■眞野あずさ(まの あずさ)
□肩書き
女優
□本名
真野あづさ
□生年
1957(昭和32)07.04(蟹座/A型)
□出身地
神奈川県鎌倉市
□出身校
横浜国立大学教育学部附属鎌倉中学校
神奈川県立光陵高校
聖心女子大学文学部英文学科卒業
□略歴
82年(25歳)ドラマ「風の鳴る国境」主演。
84年(27歳)朝ドラ「心はいつもラムネ色」出演。
85年(28歳)映画「食卓のない家」出演。
※他の主な出演:
舞台 「銭形平次」
映画 「恋人たちの時刻」「はぐれ刑事純情派」
ドラマ「はっさい先生」「代議士の妻たち2」「高校教師」
テレビ「世界のこれがNo.1」「中居正広のミになる図書館」「徹子の部屋」
CM 「JAL」「味の素」
□趣味
パソコン 英会話
□サイズ
165㎝
□特記事項
・姉は真野響子
・義兄は柴俊夫
・姪は柴本幸
■眞野あずさ
□幼少時代〜
・父親は航空会社の地上勤務職。
・5歳年上の姉、弟がいる。
・自宅は鎌倉の山の中にあった。
・親が毎週日曜日に美術館に連れて行ってくれた。
・父親に「勉強はしなくていい」と言われた。
夕食後は父親が好きなテレビ番組(SFや怪奇モノ)を家族全員で一緒に見た。
・両親の前では常に優等生だった。
親におねだりを全然しなかったので逆に母親から「何か買ってあげましょうか」と言われた。
・小学校時代、演劇部。
・中学時代、テニス部。
・学生時代に物理のテストで0点を取った。
・学生時代の門限は18:30だった。
・高校〜大学時代、「真野響子の妹」と騒がれるのが嫌だったので、
できるだけ目立たないようにしていた。
・父親に「女性に学歴は必要ない。短大で充分だ」と言われたのに反抗して
「残り2年の学費は自分で払う」と4年制の大学に進学した。
・大学3年の時、家族で東京に引っ越した。
・大学時代、学費を払う為にアルバイトに励んだ。
デパートのマネキン(お惣菜やハムを売った)、家庭教師、選挙事務所スタッフ、
株の電工掲示スタッフ、魚の叩き売り、ビジネスショーのオペレーターなどをやった。
・大学時代、雑誌「non-no」の専属モデルに応募して最終審査で落選。
その時の審査員にスカウトされてモデル事務所に入ってCMなどの仕事をした。
ギャラが良すぎて金銭感覚が麻痺していくのが怖かったので
モデルの仕事をやめて地道なアルバイト生活に戻った。
■眞野あずさ
□私生活
・健康法…有機野菜をたくさん摂る(お取り寄せする)。
・仕事のストレスで夜中に突然手足がしびれて呼吸困難になった(30歳の頃)。
・25歳の時にひとり暮らしをはじめた。
・失敗したくないので飲食店選びで冒険しない。
・自宅に泥棒に入られて現金20万円を盗まれた(=時期不詳)。
・いきつけ…「蕎麦処 葉山 鰹」(葉山=13.04現在)。
・落ち込みやすい。
・「普通の感覚」を大切にしたいと思っている。
・母親を介護した。
・姉ととても仲が良い。
・父親がサラリーマンなのでサラリーマンと結婚したいと思っていた。
・元夫には自分をさらけ出して甘える事ができた。
■眞野あずさ
□人間関係
・真野響子…女優。実の姉。
・柴俊夫…俳優。義兄。
・柴本幸…女優。姪。
・元夫…大手コンピューター会社勤務。89.12.25入籍、05.12.25円満離婚。
ビジネスショーのアルバイトで知り合った。約10年間交際して結婚。
プロポーズを2回断って3回目のプロポーズで結婚した。
□エピソードなど
・高校時代から何度も女優の誘いを受けていたが姉と比較されるのが嫌だったので断っていた。
・大学4年の時、雑誌「週刊朝日」の表紙を飾った。※要確認
・大学卒業後半年間、TBSラジオ局長の秘書のアルバイトをした。
・ドラマ「風の鳴る国境」出演後、出演するつもりだった映画の仕事を両親が断り、
事務所を辞めさせられて、半年間仕事をしなかった。
・ドラマ「心はいつもラムネ色」出演後、知名度と自分の実力のギャップに悩み、
女優を辞めるつもりで半年間仕事をしなかった。
・完璧主義者。いい作品を見ると自分の演技に嫌気がさしてしまう。
・舞台「完全姉妹」で姉・真野響子と姉妹役で共演(初の姉妹共演=13年)。
凡例:18.01現在=2018年1月現在