■草笛光子(くさぶえ みつこ)
□肩書き
女優
□本名
栗田光子
□生年
1933(昭和08)10.22(天秤座/B型)
□出身地
神奈川県横浜市
□出身校
横浜市立斎藤分国民学校
横浜第一高等女学校中退
□略歴(満年齢)
53年(20歳)映画「純潔革命」主演。
58年(25歳)テレビ「光子の窓」出演。
76年(43歳)映画「犬神家の一族」出演。
※他の主な出演:
舞台 「ラ・マンチャの男」「シカゴ」「王様と私」
映画 「名もなく貧しく美しく」「櫂」極道の妻たち」
ドラマ「八代将軍吉宗」「渡る世間は鬼ばかり」「あぐり」
□趣味
観劇(ミュージカル)
□サイズ
158㎝
□特記事項
・元夫は芥川也寸志
■草笛光子
□幼少時代〜
・父親は三菱重工のサラリーマン。戦時中は軍需工場で働いていた。
・母親は洋裁屋。
・母親が16歳の時に産まれた。
・4人きょうだいの長女(妹2人、弟1人)。
・おばあちゃん子だった。
・母親は身長が高かった。
・子供の頃、極度の内弁慶で家族としか話せなかった。
幼稚園で出席を取る時に返事ができなかった(隣の子がかわりに返事をしてくれた)。
・小学校低学年の頃、体が弱かった。
1週間登校しては1週間休んでいた。
登校する時は祖母についてきて貰っていた。
虚弱児童を集めてサンルームで勉強させる特別組に入っていた。
・小学校時代、母親の影響で歌が好きだった。誰もいない所でひとりで歌を歌った。
・超偏食で卵焼きとチョコレートしか食べられなかった。
・小5の時、学童疎開の集団生活になじめなかったので家に戻り、
群馬県富岡市に縁故疎開した。
・疎開中に4歳だった下の妹が疫病で他界。
骨壷を入れた箱を風呂敷で背負って空襲下を逃げた時に妹の骨が背中でカタカタ鳴っていた
(その音は大人になった後も忘れられない)。
・住んでいた家は戦時中の空襲で跡形もなく焼けた。
・戦後、父親が失職した為、母親が洋裁学校に通って自宅の敷地内に洋裁店を開業した。
・父親に「なぜ横浜で一番の学校を選ばない」と促されて横浜第一高等女学校を受験。
・高等女学校時代、人と一緒にいるのが苦手だった。
満員電車が我慢できなくて片道1時間を毎日歩いて登校(それで身体が丈夫になった)。
・高等女学校時代、創作ダンス部。
・高等女学校時代、陸上と水泳をやっていた。
・高等女学校時代、上級生から貰ったラブレターを無視していたら、
昼休みに体育館の裏に呼び出されて上級生数人に責められた。
・母方の長男が戦死した為、戸籍上母親の実家の養女になり、家族で母親の実家に転居した。
■草笛光子
□私生活
・好物…チヂミ。牛肉。トンカツ。酢豚。鶏の唐揚げ。
フライドポテト。芋(大好物)。梅干し。
柿の種(大好物)。ピーナッツバター。果物。あんまん。
煎茶(大好物、梅干しを入れて飲む、海外に行く時に必ず持参する)。
味が濃いもの。甘いもの。
・嫌いな食べ物…タコ。うなぎ。アナゴ。ドジョウ。
缶飲料。インスタント食品。
・食べる事が大好き。
・肉が大好き。朝からすき焼きを食べる事がある。
・料理をしない。
食事の支度はお手伝いさんまかせ。
※お手伝いさんが3人いる(=23.07現在)
・酒が好き。
・健康法…生理食塩水で鼻うがい。野菜ジュース(毎朝)。セロリ(毎朝食べる)。
マッサージ。足の裏のツボ押し(毎日)。ストレッチ(毎日)。スクワット。
パーソナルトレーニング(自宅で週1回1回2時間半=21年現在)。
加圧トレーニング。バランスボール(座りながら食事)。
散歩(毎日寄り道を加えて3時間以上)。
・蝸牛型メニエルによる聴力低下で出演予定の舞台「港町十三番地」を降番(=03年)。
・便秘になった事が殆どない。
・身体が柔らかい。180℃開脚で上半身が床につく。
・ハンドパワーで腹痛を治す事ができる。
・夜更かしが大好き。3:00〜4:00就寝。
・新聞を隅から隅まで読む。
・毎朝お経を読む。
・昔の洋服をたくさんとっておいてある。
・パンツルックが好き。スカートは殆どはかない。
・靴が好き。
靴を買う時は横から見てカーブの形をチェックする。
・ペット…犬(名前はマロ、牡14歳=18.03現在)。
・住んでいる所…東京都世田谷区(=14.05現在)。
・いきつけ…
中華「富筵」(横浜中華街、体調に合わせた料理を出してくれる=14.05現在)。
ホテルニューグランド(横浜、港を見ながら台本を読む=14.05現在)。
洋菓子・喫茶「パーラー ローレル」(20年通っている、スイートポテト=14.04現在)。
九品仏浄真寺(散歩コース、40年通っている=14.04現在)。
焼肉「喜福世(きっぽよ)」(恵比寿、10年以上通っている=12.04現在)。
・よくニューヨークでミュージカルを観る。
・豪華客船クルーズでギリシャ、トルコ、モンテネグロ、イタリアを廻った事がある。
・座右の銘…「元気ならなんでもできるはず」。
・現金や宝石が入っていたバッグをひったくられた事がある。
・ひとり暮らし(=22.02現在)。
・他人と一緒に入浴するのが苦手。
・人見知り。
・ペットの犬と一緒に散歩をして近所つきあいが出来るようになった。
・人と一緒に食事をするのが大好き。
・母親は92歳で他界。
■草笛光子
□人間関係
・中谷美紀…友人。「おかあさん」と呼ばれる。
・文音…友人。一緒にニューヨークで遊んだ。
・岸恵子…友人。横浜第一高等女学校創作ダンス部の1年先輩。
・水谷豊、寺尾聰…友人。よく草笛の自宅に遊びに来た。
ドラマ「天下のおやじ」で親子役で共演。
・森繁久弥…友人。映画で多数共演。
・淡路恵子、深草笙子…SKD時代に草笛を加えた3人でスリーパールズとして売り出された。
・太川陽介…ドラマ「熱中時代」で親子役で共演。
・菊田一夫…菊田が手掛けた東宝ミュージカルに多数出演。
・市川崑…市川が監督した映画「金田一耕助」シリーズ全5本に出演。
・ジュディ・リンチ…高名なブロードウェイミュージカル俳優。友人。
・伊藤幸太郎…パーソナルトレーナー。最低週に1回自宅に来て貰う。
※「ウチくる!?」に出演(=14年5月4日放送分)
・母親…約30年間マネージャーをやってくれた。
若い頃から大変な読書家で台本を読む眼を持っていた。※88歳で健在(=05.12現在)
・富田恵子…妹。女優。
・芥川也寸志…作曲家。不倫交際の末に60年結婚、62年離婚。芥川龍之介の三男。※89年他界
芥川は女性の噂が絶えない人だった。
前妻と離婚が成立して草笛との婚約を発表する直前に愛人が自殺した。
挙式の朝に祖父(戸籍上は父親)に「おじいちゃん、ちょっと行ってきます」と挨拶して、
本当にすぐ離婚して戻ってきた。
■草笛光子
□エピソードなど
・松竹歌劇団(SKD)のメンバーだった(50年入団、54年退団)。
友人に誘われて受験して60倍の倍率を突破して合格。
・SKDの研究生になった当初は譜面を読めず、バレエの基本を知らなかった。
寝る間をおしんで勉強・練習して卒業成績はトップだった。
・SKD時代、どの派閥にも入らなかった。
ステージ上でマイクのコードをふまれるイジメを受けた。
・SKD時代、帰宅すると母親の洋裁を手伝った。
大晦日に夜なべをした事があった。
・SKDの試験で3階級特進して「10年に1人の大型新人」と呼ばれた。
・SKDのトップスターとして活躍。
・舞台「リオ・グランテ」でSKD史上初の新人で主演、「脅威の新人」と評判になった。
・SKD在籍中にNHKと出演契約を結んdな。
・シングル「赤い恋の花」をリリース(=53年)。
・テレビ「光子の窓」は日本初の本格的ミュージカルバラエティ。
多才なゲストをスタジオに呼んでの生放送が話題を呼んだ。
早着替えであわててバストを出してしまって他の出演者に見られた事があった。
・テレビ「アフタヌーンショー」の司会を務めた(=65年)。
・アメリカで観たミュージカル「ラ・マンチャの男」に言葉を失う程感動、
アルドンナ役に女優生命をかけようと決意して、東宝に上演権を取るように自ら交渉した。
・「わたしはシャーリー・ヴァレンタイン」で2時間15分のひとり舞台に挑戦。
・紫綬褒章を受章(=99年)。
・舞台「ウィット」で末期がん患者を演じる為に髪の毛を剃った(=02年)。
・主な著書…「光子の扉をあけて」「いつも私で生きていく」。
・「最年長ミュージカル女優」と呼ばれる。
・万が一に備えて色々なモノを持って行くので荷物が多い。
1ヵ月公演の荷物は大きなスーツケース7個になる。
・人を殴るシーンを演じるのが得意。
凡例:20.01現在=2020年1月現在