■小谷実可子(こたに みかこ)
□肩書き
シンクロナイスドスイミング選手(92年引退)
スポーツコメンテーター
□本名(旧姓)
小谷実可子
□生年
1966(昭和41)08.30(乙女座/A型)
□出身地
東京都世田谷区
□出身校
神宮前小学校
桐朋学園女子中学校
桐朋学園女子高校
日本大学文理学部卒業
□略歴
88年(22歳)ソウル五輪銅メダル(ソロ&デュエット)。
91年(25歳)世界選手権準優勝(デュエット)。
92年(26歳)バルセロナ五輪出場。
※主な出演:
テレビ「世界陸上」「世界水泳」「どうぶつ奇想天外!」
CM 「ミズノ SPEEDO」「カルピス」「イオン」
□趣味
ドライブ
■小谷実可子
□幼少時代〜
・母親は元モデル。
・姉がいる。
・3歳の時、入学資格が5歳以上の水泳教室に自分の意思で入った。
・9歳の時、姉と一緒にシンクロを始めた。
ビデオカメラがなかった時代なので振り付けは紙に書いて覚えた。
・シンクロを始めて4ヵ月で全国大会優勝。
□私生活
・好物…鍋。鶏のからあげ。
・酒を飲まない。
・理想の睡眠時間は10時間。
・いきつけ…イタリア家庭料理「無二路(むにろ)」(世田谷区)。
・電動自転車を愛用。
・世界各地の海でイルカと一緒に泳いだ事がある。
イルカと泳いで人生観が変った。
イルカと泳ぐと前向きなエネルギーが身体に充満する。
・母親からファッションに関してよくダメ出しされる。
・長女の臨月の時にハワイの海でクジラの親子と一緒に泳いだ。
・長女と次女がシンクロをやっている(=14.02現在)。
・夫に初めて会った時に結婚する予感があった。
■小谷実可子
□人間関係
・ラモス瑠偉、三浦知良…友人。
・陣内貴美子、益子直美…友人。
・田島寧子…小2の時にソウル五輪の小谷を取ったのをテレビで見て水泳をはじめた。
シドニー五輪の競泳で銀メダル。
・田中京…ソウル五輪でペアを組んで銅メダル。
・奥野史子…バルセロナ五輪でソロ銅メダル。
・串田志都子…シンクロを始めた時のコーチ。
・井村雅代…日本ナショナルチームのヘッドコーチ。
・山城新伍…小谷のファン。
・杉浦雄策…明海大学助教授(スポーツ科学)。99.07.20入籍。
陸上(短距離)をやっていた。
・子供:
長女…彩可(あやか)。01.02.12ハワイで誕生。
次女…小1(=14.02現在)。
■小谷実可子
□エピソードなど
・小4の時、シンクロをはじめて2ヵ月で出場した第1回年齢別大会10歳以下の部で優勝。
母親が若い頃に衣装として使っていた派手なブラウスから作ってくれた水着を着た。
・年齢別世界選手権でソロ3位、デュエット3位(=78年)。
・全日本ジュニア五輪で3種目優勝(=81年)。
・15歳から1年2ヵ月間、両親の反対を押し切ってシンクロの本場アメリカに留学。
名門シンクロクラブ・アクアナッツに在籍。
アメリカナショナルチームのコーチに師事。
現地の家庭にホームステイ。
・パンパシフィック選手権でソロ3位、デュエット優勝(=85年)。
・日本選手権でソロ4連覇(=87〜90年)。
・ソウル五輪で日本代表選手団の旗手を務めた(夏季五輪では女性初の旗手)。
・ソウル五輪後の休養中、JOCのスタッフとして長野五輪招致活動に関わった。
・バルセロナ五輪には補欠として参加(競技には不出場)。
・誉められて伸びるタイプだった。
・毎日8時間練習。練習量では誰にも負けない自信があった。
・水に浮かぶための脂肪をつける為に1日最低4500キロカロリーを摂取。
食事だけでは摂れないので液体栄養食を無理矢理口の中に流しこんでいた。
・マイペースな性格で人にあわせるのが苦手だったので、
デュエットではパートナーに合わせて貰っていた。
・水中の浮力がある状態に馴れていたので引退直後は自分の体重を持て余した。
・JOC(日本オリンピック委員会)、IOC(国際オリンピック委員会)の委員を務めた。
・TBS「アトランタ五輪中継」の現地リポーターを務めた。
・民間人として初めて国連総会に出席(「オリンピック停戦」をテーマにスピーチ=97年)。
・長野五輪聖火ランナーを務めた。
・初エッセイ集「ドルフィン・ピープル」を上梓(近代文芸社発行=98年)。
・テレビ「情報スポーツJ」のキャスターを務めた。
・TBS「世界陸上」のリポーターを務めた。
・シンクロの普及活動や指導に従事。
・大磯ロングビーチスイミングクラブでシンクロ教室の講師を務める。
・水着「カナニア・エレッセ」をプロデュース。
・大人のシンクロ教室を主宰。
・東京五輪スポーツディレクターとして裏方の仕事をした(=21年)。
業者に依頼する時間がなかったのでサッカー選手が使うトイレを自ら掃除。
※凡例 20.01現在=2020年1月現在