■岸部一徳(きしべ いっとく)
□肩書き
俳優
□所属グループ
ザ・タイガース
□本名・旧芸名
岸部修三
□愛称
サリー
□生年
1947(昭和22)01.09(山羊座/A型)
□出身地
京都府京都市
□出身校
京都市立伏見工業高校建築科
□略歴(満年齢)
67年(20歳)ザ・タイガースとして「僕のマリー」で歌手デビュー(→71年解散)。
75年(28歳)ドラマ「悪魔のようなあいつ」出演。
90年(43歳)映画「死の棘」主演。
※他の主な出演:
映画 「その男、凶暴につき」「青春デンデケデケデケ」「釣りバカ日誌20 ファイナル」
ドラマ「黄金の日日」「ふたりっ子」「ドクターX 外科医 大門未知子」
CM 「アサヒ飲料 WONDA缶コーヒー」「サッポロビール 黒ラベル」
□趣味
映画観賞
□サイズ
181㎝
□特記事項
・弟は岸部四郎
・日本アカデミー最優秀主演男優賞(90年「死の棘」)
■岸部一徳
□幼少時代
・父親は元職業軍人(戦時中は憲兵)、
戦後は定職に就かず時々旅に出て稼いできた。
・父親は遊び人だった。父親の借金がたまってくると夜逃げした。
・6人きょうだい。岸部四郎は実弟。
・4畳半の部屋に一家9人で住んでいた。父親の妾とその子供と同居していた。
・中学時代、瞳みのる、森本太郎と知り合った。
・高校時代、ザ・タイガースの前身バンド(サリーとプレイボーイズ)を結成。
結成理由は「女の子にモテたかったから」。
パーティー券を売ってダンスパーティーで演奏。
□私生活
・運転免許を持っていない(=05.06現在)。
・電車をよく利用する。
・30代の仕事がない時期は育児に没頭。連日娘を公園に連れて行った。
・妻のご近所トラブルが裁判沙汰に発展した。
■岸部一徳
□人間関係
・ベンガル…友人。飲み友達。
・沢田研二、加橋かつみ、瞳みのる、森本太郎、岸部一徳、岸部四郎
…ザ・タイガースのメンバー。69年に加橋が脱退後に岸部四郎が加入。
・妻…?年結婚。六本木のバーで知り合ったらしい。
・子供:3人。
■岸部一徳
□エピソードなど
・ボーカルとして沢田をスカウトした後、グループ名を「ファニーズ」に変えた。
・大阪でメンバーと共同生活をしながら音楽喫茶「ナンバ一番」に出演。
ゲスト出演した内田裕也に「東京でオーディションを受けてみろ」と勧められた。
・ザ・タイガース時代の愛称は「サリー」。
・ザ・タイガースのリーダー。
・タイガース時代、ヒットが出る迄の半年間、メンバー5人で共同生活。
世田谷区千歳烏山の一軒家(8畳、4畳半、キッチン)。
「ファンの女性と交際禁止」「無断外泊禁止」「掃除と食事は当番制」などの掟があった。
人気が出て家にファンがおしかけて雨戸に穴をあけて中をのぞくようになって引っ越した。
・タイガーズとしてデビュー当初、全国各地のジャズ喫茶で連日昼夜10回のステージ。
新宿「ACB」池袋「ドラム」京都「田園」大阪「ナンバ一番」などで歌った。
睡眠時間は1日数時間。
・タイガースの全盛時代、クルマで移動する時は警察が道路封鎖、
飛行機のタラップの横まで直接乗り付けていた。
・タイガース時代、ギャラはどんどん上がったが忙しくて使う暇がなかった。
・コンサートで将棋倒しになった女性ファン数十人が負傷(=67年)。
・GS(グループサウンズ)の主な人気バンド(主なメンバー):
スパイダース(かまやつひろし、井上順、堺正章)
テンプターズ(萩原健一)
ブルーコメッツ(ジャッキ一吉川、井上大輔)
ワイルドワンズ(鳥塚しげき、加瀬邦彦)
モップス(鈴木ヒロミツ)
※他に、サベージ、バニーズ、ゴールデンカップス、ダイナマイツ、クーガーズなど
・オールスターバンド・PYGに参加(71年結成、72年解散)。
・PYG解散後にベーシストとして井上堯之バンドに参加(75年脱退)。
・芸名を「岸辺修三」から「岸部一徳」に改名(樹木希林が命名)。
・俳優の仕事を始めて最初の数年は殆どオファーがこなかった。
・地方ロケの合間に目的もなくぶらぶら歩くのが好き。
・映画「死の棘」で日本アカデミー賞最優秀主演男優賞(=90年度)。
凡例:19.01現在=2019年1月現在