■緒方貞子(おがた さだこ)
□肩書き
国際政治学者
□本名
緒方貞子
□生年
1927(昭和02年)09.16(乙女座)
□出身地
東京都港区
□出身校
聖心女子学院
聖心女子大学文学部英文科
□略歴
90年(63歳)国連難民高等弁務官(〜00年)。
03年(76歳)国際協力機構(JICA)理事長(〜12年)。
11年(84歳)アフガニスタン支援政府特別代表。
※他の主な役職:
国連特命全権公使
国連人権委員会日本政府代表
国際協力機構理事長
ユニセフUNICEF執行理事会議長
□趣味
テニス
□特技
英語 フランス語
□サイズ
150㎝
□特記事項
・曽祖父は犬養毅
・女性初の国連難民高等弁務官
■緒方貞子
□幼少時代〜
・父親は外交官の中村豊一。フィンランド特命全権公使を務めた。
・曽祖父は元内閣総理大臣の犬養毅。
・母方の祖父は元外相の芳沢謙吉。
・4歳の時、曽祖父・犬養毅が5.15事件で暗殺された。
・父親の転勤で幼少期をアメリカ(5年間)、中国・広東省、香港などで過ごした。
日本に一時帰国した時に必ず家族で銀ブラをした。
小5の時に日本に戻った。
・中学時代、冷めた目で戦争を見ている両親に多少反発した。
・高校時代、テニスクラブ「パレスクラブ」に通っていた。
・軽井沢(疎開先?)で終戦を迎えた。
・新学制で女子大学になった聖心女子大学に1期生として入学した。
・大学時代、テニス部。
・大学時代、国際政治史学を専攻。
・大学時代、カトリックの洗礼を受けた。
・大学卒業後、ジョージタウン大学に留学して博士号を取得。
博士論文のタイトルは「満州事変と政策の形成過程」。
留学中にテニスに熱中した。
留学中に藤原道子(戦後初の女性国会議員)の通訳を務めた。
・帰国後、東大特別研究生として岡義武教授の指導を受けた。
・ロータリークラブの留学生試験に100点満点で合格(=56年)。
当時この留学生試験に選ばれるのは1年間に1人だけだった。
・再渡米してカリフォルニア大学バークレー校大学院に留学。
速読術をマスターしてアメリカ人留学生と同じスピードで英文を読める英語力を身に付けた。
・両親は適齢期に結婚せずに勉強する事を快諾してくれた。
父親は完全に独立した個人として扱ってくれた。
■緒方貞子
□私生活
・別荘がある所…軽井沢。
・敬虔なカトリック信者。
・週末にテニスをする、30代の男性に勝つ事がある(=02年現在)。
日本女性テニス連盟の名誉会員(=02年現在)。
20代の頃は全日本クラスのテニスプレイヤーだった。
・老人性の病気を患った母親を介護した。
■緒方貞子
□人間関係
・黒柳徹子…緒方の勧めでユニセフ親善大使になった。
・市川房枝…41歳の時に市川の勧めで国連総会の日本政府代表団に参加
(国連に関わった最初の仕事)。
・アンジェリーナ・ジョリー…緒方貞子のファンらしい。
・安藤和津…親戚(母親のいとこ)。
・緒方四十郎…日本開発銀行(結婚当時)。60年結婚。
東大の岡義武ゼミの同窓生。恋愛結婚。同年齢。
日本開発銀行副総裁、日銀理事、バークレイズ銀行非常勤取締役を務めた。
父親は吉田茂内閣副総理の緒方竹虎。先祖は緒方洪庵。
・子供:
長男…緒方篤。映画監督。
長女…上智大学卒業。銀行員(=02年現在)。
■緒方貞子
□エピソードなど
・国際基督教大学と聖心女子大学の非常勤講師に就任(=65年)。
・40歳までは家庭を優先して非常勤講師と研究生活を続けた。
・国際基督教大学準教授に就任(=74年)。
・日本人女性初の国連代表部公使に就任(=76年)。
・上智大学教授に就任(=80年)。
・女性初の高等弁務官。
・国連難民高等弁務官時代、徹底した現場主義を貫いた。
防弾チョッキを着て何度も戦地に行った。
クルド難民、ユーゴ民族紛争、ルワンダ大虐殺に際して現地の最前線で指揮を執った。
「生命を守る事が全てに優先する」という判断基準を一貫して取り続けた。
難民救援の為のキャンプ設営に携わった。
・国連難民高等弁務官時代、民族対立の背景を探る為に政治指導者と直談判した。
・緒方が在籍した3期10年の間に国連難民高等弁務官事務所の予算と職員の数が約2倍に増えた。
・国連難民高等弁務官事務所が毎年開催していたテニス大会(緒方杯)で何度も優勝したらしい。
・文化勲章を授章(=03年)。
・Great Negotiator Award(優秀交渉者賞)を授章(=05年)。
類稀な交渉スキルを駆使して世界的に活躍した人に与えられる章。
・国際協力機構理事長を退任(=12年)。
・主な著書:
「戦後日中・米中関係」
「私の仕事 国連難民高等弁務官の十年と平和の構築」
凡例:19.01現在=2019年1月現在