■星野仙一(ほしの せんいち)
□肩書き
プロ野球選手
プロ野球指導者
□所属
中日ドラゴンズ(69年〜82年)※現役
中日ドラゴンズ(87年〜01年)※監督
阪神タイガース(02年〜03年)※監督
楽天イーグルス(11年〜14年)※監督
□生年
1947(昭和22)01.22(水瓶座/O型)
□没年
2018(平成30)01.04(享年70)膵臓がん
□出身地
岡山県倉敷市
□出身校
大福田小学校
水島中学校
岡山県立倉敷商業高校
明治大学政経学部経済学科卒業
□略歴(満年齢)
69年(22歳)ドラフト1位で中日ドラゴンズに入団。
87年(40歳)中日ドラゴンズの監督に就任。
08年(61歳)北京五輪監督(4位)。
※入団、就任は野球シーズン年度
※現役時代の通算成績:
500試合、146勝121敗34S、防御率3.60、1225奪三振
※主なタイトル・表彰:
最多セーブ投手1回、沢村勝1回
※主な出演:
テレビ「サンデースポーツ」
CM 「アメリカンホームダイレクト」「キリンビバレッジ」「大和證券」
□趣味
音楽観賞 スポーツ観戦 ゴルフ
□サイズ
180㎝
□特記事項
・巨人キラー
・66歳で日本シリーズ優勝(最年長記録)
■星野仙一
□幼少時代〜
・父親は三菱重工水島の工場長。
星野が産まれる3ヵ月前に脳挫傷で他界。
・姉が2人いる。
・家は裕福ではなかった。
・母親は工場の寮母、行商などさまざまな仕事をしていた。
四国に行商に行くと1週間帰って来なかった。
もろぶた、トロ箱、げた箱まで売って食いつないだ。
・幼稚園時代、体が大きすぎて制服が似合わなかった。
・幼稚園の頃からガキ大将だった。
小学校時代には「ケンカ太郎」と呼ばれていた。
・納得できない判定には子供の頃から真剣に審判に食ってかかった。
・小学校時代、身体が不自由なクラスメイトを毎日おぶって登校、
休み時間にトイレに連れて行ってあげた。
・小学校時代、阪神タイガースが大好きだった。
・小4の時、姉に高校野球観戦に連れて行って貰ったのをきっかけにプロ野球選手を志した。
・中3の時、エースで4番でキャプテン。
・高校時代、数学が苦手だった。
そろばんのテストで前の席の生徒がこっそり答案を見せてくれた。
・高校時代、女の子によくモテた。
・高校時代、倉敷市を統治下に置く番長だった。
よく他校の不良とケンカした。何度か警察沙汰になった。
弱い者いじめはしなかった。
・高3の時、地方大会決勝で破れて甲子園出場を逃した。
・父親がいなかった事でよく差別された。
・母親に強く勧められて大学進学を決意した。
・大学に入学して上京した日に駅で目があってボコボコにした学生が野球部の先輩だった。
・大学時代、幼稚園勤務の姉から仕送りを貰っていた。
・学生時代、チームメイトがエラーをすると上級生でも怒鳴り付けた。
・大学2年の秋、東京六大学リーグ戦(立大戦)でノーヒットノーラン。
■星野仙一
□私生活
・好物…ひつまぶし。おむそば。スパゲティカルボナーラ。お好み焼き。
ホルモン鍋。酢豚。スジ肉。メンチカツ。
鰆の味噌煮。アジの干物。イカの塩辛。あわびの天ぷら。
れんこんのきんぴら。あんこ。コーヒー。甘いもの。辛いもの。
・嫌いな食べ物…みそ煮込みうどん。パクチー。春菊のおひたし。
・得意料理…広島風お好み焼き(自宅に鉄板付きのテーブルがある)。
・朝食は近所の喫茶店のモーニングで済ませる。
・酒は飲めない。
・葉巻が好き。
・持病…高血圧。糖尿病。腰痛。ムチ打ちの後遺症。
・胸椎黄色靱帯骨化症と腰椎椎間板ヘルニアの手術を受けた(監督業を休養=14年)。
・花粉症。
・涙もろい。
・好きなマンガ…「ゴルゴ13」。
・音楽のジャンルごとにiPodを使い分ける。
・バラエティ番組が好き。
・ローデンストックの眼鏡を愛用(約200個所有)。
・住んでいた所…兵庫県芦屋市。
・別荘がある所…オーストラリア・ゴールドコースト(=08.06現在)。
毎年年末年始の1ヵ月をオーストラリア・ゴールドコーストで過ごす。
・「バカヤロー」が口癖。
・人が好き。来る者は拒まない。
付き合う人の身分や地位は一切気にしない。
・母親は91歳で他界(=03年)。
・上の姉は幼稚園園長、新規採用教員指導員。
■星野仙一
□人間関係
・田淵幸一、山本浩二…親友。ドラフト同期生。大学時代からのライバル。
北京五輪日本代表で一緒に仕事をした(星野が監督、田淵と山本がコーチ)。
・小田和正…親友。
・板東英二…友人。中日ドラゴンズの先輩。
・宮崎美子…友人。
昔から星野ファンで阪神ファン(星野が阪神の監督に就任した時に狂喜)。
・明石家さんま、石橋貴明、鳳蘭…友人。
・栃東大祐…栃東の父親と親交がある。子供の頃から面倒を見た。化粧まわしをプレゼント。
・金本知憲…しつこく口説いて阪神への移籍を承諾させた。
・田尾安志…星野の監督としての手腕を高く評価。著書「星野仙一猛虎革命」を出版。
・有藤通世、東尾修、福本豊、山田久志…ドラフト同期生。
・イジリー岡田…星野のモノマネをする。
・みのもんた…星野の乱闘シーンに想像で面白いナレーションを付けた。
※「プロ野球好プレー珍プレー」
・千秋…大の阪神ファン。
03年阪神優勝の際に星野仙一にちなんで1001個の優勝記念紅白饅頭を作った。
・宇梶剛士…星野を心の師と仰いでいる。
・浅香光代…星野のファン。
・宅麻伸…昔から星野を応援。ユニフォームをあげた。同郷。
・高田繁…大学の1年先輩。
・松岡弘…高校の1年後輩。
・扶沙子…?年結婚。※白血病で他界(享年52=97.01.31)。
・子供:
長女。
次女…和華。
※孫が3人いる(=07.11現在)
■星野仙一
□エピソードなど
・ジャイアンツから事前に「ドラフトで田淵を他に指名された時は1位で指名する」
と言われていたが実際には指名されなかった。
それがきっかけで巨人への激しい対抗心が芽生えたと言われている。
・入団契約金で大学時代の仕送りの合計400万円をまっさきに母親に返した。
・入団契約金で大学の野球部の同級生と芸者遊びをした。
・プロ1年目に8勝をマーク(=69年)。
・ジャアンツキラーとして活躍。ジャイアンツ戦10連勝を記録(=71年〜73年)。
初登板で監督の報復指令を実行(前日の試合で中日の主砲が死球で負傷退場)。
ジャイアンツ戦以外は全国中継があるので燃えなかった。
ジャイアンツ戦通算35勝(歴代6位)。
・16勝を挙げてエースの座を不動にした(=73年)。
・先発・抑えでフル回転して15勝9敗10セーブ、防御率2.87でセリーグ優勝
(ジャイアンツの10連覇を阻止=74年)。
・自己最多の18勝をマーク(=77年)。
・マウンドで闘志をむき出しにするピッチングスタイルで「燃える男」と呼ばれた。
大事な場面では徹底して打者の内角を攻めた。
大事な場面でバッターを抑えるとガッツポーズをした。
・引退直前は肩と肘の痛みを抑える為に打った痛み止めの副作用(湿疹)に悩まされた。
・乱闘になると先頭に立って暴れる監督だった。
何度も退場処分になった。乱闘に参加しない選手に罰金を課した。
・監督として時に鉄拳制裁も辞さない熱血指導をする一方、
プロ初勝利を挙げた投手や活躍した選手には自腹で高級腕時計などをプレゼントした。
・ベンチ裏の茶碗をプラスチック製に変えられた時に自腹で割れる陶器に戻したらしい。
・妻が他界した日に名古屋ドームが落成してチーム全員で記念撮影をした。
・03年のシーズン中、優勝へのプレッシャーで勝てば勝つ程体調が悪化した。
・リーグ優勝決定の2日前に母親が他界、優勝決定当日の告別式を欠席(=03年)。
・監督通算1181勝(歴代10位)。
・シングル「街の灯がゆれる」をリリース(=81年)。
・NHKの専属スポーツキャスターに就任(=93年)。
・大阪人間科学大学の客員教授に就任(=04年)。
凡例:18.01現在=2018年1月現在