横山剣
■横山剣(よこやま けん)
□肩書き
歌手
□グループ
クレイジーケンバンド(97年〜)
□本名
横山正佳
□生年
1960(昭和35)07.06(蟹座/B型)
□出身地
神奈川県横浜市
□出身校
横浜市立大正中学校
堀越高校中退
□略歴(満年齢)
98年(38歳)アルバム「PUNCH!PUNCH!PUNCH!」でデビュー。
02年(42歳)シングル「タイガー&ドラゴン」をリリース。
03年(43歳)ドラマ「池袋ウエストゲートパーク スープの回」出演。
※他の主な出演:
舞台 「横山剣 大座長公演」
映画 「怪奇!!幽霊スナック殴り込み!」
ドラマ「続・最後から二番目の恋」
テレビ「オンタマ」
□趣味
バイク
□特技
ゲップでアイウエオ
■横山剣
□幼少時代〜
・父親(実父)はテレビ局から独立して広告関係の会社を経営。
・両親は東横線の車内で知り合った(父親が当時19歳の母親をナンパした)。
・父親の影響で音楽、ファッション、クルマに興味を持った。
・物心ついた頃から脳内にオリジナルのメロディが流れていた。
・わんぱくな子供だった。
悪さをして親にお仕置きで木に吊るされた事があった。
・7歳の頃、腎炎で入院。
・小学校低学年の頃に脳内にメロディが鳴り始めて作曲を始めた。
※当時作った曲でデビュー後に実際にレコーディングした曲がある
・9歳の時、両親が離婚して母親にひきとられた。
・小3〜小4の頃、開放日に米軍基地に遊びに行って強烈な印象を受けた。
ハンバーガーの美味しさに感動した。
・小5の時、「不良クラブ」を結成して昼休みに校舎の暗がりで女子とハグやキスをした。
・小5の夏休み、父親(実父)と一緒にアメリカ旅行に行った。
ロサンゼルス、ラスベガス、ハワイをまわった。
ラスベガスのギャンブルで買ったお金でセスナをチャーターしてグランドキャニオンに行った。
・小学生高学年の頃、中古レコードを実演販売をする屋台のおじさんと仲良くなり、
替え歌を歌って呼び込みの仕事を手伝ってお金を貰った。
そのおじさんから貰った段ボールいっぱいの中古レコードで様々な音楽に親しんだ。
・中学に入学する頃、母親が再婚して姓が「横山」になった。
・中学時代、巨大団地「横浜ドリームハイツ」に住んでいた。
・中学時代、チャリンコ暴走族・毒瓦斯を結成(リーダー)。
・中学時代、学園祭でキャロルを歌った。
・勉強が苦手だった。音楽の成績が「1」だった事がある。
・高校時代、ガソリンスタンドでアルバイト。
・高1の時に本牧の文化アパートでひとり暮らしをはじめた。
風呂・トイレ・庭付きで家賃1万円以下。
■横山剣
□私生活
・好物…羊羹。クリームソーダ。ココナッツミルク。
ルートビア。甘いもの。
・酒は全く飲めない。
・家ではパンツ1枚で過ごす。
・築20年以上の外人向け住宅に住んでいる(値下がりした時に購入=16.09現在)。
・18歳の頃に東京に引っ越したが2年で横浜に戻った。
・いきつけ…「ブギーカフェ」(横浜、40年通っている=20.10現在)。
・空手を習っていた。
・アメ車が好き。
愛車は1965年製のムスタング。
・ドライブ中にクルマの中で作曲してカセットテレコに録音する。
・20代半ばの頃に免停になった。
・クレイジーケンバンドバイクチームを結成。
千葉、葉山、富士スピードウェイにツーリングに行く。
・物忘れが激しい。
両親の誕生日を覚えられない。
10年以上一緒にやっているメンバーの名前を忘れる事がある。
・好奇心旺盛。
「まずい」と評判の店の味を確かめる。
・両親がショップ「スージーウォン」を経営(横浜、横山剣の私物を販売=10.08現在)。
・家族全員が血液型B型。
■横山剣
□人間関係
・大西ユカリ…音楽仲間。
・堺正章…ユニットでシングル「そんなこと言わないで」をリリース(=11年)。
・松崎しげる、ジェロ、一青窈、和田アキ子…楽曲を提供。
・高田純次…クレイジーケンバンドのPVに出演。
・志村けん…クレイジーケンバンドのファン。
・森光子…クレイジーケンバンドのファン。
小さなライブハウスに来てくれた。
・西城秀樹…好きな歌手。
西城の娘にあやかって次女を「りこ」と命名。
・三遊亭円楽(5代目)…好きな落語家。
・筒美京平…好きな作曲家。
・宮藤官九郎…横山のファン。
・CHIBO…CHIBOが経営する「Boogie Cafe」はクレイジーケンバンドの拠点。
・妻…?年結婚。元ミス横浜。
・子供:
長女…ことこ。4歳(=03.08現在)。
次女…りこ。03.07.31誕生。
第3子。
■横山剣
□エピソードなど
・中3の時、CM音楽を作曲したくて自ら代理店に電話した。
・高校中退後、ロサンゼルスで大量に仕入れた安いシャツを山下公園や代々木公園で販売。
・クールスのボーカルとして「シンデレラ・リバティ」でデビュー(=81年)。
・クールス時代、給料10万円で生活できなかったので、
関内でホステスの送迎、本牧埠頭で陸送の仕事をしていた。
・レコード会社との意見の相違でクールスを脱退してダックテイルズを結成(=84年)。
・20代の頃にCM「コカコーラ」に出演。
・ダックテールズの一員として「芸能人水泳大会」に出演(=85年)。
・グアム島で開催されたジャニーズ系の運動会に出場して100m走で近藤真彦に次いで2位。
・20代半ばの頃に横浜に戻ってアマチュアでバンド活動を続けた。
・昼間の仕事をしながらバンド活動、作曲活動を続けた。
友人が経営する不動産会社や中古車屋の幽霊役員、
中華街に食材配達、2tトラックで酒屋にビール配達、烏龍茶の実演販売、など。
・貨物検査会社のサラリーマンとして横浜港で輸出貨物の検査員をしていた(94年から8年間)。
・35歳の時にプライベートレーベル「ダブルジョイレコーズ」を設立。
・ソロ作品「クレイジーケンの世界」を発表(=95年)。
・クレイジーケンバンド結成当初はアルバムは自主制作。
数百万円の制作費をギリギリ回収できるかどうかという売上だった。
流通ルートを独自に開拓してクルマ屋や雑貨屋に置いて貰った。
・ディープな音楽ファンにアピールする為にアナログ盤を制作、
クラブでDJがかけてくれた事で次第に認知されるようになった。
・クレイジーケンバンドはメンバーの都合や構成によって参加人数がかわる。
平均10人。平均年齢は40歳以上。
・シングル「タイガー&ドラゴン」は和田アキ子のモノマネで歌った仮歌を採用。
・横浜市立みなと総合高校の校歌を作曲(=05年)。
・09年にメジャーのレコード会社に移籍以降、CMソングや楽曲提供の仕事が増えた。
・「昼顔」は西友のCMソング。
・決め台詞の「イーネッ!」は小学生の頃からの口癖。
・父・人士、母・豊美が「メレンゲの気持ち」に出演(=10年8月28日放送分)。
・主な著書:
著書「夜のエアポケット」(ぴあ=02年)
自伝「マイ・スタンダード」(=07年)
凡例:20.01現在=2020年1月現在