山本リンダ
■山本リンダ(やまもと りんだ)
□肩書き
モデル 歌手 女優
□本名(旧姓)
山本あつこ
□生年
1951(昭和26)03.04(魚座/O型)
□出身地
福岡県北九州市小倉区→神奈川県横浜市
□出身校
横浜市立神橋小学校
横浜市立六角橋中学校
横浜市立港高校
□略歴(満年齢)
66年(15歳)「こまっちゃうナ」でデビュー。
67年(16歳)紅白歌合戦初出場。
72年(21歳)「どうにもとまらない」がヒット。
※他の主な出演など:
舞台「青春オンステージ」「ローマで起こった奇妙な出来事」
映画「花と果実」
ドラマ「てなもんや三度笠」「スーパーガール」「いちご白書」
テレビ「徹子の部屋」
楽曲「狂わせたいの」「じんじんさせて」「狙いうち」
□趣味
山歩き 水泳
□特技
茶道
□サイズ
168㎝
□特記事項
・父親はアメリカ人
■山本リンダ
□幼少時代〜
・父親はアメリカ軍人。
・母親は元ダンサー。
・ひとりっ子。
・1歳の時、父親が朝鮮戦争で戦死。※父親の記憶は全くない
・5歳の時、横浜に引っ越した。
・家は裕福ではなかった。
母親が蒲団を縫う内職や魚市場での仕事で家計を支えてくれた。
・子供の頃から歌が好きだった。
夜に星を見ながら2時間歌った。
よく母親が買ってきたレコードにあわせて歌って踊った。
・おてんばな子供だった。
・アメリカの叔母が服や人形を送ってくれた。
・ハーフという事でイジメられた。
・高1の時、近所に住んでいた4歳年上の大学生と交際、プロポーズされた。
■山本リンダ
□私生活
・好物…とんこつラーメン。しゃぶしゃぶ。焼肉。
・得意料理…そうめんで作るボンゴレ。牛テールのスープ。
酢の物。みかん。
・朝と昼をしっかり食べる。夜は少食。
・健康法…起き抜けに冷たい水を1杯飲む。アロエベラジュース。
黒酢(常時携帯、どんな料理にもかける)。はちみつ生姜。
アロエはちみつ漬け(自家製、ヨーグルトと一緒に食べる)。
根コンブの黒酢漬け(自家製)。5本指の靴下。
炭(米を炊く時に入れる、風呂に入れる、部屋のあちこちに置く)。
馬のしっぽの毛のブラシで全身マッサージ。
トレーニング器具(通販で購入)。姿勢矯正用の健康器具。
後ろ向きに階段を降りる。
エアロビクス。水泳(姿勢を良くする為に背泳ぎ)。
※これまでに試した健康法は100以上
・自宅のあちこちに健康器具を置いてある。
・植木が好き。地方に行った時によく買う。
・シャンソンが好き。アダモにファンレターを出した事がある。
・好きなアーティスト…岸洋子。
・オリンピック観戦が好き。
・普段の服は地味。
・ペット…
犬(名前はトム=04.06現在)。
猫(拾い猫、名前はチョコ、牝、18歳で他界=21年夏)。
・都内の3階建ての自宅に叔母と同居中(=99.09現在)。
・いきつけ…割烹「はる芳」(港区六本木=女将は友人の井出はる子さん)。
・創価大学の通信教育部を受講中(=10年現在)。
・自転車を愛用。
健康の為に電動アシストを切って一番キツいギアで坂道を登る。
・忘れ物が多い。眼鏡や携帯の置き場所をよく忘れる。
自転車で出かけた事を忘れてタクシーで帰って来る事がある。
・海や山が大好き。
自然の綺麗な風景の写真をよく撮る。
・人との触れ合いが好き。
・母親の為に世田谷に一軒家を購入(=74年)。
・母親が事故で他界(享年50=75年)。※[76年他界]とする媒体もある
・近所づきあいをしている。近所の盆踊り大会に参加。
・好きなタイプ…素朴で温かい男性。
・夫は家事が得意。
・夫と一緒に長い散歩に行く。
・夫と一緒に自転車で近所の公園に行く。
■山本リンダ
□人間関係
・天地真理…友人。若い頃からの仲良し。
・岸本加世子、久本雅美…友人。お互いによく相談をする。
・三田明…ジョイントコンサートをやった事が何度かある。
・尾崎紀世彦、西郷輝彦、清水アキラ、錦野旦、橋幸夫、布施明、三田明、
小川知子、金沢明子、今陽子、ジュディ・オング、黛ジュン
…橋幸夫の呼び掛けに応じてチャリティー組織・絆の会を結成して
阪神大震災の被災者救済のチャリティーコンサートを開催。
・うつみ宮土理、瀬川瑛子、神野美伽
…うつみのプロデュースで4人でスーパーBABABAコンサートを開催、
レオタード姿でダンスを披露した(=01年)。
・安室奈美恵…ドラマ「いちご白書」で親子役で共演(=93年)。
・荒木一郎、森進一、青江三奈、加藤登紀子…歌手デビュー同期生。
・カールスモーキー石井…コンサートで山本リンダメドレーを歌っていた。
・加藤浩次…レーザーカラオケ「山本リンダメドレー」に出演(=91年)。
・欧陽菲菲、金井克子、夏木マリ…リンダと同時期に成熟路線で人気があった。
・西城秀樹…激しい振り付けでリンダと共に「アクションスタア」と呼ばれていた。
・柴田理恵…中学の修学旅行で山本リンダのモノマネをして喝采を受けたのをきっかけに、
友達が増えて性格が明るくなり、演劇を志すようになった。
・さくらももこ…リンダのファン。
マンガ「ちびまる子ちゃん」で主人公にリンダの曲を歌わせた。
・IKKO…リンダのファン。
・米良美一、上沼恵美子、酒井法子…リンダのモノマネができる。
・遠藤実…作曲家。リンダの写真を見て「この子は絶対に歌がうまい」と断言。
初対面の時に遠藤に「ボーイフレンドはいるの?」と訊かれて
「こまっちゃうな…」と答えてデビュー曲の「こまっちゃうナ」が生まれた。
・森本貴幸…森本の母親と親交がある。
・サンドラ・バッハー…従姉妹。柔道選手(バルセロナ五輪、アトランタ五輪出場)。
・稲葉光彦…大学教授。01.05.03入籍。7歳年上。
知人の紹介で知り合って交際3ヵ月でプロポーズされた。
死別した前妻との間に1男1女がある。横浜出身同士。専門は福祉関係。
■山本リンダ
□エピソードなど
・中1の時、雑誌「装苑」の少女モデル募集に合格してモデルの仕事を始めた。
・雑誌との1年間の契約が切れた後、自分であちこちに電話してモデルの仕事を続けた。
・NHK「夢のセレナーデ」のカバーガールを務める(=65年)。
・モデル時代にツイギーと共演した。
・高1の時、横浜市内のジャズ喫茶で開かれたのど自慢大会に出演して合格。
・デビュー曲「こまっちゃうナ」は100万枚のヒット。
レコード会社が社運をかけて大キャンペーンを展開した。
・歌手デビュー当時のキャッチフレーズは「歌うファッションモデル」。
・デビュー当時はブリっ子アイドルだった。
・デビュー曲の衣装はミニスカート。
・デビュー当時は倫理規定が厳しくてNHKで歌わせて貰えなかったが、
のど自慢で子供がたくさん歌って解禁になった。
・アメリカの6大都市で1ヵ月公演、「ジャパニーズ・ツイギー」と呼ばれた(=67年)。
・ドラマ「仮面ライダー」にレギュラー出演(=71年)。
・大阪万博のテーマソング「世界の国からこんにちは」をリリース。
レコード各社競作でリンダの他に、坂本九、三波春夫、倍賞美津子、吉永小百合がリリース。
・シングル「どうにもとまらない」リリースの際、
レコード会社が日本初のプロジェクトチームを結成して大キャンペーンを展開。
・シングル「どうにもとまらない」で作詞・阿久悠、作曲・都倉俊一が初めてコンビを組んだ。
・海外レコーディングが珍しかった時代に「燃えつきそう」をブラジルでレコーディングした。
・当時は斬新だった身体を露出する衣装で男性ファンを挑発した。
「どうにもとまらない」…へそ出し。
「狂わせたいの」…背中出し。
「じんじんさせて」…内またを露出。
「狙いうち」…へそ出し&パンタロンに過激なきれこみ。
下着のラインが出ないように衣装の下はノーパンだった。
・「およげ! たいやきくん」のアンサーソング「私の恋人、たいやきくん!」をリリース。
・ホテルニューオータニで毎年長期レビュー公演(=82年〜96年)。
・雑誌「スコラ」でヌードを披露(=85年)。
・カールスモーキー石井や「ちびまる子ちゃん」の影響で89年頃から人気が再燃。
小学生の間に「リンダ、困っちゃう」のセリフが流行した。
六本木のクラブに「山本リンダタイム」が設けられた。
・デビュー25周年記念ライブ「ミス・サイゴン」を赤坂コルトンブルーで開催(=91年)。
・シャンソンコンサートを年5回開催(=92年)。
・著書「素顔のヴィーナス」を出版(東京新聞出版局=92年)。
・ヘアヌード写真集「WANDJINA」を出版(竹書房=93年)
・阪神大震災の被災地でボランティアで歌を歌った。
・「狙いうち」は野球の応援曲として使用されている(中日ドラゴンズ、明治大学など)。
・美少女6人組ユニット・リンダ☆リンダがシングル「超☆狙いうち2004」をリリース。
※山本リンダのヒット曲のメドレーをカバー
・自宅を「情報ツウ」で公開(=04年6月9日放送分)。
・自叙伝「どうにもとまらない私」を上梓(潮出版社=04年)。
・大ヒット曲のリメイク「どうにもとまらない ノンストップ」をリリース(=05年)。
阿久悠が32年ぶりに歌詞を書き直した。
・「元祖エロかわいい」と呼ばれている。
・自宅を「いつみても波瀾万丈」で公開(=08年5月4日放送分)。
・シャンソンのコンサート「パリ祭」に出演(=09年)。
・「田舎に泊まろう!」でガチで突然声をかけてくれた人の家に泊めて貰った(=10年)。
・ブランド「LA LINDA」でバッグ、ベルト、帽子、手袋などをプロデュース(=11年)。
・シングル「恋は花火か 地の雪か」は阿久悠の未発表作に都倉俊一が曲を付けた(=12年)。
凡例:20.01現在=2020年1月現在