細川たかし
■細川たかし(ほそかわ たかし)
□肩書き
歌手
□本名
細川貴志
□生年
1950(昭和25)06.15(双子座/A型)
□出身地
北海道虻田郡真狩村
□出身校
真狩村立知来別小学校
真狩村立真狩中学校
真狩高校中退
□略歴
75年(25歳)「心のこり」でデビュー。紅白歌合戦初出場。
82年(32歳)「北酒場」で日本レコード大賞。
83年(33歳)「矢切りの渡し」で日本レコード大賞(史上初の連覇)。
※主な出演:
テレビ「欽ちゃんのどこまでやるの!?」「徹子の部屋」
楽曲「浪花節だよ人生は」「応援歌いきます」「恋の酒」
□趣味
カラオケ
□特技
民謡(民謡三橋流の名取り) ゴルフ スキー
□資格・免許
全日本スキー連盟アドバイザー
■細川たかし
□幼少時代〜
・実家は農家。
・7人兄弟の末っ子。
・家で食べる味噌、しょうゆは自家製だった。
・秋のイモの収穫期は学校が休みになり、家族総出で半月に渡って収穫作業。
・小学校時代、歌うのが大好きだった。
クラスメイトの前で歌を披露した。
・中学時代、英語が苦手(成績は1)で社会が得意だった(成績は5)。
・中学時代、エレキバンドを結成してドラムを担当。
農閑期に納屋にこもって当時流行したベンチャーズの曲をコピーした。
・中学時代、井沢八郎「北海の満月」を聞いて演歌歌手を志した。
・中学時代、卒業式の寄せ書きに「北海の心 満月の姿 演歌!! 細川貴志」と書いた。
■細川たかし
□私生活
・好物…ステーキ丼。ウニイクラ丼。ラーメン。うどん。
焼肉。ステーキ。ロース肉。フカヒレ。エビ天。
じゃがいも。福神漬け。
醤油(大好物、マイ醤油を持ち歩く、何にでもかける)。
・嫌いな食べ物…バター。チーズ。牛乳。
・洋食も箸で食べる。
・酒が好き。好きな酒はビール、芋焼酎、ハイボール。
若い頃は最初から最後まで自分のグラスの酒は常に一気飲みしていたらしい。
飲みながら話をして場をしきるのが大好き。
酒に酔うとテーブルをおしぼりで拭く癖がある。六本木のクラブによく行く。
カラオケでマイクを一度握るとなかなか離さない。自分の歌も人の歌も歌う。
・タバコを吸わない。
・健康法…水(調子が良い時は1日5ℓ、朝起きると500㎖を一気に飲む)。
サウナ(自宅にサウナ、地方に泊まる時はサウナがある所を選ぶ)。
・カツラ着用を噂された。
独特な髪型はヘアスプレーで強力に固める。
・夏の暑さが苦手。
・お笑いが大好き。
・キティちゃんが大好き。
楽屋をキティちゃんグッズで埋め尽くす。
※「城崎恋歌」のコラボ企画で「細川たかしキティちゃん」を城崎限定で発売
・好きなブランドはヴェルサーチ。
普段着も衣装もヴェルサーチ。約600万円の腕時計を愛用。
・住んでいる所…千葉県(敷地面積約2000坪=23.11現在)。
・住んでいる所…北海道札幌市(2LDK3つ分の広い1LDK=19.05現在)。
以前から所有していた9階建てマンションに完全に拠点を移した(住民票も移した)。
細川は9階、子供や妻のきょうだいが8階に住んでいる。
1階は大きなカラオケルーム(カウンター付きのスナックのような内装)、
2階〜7階は賃貸など。
・いきつけ…
韓国料理「おんがね十番」(麻布十番=17.04現在)。
寿司屋「鮨金」(ススキノ)。
ラーメン屋「芳蘭」(ススキノ)。
・特注のルイヴィトンの財布に常に200万円以上の現金を入れておく。
・ゴルフが大好き。シングルプレーヤー。
朝5:00から打ちっぱなしに行く。年間100ラウンド以上。
クラブを数百本所有。クラブに「たかし」と刻印。
・年間60日スキーに行く。
・趣味のゴルフとスキーは歌う為の背筋を鍛えるのに役立っている。
・几帳面な性格。
・95歳を過ぎた父親が健在(=05.10現在)。
・妻とススキノのクラブで知り合った時、「年下の男は苦手」と言われたので
本当は1歳年下だったが「25歳です」と年齢を上にサバ読みした。
当時の妻は昼間は美容師、夜はクラブでアルバイトをしていた。
・上京当時、洗濯物がたまると札幌に残した妻に送って洗濯して送り返して貰っていた。
・上京1年後に妻子を東京に呼び寄せた。
・結婚35周年の珊瑚婚式をハワイで挙げた。
■細川たかし
□人間関係
・山本譲二、吉幾三…親友。
「兄弟の契り」をかわしている。定期的に飲む。
3人の出身地の頭文字をとって「北青山倶楽部」と称している。
・沢田研二…友人。沢田の結婚披露宴の2次会を仕切った。
沢田のディナーショーにゲスト出演。
沢田から「宴会部長」と呼ばれている(細川が部長、吉幾三が課長、山本譲二が課長代理)。
・森進一…友人。「たかし」「兄貴」と呼びあう。
森の性格が明るくなったのは自分の影響だと思っている。
森が主宰するチャリティーコンサート「じゃがいもの会」に参加した事がある。
・萩本欽一…友人。「たかし」「大将」と呼びあう。
テレビ「欽ちゃんのどこまでやるの!?」に民謡の先生役でレギュラー出演、
曲名が決まっていなかった新曲(「北酒場」)を毎週小出しにして歌った(=82年)。
・ISSA…友人。飲み友達。ISSAから「オヤジ」と呼ばれる。
・前川清…遊び仲間。
・角川博、香田晋、神田利則、鳥羽一郎、山川豊、山本譲二、
吉幾三、城之内早苗…カラオケ仲間。
・杜このみ…歌手。弟子。プロデュースを担当。レコード大賞新人賞。
・田中あいみ…歌手。弟子。レコード大賞最優秀新人賞。
・彩青…歌手。弟子。
・細川たかし、岩崎宏美、太田裕美、岡田奈々、片平なぎさ、ずうとるび
…歌手デビュー同期生。
・三橋美智也…民謡の師匠。
三橋がやっていた民謡三橋流の直弟子になって名取り・三橋美智貴になった。
・レイザーラモンRG…細川のモノマネをする。RGに高価な着物をプレゼントした。
・コロッケ、ツートン青木…細川のモノマネをする。
・山田太郎…所属事務所・新栄プロの社長。
・中村旭…デビュー前からの友人。ススキノでスナックを経営。
・中越典子、中山エミリ…細川のファン。
・ビートたけし…たけしの妻が細川の大ファンで追っかけしていた。
・和子…74.03.17結婚。1歳年上。※18.11.23病気で他界(享年70)
・妻…一般女性。23.06.05結婚。22歳年下。
・子供:
長男…譲(ゆずる)。74年誕生。作家。
■細川たかし
□エピソードなど
・中学卒業後、集団就職で札幌に出た。
昼は自動車整備工、夜はススキノのナイトクラブ・マーガレットでクラブ歌手のアルバイト。
仕事中によく居眠りをして自動車整備工を半年でクビになった
・16歳でクラブ歌手を始めた当初の収入は月1万円。
家賃3500円のアパート(薄いベニヤ板に囲まれた屋根裏部屋)に住み、
食事は毎日インスタントラーメン。アパートから店まで歩いて通っていた。
・21歳の頃、毎晩クラブをかけもちで歌う売れっ子だった。
月に70〜80万円を稼いで「ススキノの森進一」と呼ばれていた。
※当時の大卒初任給は約5万円
・東京の大手芸能プロダクションにスカウトされた時、
妻が妊娠中で生活も安定していたので
「衣装代・生活費・家族への仕送りは事務所持ち」という条件で契約した。
1年で芽が出なかったら諦めて札幌に戻るつもりだった。
・事務所とコロムビアレコードが6組の作詞家&作曲家に計12曲を発注、
その中から厳選された曲がデビュー曲に選ばれた。
・デビュー曲「心のこり」の当初のタイトルは「私 バカよね」だった。
・デビュー曲「心のこり」の冒頭の歌詞「わたし馬鹿よね」は流行語になった。
・デビュー曲「心のこり」で日本レコード大賞最優秀新人賞。
・デビュー曲以降約7年間ヒット曲にめぐまれなかった。
・「8時だヨ! 全員集合」の坂登りコーナーでアキレス腱を完全断裂(40日間入院=81年)。
・「矢切りの渡し」はちあきなおみが76年に歌った曲のカバー。
・映画「男はつらいよ 旅と女と寅次郎」に出演(=83年)。
・よく歌詞を間違える。
紅白歌合戦で「浪花節だよ人生は」の歌詞を間違えて謝った(=84年、06年)。
・男性演歌歌手初のレコード大賞3冠王(レコード大賞、最優秀歌謡賞、最優秀新人賞)。
・故郷・真狩村の村民栄誉賞を受賞した。真狩村村に記念館、銅像がある。
・最盛期は1本500万円のステージを年間160本。
・「佐渡の恋唄」のヒットにより佐渡観光協会名誉会長に任命された(=92年)。
・チャリティーコンサートの収益を北京郊外の学校建設の為に寄付(=97年)。
・芸能生活25周年を記念して神宮球場で史上最大の盆踊りを開催(=99年)。
・福家書店の社長が細川の大ファン。
・日本スキー連盟アドバイザー。
ジュニア育成の為に細川たかしスキー大会を主催。
・長男・譲がシングル「城崎恋歌」を作詞(柚木由柚名義=05年)。
・NHK紅白歌合戦にデビュー以来32回連続出場(=75年〜06年)。
・紅白歌合戦の打ち上げの司会を毎年務めるた。
・L&Gが主催したコンサートに出演して紅白歌合戦出場を辞退(=07年)。
※L&G(健康商品会社)は出資法違反容疑で家宅捜索を受けた
・全国に歌碑が4つある(=08.06現在)。
・暴力団組長のゴルフコンペに参加した事を週刊誌に報じられて番組出演を自粛(=08年)。
・コンサートでリハーサルを殆どしない。
・コンサートでは声が通りやすいように半音上げて歌う。
・紅白歌合戦に39回出場。
・紅白歌合戦卒業を表明(=16年)。
・昔の曲をあえてキーを上げて歌う。
※凡例 20.01現在=2020年1月現在