■立川志の輔(たてかわ しのすけ)
□肩書き
落語家
□本名
竹内照雄
□生年
1954(昭和29)02.15(水瓶座/A型)
□出身地
富山県新湊市
□出身校
新湊高校
明治大学経済学科経営学部
□略歴(満年齢)
83年(29歳)立川談志に弟子入り。
90年(36歳)真打ち昇進。
95年(41歳)テレビ「ためしてガッテン」司会。
※他の主な仕事:
映画 「ねことじいちゃん」
テレビ「朝のホットライン」「タモリの音楽は世界だ」
CM 「養命酒」「ペヤング ソースやきそば」
□趣味
映画観賞 観劇 コンサート鑑賞 鉄の作品作り 海外旅行
□特技
ソフトテニス
■立川志の輔
□幼少時代〜
・実家は古道具屋。
店で客の相手をする祖父がとてもおしゃべりな人だった。
・両親が離婚して母方の実家に引き取られた。
・3歳の頃に母親が病気で他界、
その後は祖父母と叔父叔母に育てられた。
・両親の記憶はほとんどない。
・子供の頃のおやつはスルメだった。
・小学校時代、放課後に近所の肉屋や魚屋に言って手伝いの真似事していた。
「はい、おつり50万円」などとお客さんを笑わせるのが好きだった。
・中3の時、県の弁論大会で優勝。
・中学〜高校時代、軟式テニス部。インターハイ出場。
・高校時代、実家に自分の部屋がなかったので近所の長屋の2階で寝泊まり。
同級生やテニス部の仲間のたまり場になっていた。
・大学の入学金15万円を腹巻きに入れて寝台列車で上京した。
・大学時代、4畳半一間・風呂無しトイレ共同・家賃9000円のアパートに住んでいた。
・大学時代、落語研究会。高座名は5代目紫紺亭志い朝。
・大学時代、バンド活動をしていた。
■立川志の輔
□私生活
・好物…うどん。ウナギの肝焼き。くじらベーコン。昆布じめ。
みつ豆(中に入っている求肥、寒天が好き)。コーヒー。
・嫌いな食べ物…鯉の甘煮。こしあん。
・卵かけご飯が苦手だったが克服した。
・酒が好き。
・タバコが好き。
・健康法…寝る前にコップ1杯の水を飲む。
・飲尿療法を4ヵ月やってみた(効果がなかったようなのでやめた)。
・肺炎で入院(=21年1月)。
・左利き。
・古美術品が好き。
引っ越し祝いに実家から貰った階段箪笥が自慢の品。
・好きな音楽…ジャズ。
・好きな歌手…井上陽水(大ファン)。
・高所恐怖症。
・お風呂をためていたのを忘れて寝てしまい、
湯気で火災報知器が鳴って消防車が来てしまった。
・収集…アナログレコード。灰皿。
・住んでいる所…東京都目黒区(駒沢公園のそば=00.10現在)。
・いきつけ…
「スパロー」(富山県射水市=15.12現在)。
焼肉「韓々」(世田谷区駒沢、稲川淳二設計)。
富山料理「五万石」(千駄ヶ谷)。
・愛車…富山のディーラーが作った「ジャガーもどき」(中味は日産マーチ)。
・寝台列車が好き。
・劇場で舞台を観るのが大好き。1日3本観る事がある。
・人生初のホールインワンを出した(=18年)。
・キューバ、ベトナム、北朝鮮など人が行かない国に旅行に行く。
■立川志の輔
□人間関係
・春風亭昇太…友人。同期入門。毎年一緒にふたりで旅行に行く。
屋久島、ラスベガス、メキシコ、キューバ、
カンボジア、ベトナム、バリ島に行った。
なるべく人が行かない所に行ってネタにする。
昇太は準備も道中も何もしない。
・糸井重里…友人。
・春風亭小朝、笑福亭鶴瓶、春風亭昇太、立川志の輔、林家正蔵、柳家花緑
…落語界の革新を目指して「六人の会」を結成(=03年)。
・立川談之助…明治大学落語研究会の同期生。立川流の兄弟子。
・立川談幸…明治大学落語研究会の1年後輩。立川流の兄弟子。
・ダンカン…立川流の兄弟子(年齢は志の輔が上)。
・三宅裕司…明治大学落語研究会の2年先輩。4代目紫紺亭志い朝。
・渡辺正行…明治大学落語研究会の2年後輩。6代目紫紺亭志い朝。
・立川談志…師匠。志の輔が弟子入りして数カ月後、
真打ち制度を巡って落語協会と衝突の末に脱退して「立川流」を創設。
「お前は寄席では育てない。俺が個人的に育てる」と言われ、
入門して2年で二ツ目に昇進させてくれた。
・志村喬…劇団昂の養成所時代、志村の付き人を約半年やっていた。
・戸田宮子…上京当時下宿させて貰っていた。
※「素顔が一番」に出演(=02年)
・妻…?年結婚。高校時代の同級生。サラリーマン時代に結婚。
・子供:
長男…高2(=06.10現在)。落語に興味を持っている。
■立川志の輔
□エピソードなど
・劇団昂に入団(=76年)。
・大学卒業後2年半、昼間は劇団昂の養成所、夜は銀座の高級串揚げ店でアルバイト。
並行して三宅裕司、渡辺正行と一緒に落語会「紫紺亭志い朝の会」を開催。
・八百屋、会計事務所でアルバイト。
・ドラマ「太陽にほえろ」にバーテンダー役で出演(=74年)。
・広告制作会社ニットーに入社(=79年)。
いきつけの飲み屋で知り合った人に誘われて翌日面接を受けて入社して4年間勤務。
明治製菓「カール」のCMなどを手掛けた。
・28歳の時、駄目もとで落語家になる事を決意。
・自分で名刺を作って「喋る仕事ならなんでもやります」と営業して、
前職の広告会社のつてでCMナレーションの仕事を獲得。
・落語家新人時代、立川流が独立した為に演芸場に出られず、様々な場所で落語をやった。
本田劇場(芝居終了後)、寺、酒屋、そば屋の2階、能登半島の桟橋など。
客がひとりもいない会場でやった。
落語以外にギター演奏やちょっとした芝居をした。
・オープニングでライトにつまづいて転んで肋骨を骨折して痛みに耐えて2席やった事がある。
・高座に上がる前にアナログレコードを聴いて気持ちを盛り上げる。
・立川談志のモノマネができる。
・富山県新湊市の観光大使を務めた。
・3歳の時に離婚で別れた父親が楽屋に訪ねてきてくれた(=00年)。
・全国で年間約200の高座に出る。
・銀座落語会で英語落語「お菊の皿」を披露。
・地元で開催する「志の輔らくご」で富山弁で落語を披露。
・ブロードウェイの小さな劇場で英語落語をやって人情噺で外国人を泣かせたい。
凡例:20.01現在=2020年1月現在