仕事:
NHKラジオ大阪のラジオドラマ。
洋画の吹替。ドナルドダックの吹替。
・30代から父親役をやっていた。
・アニメ映画「うる星やつら2」声優(=84年)。
・妻・千鶴子が「素顔がイイねっ!」に出演(=05年9月17日放送分)。
・肺炎で緊急入院してドラマ「渡る世間は鬼ばかり」を降板(=06年)。
凡例:20.01現在=2020年1月現在