萩野公介
■萩野公介(はぎの こうすけ)
□肩書き
競泳選手(自由形、個人メドレー)
□生年
1994(平成06)08.15(獅子座/B型)
□愛称
ハム
□出身地
栃木県小山市
□出身校
作新学院中学校
作新学院高校
東洋大学文学部英語コミュニケーション学科
日本体育大学大学院体育学研究科(=22年入学)
□略歴(満年齢)
12年(18歳)ロンドン五輪銅メダル(400m個人メドレー)。
13年(19歳)世界選手権で2種目2位(400m自由形、200m個人メドレー)。
16年(22歳)リオ五輪金&銀(400m個人メドレー金、200m個人メドレー銀)。
※主な出演:
ラジオ「萩野公介 JUST DO IT!」
□趣味
読書 マンガ 美術館めぐり
□サイズ
177㎝70㎏ 靴のサイズ29㎝
□特記事項
・リオ五輪金&銀
■萩野公介
□幼少時代〜
・1ヵ月早産で仮死状態で産まれた。
母親は出産時に胎盤剥離で大量出血して危険な状態に陥った。
・0歳の時、母親と一緒にベビースイミング教室に入会。
最初から水を恐れなかった。
・2歳の時、自分で浮き輪を外してプールの端から端まで15m泳いだ。
・6歳の時、選手コースに加入。
・7歳の時、1日1万m泳いだ。
・小学校時代、水泳以外にピアノ、英語塾、学習塾に通い、
母親が教えていたお茶の稽古もしていた。
・中2の時、右脚半月板の手術を受けた(6週間泳げなかった)。
・中学時代に29回中学生記録を出した。
・高校時代、難関大学進学を目指す選抜クラスに在籍。
・高2の時、脱水状態で緊急搬送されて日本選手権を欠場。
体調回復後もなかなかタイムが回復しなかった。
・子供の頃から常にクリアできるかどうかギリギリのハイレベルな目標タイムで練習をした。
・両親・親戚に優秀なスポーツマンは皆無。母親は泳げなかった。
■萩野公介
□私生活
・好物…ラーメン。イチゴ(大好物)。
・高熱と疲労によるドクターストップで3週間入院(=18年1月)。
最初の2週間は絶対安静。
肝臓の数値は高齢者なら死亡するレベルだった。
入院中にバイク練習をして医者に「動くと死ぬ」と言われた。
・好きなマンガ…「名探偵コナン」「ちはやふる」。
・AKB48グループの大ファン。推しメンは大島優子、松井珠理奈。
・陸上に長時間いると重力で膝に痛みを感じる。
・完璧主義の真面目な性格。
・人に自分の弱みを伝えるのが苦手。
・自分をさらけ出すのが苦手。
・人付き合いが苦手。
■萩野公介
□人間関係
・大谷翔平、鈴木誠也…友人。一緒に食事。同い年。
競技の壁を超えた同期会(94年会)発足を目指している。
・御嶽海久司…友人。大学の先輩。一緒に食事。
・瀬戸大也…子供の頃からのライバル。同い年。
リオ五輪400m個人メドレーで荻野が金メダル、瀬戸が銅メダル。
※五輪競泳の同一種目同時表彰台は56年メルボルン五輪以来60年ぶり
・平井伯昌…東洋大学水泳部監督、日本代表ヘッドコーチ。
・大谷翔平、萩野公介、鈴木誠也、羽生結弦、
藤浪晋太郎、ベイカー茉秋、土性沙羅、村上佳菜子
…1994年生まれのスポーツ選手。
・タカアンドトシ…好きな芸人。
・チェイス・ケイリシュ(Chase Kalisz)…400m個人メドレーのライバル的存在。
・miwa…19年秋入籍。
・子供:
第1子…19年誕生。
■萩野公介
□エピソードなど
・好きな言葉…
「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし」(野村克也が好んだ言葉)。
・毎回の練習で自分で制限タイムを設定してそのタイムを絶対切るひょうに全力で泳ぐ。
・五輪競泳の男子高校生選手として56年ぶりのメダリスト。
・同一大会で多くの種目に出場してスケジュールが追い込まれるのが楽しい。
・フランス合宿中に自転車で転倒して右肘を骨折して世界選手権を欠場(=15年)。
リハビリ期間中に東洋大学水泳部のマネージャー業務をこなした。
・リオ五輪の本大会中、前年に骨折した右肘に痛みを感じていた。
痛みでまっすぐ伸ばす事ができない状態だった。大会後に手術を受けた。
・ブリヂストンと5年5億円で契約(金額は推定=17年)。
北島康介に続く史上2人目のプロ契約。
・モチベーションの問題で日本選手権を欠場して約3ヵ月休養(=19年)。
・東京五輪200m個人メドレーで決勝進出を決めたレース後に感激の涙。
・現役引退会見(=21.10.24)。
・日本体育大学大学院体育学研究科でスポーツ人類学を研究。
・テレビ朝日「世界水泳」スタジオ解説(=22年)。
凡例:20.01現在=2020年1月現在