栗山英樹
■栗山英樹(くりやま ひでき)
□肩書き
野球選手(90年引退)
野球指導者
□所属
ヤクルトスワローズ(84年〜90年)※現役
北海道日本ハムファイターズ(12年〜21年)※監督
□本名
栗山秀樹
□生年
1961(昭和36)04.26(牡牛座/A型)
□出身地
東京都小平市
□出身校
小平市立第十三小学校
小平市立第ニ中学校
創価高校
東京学芸大学卒業
□略歴(満年齢)
84年(23歳)ドラフト外でヤクルトスワローズに入団。
12年(51歳)北海道日本ハムファイターズの監督に就任。
21年(60歳)日本代表監督に就任。
※入団、就任は野球シーズン年度
※通算成績:
494試合、336安打、.279、7本、67打点
※主なタイトル・表彰:
ゴールデングラブ賞1回
※主な出演:
テレビ「スポーツフロンティア」「報道ステーション」「GET SPORTS」
CM 「ナムコ ワールドスタジアム5」「第一三共ヘルスケア ルルアタックIB」
□趣味
読書 映画観賞 旅行
□資格・免許
教員免許(小・中・高校の体育)
□サイズ
176㎝
■栗山英樹
□幼少時代〜
・兄がいる。
・父親は躾に厳しかった。
食事中に正座を崩すと庭に投げ捨てられた。
・小学校時代、父親が監督を務める少年野球チーム「富士見スネークス」。
・父親に「巨人の星」のように徹底的にしごかれた。
・中学時代、レベルが低すぎたので野球部を避けて、
野球に必要な足腰を鍛える為にバレーボール部に入った。
成長期に練習のしすぎで両膝に水がたまって医者にスポーツを止めらて
バレーボールをやめて野球に戻った(野球はスポーツと思っていなかった)。
・中3の時、日本代表としてアメリカのチームと対戦、
ドジャースのスカウトに声をかけられた。
・父親に「プロより指導者を目指せ」と言われ、猛勉強して学芸大学に合格。
・大学時代、野球部の予算が少なかったのでバットを1本折ると皆で悔しがった。
備品購入の為にアルバイトに励んだ。
・大学時代、小学校の教員免許の為にピアノを練習した。
・大学時代、投手として25勝8敗。打者として通算.398(リーグ史上3位)。
■栗山英樹
□私生活
・好物…ラーメン(遠征先で勝った時にご褒美として食べる)。
・難病のメニエール病を患った(=87〜88年)。
耳の機能を麻痺させる薬を服用して克服。
・中国の古典のCDを移動中に聞く(「韓非子」「菜根譚」など)。
気に入ったフレーズは監督室のホワイトボードに書く。
・住んでいる所…北海道栗山町(=23.02現在)。
・住んでいた所…東京都東村山市。
・いきつけ…
「Wakiya一笑美茶樓」(赤坂=23.03現在)。
「廬山」(北海道栗山町、あんかけ焼きそば=23.03現在)。
・昆虫が大好き。
野球界をリタイア後に昆虫博士にになりたいと思っている。
・座右の銘…「夢は正夢」。
■栗山英樹
□人間関係
・池山隆寛、高野光…ヤクルトの同期入団。
・若松勉…入団1年目の秋季練習で若松のアドバイスでスイッチヒッターに転向。
・内藤博文…ヤクルト入団当時の2軍監督。
「2年で1軍に上がれなかったら俺が責任を取って辞める」とフロントにかけあって
栗山の入団を後押ししてくれた。
・吉田輝星、清宮幸太郎、堀瑞輝、伊藤大海、大谷翔平、
上沢直之、近藤健介、有原航平、西川遥輝、中島卓也、
大田泰示、中田翔、斎藤佑樹、レアード、陽岱鋼、ダルビッシュ有、
宮西尚生、金子千尋、糸井嘉男、田中賢介、森本稀哲、小笠原道大、
稲葉篤紀、木田優夫、武田一浩、トレイ・ヒルマン、栗山秀樹、
大島康徳、江夏豊、張本勲
…北海道日本ハムファイターズ所属(移籍・引退・監督・前身チームを含む)。
・明石家さんま…ファイターズ公式ファンクラブ名誉師匠。
・原幹恵、蛍原徹、天海祐希、久保田利伸、えのきどいちろう、
カルーセル麻紀、鈴木宗男…ファイターズのファン。
・原辰徳…子供の頃から憧れていた。
・三原脩…監督として尊敬している。
三原が残した野球ノートを参考にしている。
・福島弓子、伊達公子…交際を噂された。
■栗山英樹
□エピソードなど
・ヤクルトと西武の入団テストを受けてヤクルトに合格。
・入団1年目、プロの練習についていけず、身体がパニックになり、
内野手の練習中にスローイングがランナーの頭に直撃した。
・シーズン打率.331(規定打席不足=88年)。
・1試合4犠打(=89年)。
・シングル「フォー・シーズンズ」をリリース(=93年)。
・現役時代、女性ファンがたくさんいた。
・天然芝の手作り野球場「栗の樹ファーム」を作った(=02年)。
・中国の古典を読んで組織論を学んだ。
・ソフトバンクとの11.5ゲーム差を大逆転してリーグ優勝(=16年)。
試合後のインタビューで「北の国から2016 伝説(誰もあきらめなかった)」と評した。
・正力松太郎賞を受賞(=16年)。
・ドラフト会議でくじ引き5連敗。
・日本代表監督として第5回WBC優勝(=23年)。
・新球場エスコンフィールドHOKKAIDOの開幕戦で梨田昌孝、ヒルマンとともに始球式(=23年)。
凡例:20.01現在=2020年1月現在