小出義雄

小出義雄

関連項目:物故者 2019年他界

■小出義雄(こいで よしお)

 

□肩書き

 陸上指導者

 

□肩書き

 積水化学陸上部監督

 

□本名

 小出義雄

 

□生年

 1939(昭和14)04.15(牡羊座)

 

□没年

 2019(平成30)04.24(享年80)

 

□出身地

 千葉県佐倉市

 

□出身校

 根郷村立根郷小学校

 根郷村立根郷根郷中学校

 千葉県立山武農業高校

 順天堂大学体育学部卒業

 

□略歴(満年齢)

 88年(49歳)リクルート陸上部監督に就任。

 96年(57歳)積水化学陸上部監督に就任。

 02年(63歳)佐倉アスリートクラブ代表に就任。

 

□趣味

 将棋

 

□資格

 体育教師


■小出義雄

 

□幼少時代〜

・実家は農家。米、ネギ、ホウレン草などを栽培。

・父親は育てた野菜を売り歩いていたが、

 出向いた先で酒をふるまわれるとお金を取らずに帰って来る事がよくあった。

・姉が3人、妹が1人いる。

・子供の頃、ガキ大将だった。

 近所の子供を集めてよく駆けっこ大会をした。

・子供の頃、空襲のさなかに落ちている薬莢を拾って遊んだ。

・小学校時代からタバコを吸っていた。

 家で作っている米をこっそり持ち出してタバコと交換。

・中学〜大学時代、陸上部。

・中学時代、多数の陸上大会で優勝。

 体育教師の粕谷先生に「お前の走りはとても良い。オリンピックに行けるぞ」とほめられた。

・自分で工夫して様々な練習をした:

 山を走って上り下りした。

 家の畑の周りを父親の地下足袋を履いて走った。

 線路のまくら木を小走りでまたぎながら走った。

・高校時代、1年から駅伝メンバー、高3の時に全国高校駅伝に出場。

・高校時代、ケンカと喫煙で無期停学になったが陸上練習の為に学校に通った。

・家の経済的な事情で大学進学を断念して半年間実家で農業をしていたが、

 箱根駅伝出場を諦め切れず、家出して上京。

 学費をためる為に電話線工事、食堂の店員、土木作業員などの仕事をした。

・20歳の頃、酒と競馬にハマっていた。

・22歳の時に順天堂大学に入学。

 陸上部の仲間から「おじい」と呼ばれた。

・大学時代、運動生理学を勉強。

・大学時代、箱根駅伝に1年から3年連続出場。

・大学4年の秋、右足腱鞘炎炎で箱根メンバーから漏れて、周囲にあたって泣きわめいた。 


■小出義雄

 

□私生活

・好物…おかき。

・酒が大好き。

 医者に止められているがほぼ毎晩飲む。

 父親も朝から飲む酒好きだった。

・鈴木博美と高橋尚子に言われて禁煙(=97年)。

 それまでは1日4箱のヘビースモーカーだった。

・アメリカ・コロラド州ボルダーで脚の大動脈りゅう大動脈瘤を手術(=02年)。

・心臓の手術を受けてペースメーカーを入れた。

・金メダルが取れるように金色のパンツを愛用。

・住んでいる所…千葉県佐倉市(一軒家、敷地内に記念館がある=04.01現在)。

・自宅が泥棒被害(現金約80万円を盗まれた=04.01.22)。

・妻が膠原病を患って寝たきりに近かった3年間、

 酒を絶ち、子供の弁当作りなど家事一切をやった。


■小出義雄

 

□人間関係

・有森裕子…陸上の教え子。バルセロナ五輪銀メダル、アトランタ五輪銅メダル。

 自ら小出に頼み込んでリクルート陸上部に入社。

 入社した秋に小出のアドバイスでマラソンに転向。

 命令口調で話すと反抗する性格だったのであえて「有森先生」呼んでいた。

 禁煙を約束した小出の気持に応える為に

 ランニングパンツにショートホープを縫い付けて走った(バルセロナ五輪)。

・鈴木博美…陸上の教え子。97年世界陸上優勝。

 高校時代から指導。友人同士のような雰囲気で指導。

 小出の移籍にあわせてリクルートから積水化学に移籍。

・高橋尚子…陸上の教え子。98年アジア大会優勝、シドニー五輪金メダル。

 自費で合宿に参加してアピールしてリクルート陸上部に入社。

 小出に言われた事を素直にやるタイプ。

 小出の移籍にあわせてリクルート、積水化学、佐倉アスリートクラブに移籍。

・千葉真子…陸上の教え子。03年世界陸上3位。

・帖佐寛章…順大陸上部の監督。徹底的なスパルタで鍛えられた。

・啓子…千葉県立長生高校時代の教え子。71年結婚。11歳年下。

・子供:

 長女。

 次女…正子。積水化学所属(=99.04現在)。

 三女…26歳(=04.01現在)。マラソン選手。


■小出義雄

 

□エピソードなど

・20代半ばから、千葉県立長生高校、千葉県立佐倉高校、市立船橋校の陸上部監督を歴任。

・高校陸上部の監督を始めた当時は高校女子の長距離種目は800mしかなかったが、

 将来必ず男子並みに種目が増えると予想して練習を通してデータを収集。

 佐倉高校時代に17人の選手を女子マラソンに挑戦させた。

・生理中の選手にマラソンを走らせて母親に「うちの子を殺すんですか」と怒鳴り込まれたが、

 その時のタイムは2時間41分台だった(当時の日本歴代3位相当)。

・高校陸上部監督時代、高校駅伝に3回出場(佐倉高校=78年・79年、市立船橋高校=86年)。

 86年の市立船橋高校は優勝。

 自らも選手として16年連続で東日本縦断駅伝に出場。

・佐倉高校の陸上部監督時代、自宅を改築して選手を下宿させていた。

・船橋高校の陸上部監督時代、男子選手に対しては鉄拳制裁も辞さない熱血指導。

・選手は基本的にホメて育てる。

・練習前に選手をリラックスさせる為に下ネタを言う。

・長年の経験で顔や肌の色つやを見ただけで選手の体調が分かる(生理が来ると判る)。

 選手の体調によって練習メニューを変える。

・朝から30㎞など基本的に練習メニューは過酷。

 世界記録を作りたいなら世界記録を作る練習、

 五輪でメダルを取りたいならメダルを取る練習があり、

 常識的な練習では常識的な記録しか出ないと思っている。 

・目標とするレースが終わった後はたっぷり休養を取らせて好きな事をさせる。

・陸上が好きだという情熱は誰にも負けないと思っている。

 慢性胃炎で入院した時や知人の葬儀委員長を任された時も途中で抜け出して選手と一緒に練習。

 雨でも嵐でも練習は休まない。

・私財を投じて高地トレーニングの為にアメリカ・コロラド州ボルダーに合宿所を購入。

・97年世界陸上のレース前日、

 不安感で「明日、走れそうにありません」と言う鈴木博美をリラックスさせる為、

 足と腰を痛めて中耳炎を病んでいる体でエーゲ海を一緒に泳いだ。

・シドニー五輪の女子代表選手3人は全員教え子。

・選手に「陸上のことは100%信用します。私生活は全然ダメですけど」と言われる。

・シドニー五輪マラソンコースの32㎞の勝負ポイントに1年前からマンションを借りてコースを研究。

・高橋尚子がシドニー五輪でマラソンを走っている途中からスタジアムで酒を飲んでいた。

・高橋尚子がシドニー五輪で金メダルを取った時、

 トレードマークのヒゲをそった(金メダルを取ったらそる約束だった)。

・高橋尚子がベルリンマラソンで世界最高記録をマーク(1週間後に塗り替えられた=01年)。

・妻が「爆走! 小出家の人々」を出版(=01年)。

・主な著書:

 著書「小出監督の女性を活かす人育て術」を出版(二見書房=98年)。

 著書「君ならできる」を出版(幻冬舎=00年)。

・19年3月31日で指導の第一線を退いた24日後に他界。

凡例:19.01現在=2019年1月現在