■宮脇健(みやわき けん)
□肩書き
俳優
□本名・旧芸名
宮脇康之
□生年
1961(昭和36)06.13(双子座/A型)
□出身地
東京都北区赤羽
□出身校
堀越学園高校
□略歴(満年齢)
69年(08歳)ドラマ「ジャンケンケンちゃん」主演。
78年(18歳)ドラマ「ナッキーはつむじ風」に出演。
※他の主な出演:
舞台 「ミュージックマン」
ドラマ「刑事犬カール」「ナッキーはつむじ風」「翔んだカップル」
テレビ「浅草橋ヤング洋品店」
□趣味
ドラム 空手
□資格・免許
ガス技師
■宮脇健
□幼少時代〜
・父親は高校の数学教師。
・7ヵ月の未熟児で生まれた。
・6歳年上の兄がいる。
・子供の頃、体が弱かった。
・子供の頃、人見知りが激しかった。
・子供の頃から酒を覚えて中3の時にアルコール性肝炎になった。
・中学時代、登校中に暴漢に襲われた。
・中学時代、学校で同級生からイジメを受けた。
連日トイレで殴る蹴るの暴行。
爆竹を身体に巻き付けられて火をつけられそうになった。
ナイフで刺されそうになった。
・高校時代、毎晩酒をガンガン飲んでいた。
仲間と一緒に一晩で100万円使った事があった。
・高校時代、吉原の高級ソープに週2ペースで通っていた(3000万円使った)。
・20歳の頃に両親が離婚。
□私生活
・酒が好き。酒豪。子供の頃から飲んでいた。
生ビール4杯+濃い目のウーロンハイ8杯+冷酒一升半が普段の飲み量。
20代の時に肝臓を壊して酒量を減らした。
・住んでいる所…東京・駒込の1DKアパート(=98.10現在)。
■宮脇健
□人間関係
・四方晴美…ドラマ「チャコねえちゃん」「チャコとケンちゃん」できょうだい役で共演。
・牟田悌三…ドラマ「ケンちゃん」シリーズで共演(父親役)。
・渋谷哲平、岩崎良美、松田聖子…高校の同級生。
・結城貢…結城貢経営のスナックで皿洗い兼ボーイとして働いていた(20代の頃)。
・結城哲也…結城哲也の運転手をしていた(20代の頃)。
・豊川誕…ロックバンド・豊川誕とケンちゃんバンドを結成(=90年)。
・けいこ…デュエット曲「ケンとチャコの東京恋物語」をリリース(=94年)。
・三原じゅん子…記者会見で交際を宣言(=80年)。
ドラマ「GOGO! チアガール」で共演。
実際は単なる友人で男女の関係はなかった(宣言は周囲の戦略だったらしい)。
・早月(さつき)…美容師。96年結婚。
・子供:
長男…良典(りょうすけ)。97年誕生。
長女…奈波(ななみ)。
■宮脇健
□ドラマ「ケンちゃん」シリーズのエピソードなど
・5歳から15歳まで10年間シリーズに出演。
・シリーズの平均視聴率は20%。
・授業についていく為に週4日家庭教師についていた。
授業を昼まで受けて撮影、帰宅して家庭教師、早起きして宿題という毎日だった。
夏休みは地方ロケとスポンサー関係のサイン会があったので休みはほとんどなかった。
・「ケンちゃん」シリーズを制作していた国際放映が毎年誕生日に豪華なプレゼントをくれた。
小6の時にカメラを20台以上持っていた。中1の時に中継車をプレゼントして貰った。
・毎年トラック一杯分の年賀状が届き、父親が教え子を動員して返事を書いた。
・気に入らないスタッフをプロデューサーにかけあって辞めさせた事が何度かあった。
・キャスティングに口出ししていた。
・地方ロケの時、大人の先輩俳優はスタンダードクラスの部屋に泊まっていたが、
自分だけ最上階のスイートルームという特別待遇だった。
・6歳年上の兄は「ケンちゃんの兄」としてイジメられて中学時代に登校拒否から自殺未遂、
父親に愛人ができて家庭は崩壊していたが、
「ケンちゃん」のイメージを壊さないように取材の時は良い家庭を演じていた。
・声変わりをした後にケンちゃんを演じるのは辛かったので、
中学入学と同時にやめたかったが周囲に慰留されて中学卒業まで続けた。
・ピーク時のギャラは年8000万円程度。
小学生で月5万円、中学生の時に月10万円の小遣いを貰っていた。
欲しいレコードを棚にあるだけ全部買っていた。
誕生日プレゼントに外車(ムスタング)を購入して運転手に運転させた。
趣味のカメラに1500万円使った(20台所有)。
■宮脇健
□その他のエピソード
・3歳の時、児童劇団に入る。
・20歳の頃から仕事が全くこなくなった。
・事務所設立詐欺にひっかかった両親が全財産と家を失って離婚した。
・20代初頭の頃、毎日自転車で渋谷の東横デパートへ行って食品売場の試食品を食べていた。
住んでいたアパートの電気とガスを止められた事があった。
・子役のイメージを乗り越える為ににっかつポルノに出演(=82年)。
・チャンバラトリオの付き人運転手をやっていた。
・SMショーで三原じゅん子とのスキャンダルをネタにパンツ一枚で鞭打たれた事がある。
・連帯保証人になった事で多額の借金を負った(ピーク時に総額約2億円)。
借金を返す為に、ディスコ「マハラジャ」の店員、セールスマン(墓石、毛皮)、
イベントの司会、ギフトショップ経営、タレントの運転手、劇団講師、花屋の運転手、
ガス水道工事会社、訪問販売、交通量調査などさまざまな職を点々とした。
同時に4つの仕事をかけもちでやっていた事がある。
・89年から5年間沖縄に住んでいた。
スナック、不動産業、結婚式の司会、ラジオ番組のDJなどをやっていた。
・バブルの頃に不動産業の地上げで月100万円以上稼いでいた。
「地上げ屋ケンちゃん」と呼ばれた。稼いだ分は全部遊びに使っていた。
・沖縄から東京に戻ってきた時の家財は、夏服を入れたダンボール一箱、
ケンちゃんシリーズのアルバム1冊、ケンちゃんシリーズのビデオ200本だけだった。
・長男が生まれた頃、借金を返す為に風呂無しアパートに住んで朝から深夜まで働いた。
・半生記「名子役の虚構ーケンちゃんの真実」を上梓(有朋堂=97年)。
・子役養成学校「キッズ・アカデミー」の校長に就任(自ら教壇に立つ=99年)。
・芸名を「宮脇康之」から「宮脇健」に変えた。
・自叙伝「ケンちゃんの101回信じてよかった」を出版(講談社=04年)。
・ノニジュース販売を手がけている(=09.07現在)。
・01年に始めた還元水生成器ビジネスに成功。
・会社員として働いている(=13.03現在)。
凡例:18.01現在=2018年1月現在