李麗仙

李麗仙


■李麗仙(りれいせん)

 

□肩書き

 女優

 

□本名

 李初子

 

□旧芸名

 星山初子 

 李礼仙 

 

□生年

 1942(昭和17)02.25(牡羊座/A型)

 

□没年

 2021(令和03)06.22(享年79)肺炎

 

□出身地

 東京都新宿区

 

□出身校

 東京都立広尾高校

 舞台芸術学院中退

 

□略歴(満年齢)

 63年(21歳)劇団状況劇場に参加。舞台「恭しき娼婦」に出演。

 74年(32歳)映画「女囚さそり けもの部屋」出演。

 95年(53歳)ドラマ「3年B組金八先生」に出演。

 ※他の主な出演:

  舞台 「腰巻お仙」「二都物語」「アカシヤの雨にうたれて」

  映画 「任侠外伝 玄界灘」「夜を賭けて」「蟲師」

  ドラマ「親子ジグザグ」「東京湾景」「契約結婚」

 

□趣味

 お香 競馬 ドライブ 

 

□特技

 料理

 

□特筆事項

・元夫は唐十郎

・長男は大鶴義丹


■李麗仙

 

□幼少時代〜

・父親はパチンコ店を数店経営。

・在日韓国人三世。

・6人きょうだいの長女(第1子)。

・在日二世の両親は日本語を話した。

・日本の学校に通った。

・子供の頃、美空ひばりの歌を歌うのが大好きだったが、

 近所のおばさんに「ドラ声ね」と言われてから、

 人前で歌うのが恥ずかしくなってトイレでこっそり歌った。

・在日韓国人という事でいじめられた事はなく、逆に日本人の男の子をいじめていた。

 「お前の父ちゃん、朝鮮人じゃないか!」とからかわれると

 「お前の父ちゃん、日本人じゃないか!」と大声で言い返した。

・小学校〜中学時代、「星山初子」という日本名を使っていた。

・将来美容師になりたいと思っていた。

・中3の時、ギャンブルにのめりこんで財産を失った父親が家庭を捨てて他の女性の元へ走り、

 母親が屋台のおでん屋を始めた。

・高校時代、アルバイトで授業料の殆どを自分で支払い、

 制服が買えなかったので中学校のセーラー服を着続けた。

・高校時代、演劇部。

 主演した文化祭の芝居で総立ちの観客から拍手を貰った時に「女優になりたい」と思った。

・舞台芸術学院時代、一番早く教室へ行って最前列の席に座った。

 唄や踊りの授業をボイコットしてデモに参加すべきだと主張する同級生と衝突した。


■李麗仙

 

□私生活

・好物…漬物。

・健康法…足ぶみ。エアロビクス(多い時は週5回)。

・着物が好き。

・病院(特に大学病院)が苦手。

・ペット…犬(ボーダーコリー、名前はスコット=07.06現在)。

・住んでいる所…東京都(大鶴義丹と二世帯住宅で同居=07.06現在)。

・いきつけ…

 純韓国料理「アリラン」(赤坂)。

 神代植物公園(調布市)。

・日本国籍を取得(=75年)。


■李麗仙

 

□人間関係

・西舘好子…親友。※井上ひさしの妻

・瀬戸内寂聴…友人。

・渡辺いっけい、佐野史郎、六平直政、小林薫、根津甚八、不破万作、

 四谷シモン、大久保鷹、麿赤児、唐十郎

 …劇団状況劇場出身(年齢順、唐十郎は主宰者)。

・マルシア…長男の元妻。

・唐十郎…67年結婚、88年4月離婚。離婚と同時に劇団状況劇場は解散。

・子供:

 長男…大鶴義丹。68.04.24誕生。俳優、作家。


■李麗仙

 

□エピソードなど

・ウェートレスのアルバイトをしていた喫茶店に唐十郎が客として来て知り合い、

 舞台芸術学院を中退して劇団状況劇場に参加、同時に4畳半のアパートで同棲を始めた。

・参加した当時の劇団状況劇場は無名で観客は数十人、

 劇団員が次々に辞めて唐十郎と李麗仙のふたりだけになってしまった。

・喫茶店のアルバイト代は芝居の費用や踊りのレッスンにつぎこんでいたので生活は苦しかった。

 一尾の魚をふたりで分けあって食べた。

 下着や化粧クリームを買う余裕がなかった。

・舞台女優を始めた頃、周囲の左翼っぽい人から「君は意識が低い」とよく言われた。

・劇団の資金作りの為に唐十郎と一緒に全国のキャバレーを5年間廻り、

 金粉ショーや荒塩ショーのダンサーをやった。

・最初の紅テントはキャバレー廻りで貯めた資金で18万円で購入。

・状況劇場の看板女優として約50本の舞台に主演して「アングラの女王」と呼ばれた。

・70年代に日本国籍を取得。

・芸名を「李礼仙」から「李麗仙」に改名(=87年)。

・舞台「ベンガルの虎」演出・主演(=88年)。

・エッセイ集「五つの名前」出版(集英社=99年)。

凡例:20.01現在=2020年1月現在