■片山右京(かたやま うきょう)
□肩書き
カーレーサー
□本名
片山右京
□生年
1963(昭和38)05.30(双子座/A型)
□出身地
神奈川県相模原市
□出身校
相模原市立鹿島台小学校
日本大学第三中学校
日本大学第三高校卒業
□略歴(満年齢)
92年(29歳)F1参戦。
94年(31歳)F1ブラジルGPで5位。
98年(35歳)ル・マン24時間耐久レース2位。
□趣味
読書 自転車 登山
□特技
ロッククライミング
□サイズ
165㎝
■片山右京
□幼少時代〜
・父親は医者。
お金がない患者に無料で薬をあげていた。
・未熟児として生まれた。
・姉が2人いる。
・「右京」という名前は叔父が命名(叔父の名前は「左京」)。
・父親はとても躾に厳しかった。
間違った事をするとすぐに殴られた(殴られて歯が折れた)。
父親は柔道、合気道、剣道の有段者でとても強かった。
・子供の頃、父親と一緒に登山や沢登りをした。
・小学校時代、書道教室をさぼって月謝でゲームセンターで使った。
・小学校時代、ブルース・リーの大ファンだった。
・小学校時代、伊豆や和歌山などに自転車旅行に行った。
旅先で知り合った人の家に泊めて貰った。
夜の山道でパンク、お金を盗まれる、不良にからまる、
警察に補導される、などのハプニングに遭遇。
・小学校時代、リトリリーグでピッチャー。
・中3の時、父親に反抗してビール瓶を片手に殴りかかり、
一本背負いでガラス戸を破って外の砂利道まで投げ飛ばされて気絶した。
・中学〜高校時代、陸上部。高校時代は駅伝選手で箱根駅伝出場を夢見ていた。
・高校時代、バイクが大好きだった。
・高校時代、将来体育教師になって休みに登山をしようと思っていた。
・高3の時、バイク事故で陸上を断念。
・高3の時、進路指導で「F1ドライバーになりたいです」と志望を述べた。
■片山右京
□私生活
・好物…肉。キーマロール。
・パンにソースを塗って食べる。
・酒が弱い。酒を無理に飲んで救急車で運ばれた事がある。
・健康法…プラントベースフード。
・白内障の手術を受けた。
・宮崎駿アニメが好き。「魔女の宅急便」は20回以上観た。
・好きな歌手…杉山清貴。スターダスト・レビュー。
・好きな俳優…ブルース・リー。
・ペット…猫(ロシアンブルー=11.07現在)。
・住んでいる所…神奈川県相模原市(自宅兼事務所=06.12現在)。
・モナコに住んでいた。
・自宅の壁にフリークライミングの練習用ホールドがある。
・いきつけ…炭火焼肉「いくどん」(神奈川県相模原市)。
・巨人ファン。
・愛車はトヨタ・プリウス(ハイブリッドカー=06.12現在)。
・一番多い時は約70台のクルマを持っていた。
・自転車が大好き。約75万円の自転車を所有。
■片山右京
□人間関係
・高田延彦&向井亜紀…家族ぐるみのつきあい。
CMで共演して仲良くなった。
・近藤真彦…友人。普段は酒を飲まないが近藤と会う時は飲む。
・原田知世…友人。若い頃から原田の大ファン。
・河村隆一、宮本和知、伊達公子…友人。
・ジャン・アレジ、デーモン・ヒル…友人。
・川淵三郎…ジャパンサイクルリーグ名誉顧問。
・角田裕毅、小林可夢偉、中嶋一貴、山本左近、佐藤琢磨、
高木虎之介、中野信治、野田英樹、井上隆智穂、片山右京、
鈴木亜久里、土屋圭市、中嶋悟、星野一義、高橋国光
…主な日本人F1レーサー(年齢順)。
・フェルスタッペン、ベッテル、ハミルトン、
アロンソ、バトン、シューマッハ、ハッキネン、アレジ、
セナ、プロスト、マンセル、ピケ、ニキ・ラウダ
…主なF1レーサー(年齢順)。
・堂本光一…F1の大ファン。フジテレビのF1中継に度々ゲスト出演。
・ゲルハルト・ベルガー…好きなF1ドライバー。
・植村直己…憧れている人。
・大林素子…片山のファン。
・掘雄登吉…レースを始めた頃の恩人。
※「ウチくる!?」に出演(=06年1月22日放送分)
・吉見明樹…高校の同級生。
※「ウチくる!?」にVTR出演(=06年1月22日放送分)
・留美子…一般女性。元自動車雑誌の編集者。?年結婚。
初めて会った時に「この人と結婚する」と感じた。
最初の2年間は文通で交際。
・子供:
長男…竜位。中2(=06.01現在)。
長女…莉沙。小6(=06.01現在)。
■片山右京
□エピソードなど
・18歳の時に教習所で初めてクルマに乗った。
・運転免許を取って初めて東名高速道路を走った時は恐くて仕方がなかった。
・筑波サーキットのレーシングガレージにメカニックとして勤務。
・デビューレース戦で優勝して年間チャンピオン(FJ1600=83年)。
・新人レーサー時代、活動資金不足に悩まされた。
他のレーサーが捨てたパーツやオイルを再利用。
パーツの組み立てからレース場への搬送まですべて自分でやった。
ハンドルにストップウォッチを取り付けて走りながらタイムを計測。
当時のニックネームは「コジキ」だった。
・鈴鹿のレースに1年間参戦した時、部屋を借りるお金がなかったので
当初は鈴鹿の海岸にブルーシートを敷いて1年間野宿生活。
・野宿生活後の2年間はプレハブの飯場小屋の2畳程度のスペースに寝かせて貰った。
冬はすきま風の中でレーシングスーツを着たまま震えながら寝た。
・フランスに武者修行(=85年)。
・パリでアパートを探した時、フランス語が全然わからなかったので
ソルボンヌ大学の前で学生に声をかけまくって日本語が判る人を見つけた。
・フランスのレーシングスクール時代、プロストが持っていた練習用コースのラップタイムを更新。
・ヨーロッパでF3000に参戦。「カミカゼ右京」と呼ばれた。
・ヨーロッパ武者修行から帰国後、父親が診療所を売って数千万円の資金援助をしてくれた。
その資金で買った新車で優勝争いに加わる事ができるようになった。
・全日本F3000選手権チャンピオン(=91年)。
・レースを始めたのが遅かったので、F1ドライバーとしてはテクニックが未熟だった。
・体調を崩して高熱を出し、レース中に血を吐きながら完走(=92年メキシコGP)。
・空中を7回転半してガードレールに激突する大クラッシュ(=95年ポルトガルGP)。
事故から3日間記憶が戻らなかった。
・F1レーサー時代の年収は数億円。モナコの高級マンションに住んでいた。
・F1全95戦中62戦は途中リタイア、「スピンキング」と呼ばれた。
・日本人ドライバーとしてF1最多出場記録を更新(=97年)。
・レースの前日は興奮して眠れない。
・F1レースの当日に毎回子供に「(お父さんに)何かあってもしっかり生きていけ」と話していた。
・長野五輪聖火ランナー(=98年)。
・ル・マン24時間レースで2位入賞、ファーステストラップを記録(=99年)。
・夢に挑戦するイベントチーム・Team UKYOを主宰、自転車での日本縦断などを企画。
・冒険家は子供の頃からの夢だった。
・登山のトレーニングの為に夜中の富士山に何度も登った。週に4日登った事がある。
食料を持たずに行って遭難の訓練をする。
・キリマンジャロ、アコンカグア、チェ・オ・ユーの登頂に成功。
・8000m級の山の頂上付近では酸素の薄さで幻覚を見る。
・アルゼンチンのアコンカグアに登頂した時に重い高山病にかかった(=98年)。
・全日本GT選手権に参戦(=01年)。
・エベレスト登頂に挑戦、悪天候と積雪の多さで頂上寸前で断念(=02年)。
・ホノルルマラソンを5時間54分39秒で完走(=02年)。
・パリ・ダカールラリーに初挑戦、初完走(=02年)。
・ドラマ「水戸黄門」ゲスト出演(ドラマ初出演=03年)。
・大阪産業大学の客員教授に就任(=05年)。
・天ぷら油を再利用したエコカーでパリダカに参戦(=07年)。
・東京五輪組織委員会で自転車競技に従事(3年半)。
・ジャパンサイクルリーグを設立して会長に就任(=21年)。
凡例:20.01現在=2020年1月現在