宮本亜門

宮本亜門

■宮本亜門(みやもと あもん)

 

□肩書き

 演出家 振付師

 

□出生名・旧芸名

 宮本亮次

 

□生年

 1958(昭和33)01.04(山羊座/O型)

 

□出身地

 東京都中央区銀座

 

□出身校

 田園調布中学校

 玉川学園高校

 玉川学園大学芸術学部演劇専攻科中退

 

□略歴(満年齢)

   87年(29歳)舞台「アイ・ガット・マーマン」演出。

 01年(43歳)舞台「くるみ割り人形」演出。

 04年(47歳)舞台「太平洋序曲」演出。

 ※他の主な演出作品:

  「ソング・ア・リトル」「アニーよ銃をとれ」「エニシング・ゴーズ」

 ※主な出演作品:

  舞台 「から騒ぎ」「変身」

  テレビ「OH! エルくらぶ」「日本レコード大賞」

  CM  「ネスカフェ・ゴールドブレンド」「野村不動産・シエルズガーデン」

 

□趣味

 映画観賞 茶道 仏像観賞 日舞 

 釣り スキューバダイビング 水泳

■宮本亜門

 

□幼少時代〜

・実家は喫茶店「絵李花」(銀座、新橋演舞場の向かい)。

   ※23年10月現在営業中(弟が跡を継いだ)

・父親は慶応大学出の商社マンで母親と駆け落ちして喫茶店を始めた。

・母親は元SKDのダンサー。

 バイタリティーあふれる陽気な人だった。

 亜門出産時の輸血が原因で肝硬変を患って入退院を繰り返していた。

・姉、弟(32歳年下)がいる。

・店の二階は役者の稽古場になっていた。

 水谷八重子、藤山寛美、島田正吾、辰巳柳太郎にかわいがられた。

・実家の周辺は花柳界だった。

・銀座のデパートの屋上が遊び場だった。

・子供の頃から毎日のように歌舞伎、新派、新国劇の舞台を観て、楽屋に出入りしていた。

・両親が引っ越し好きだった。

 子供の頃に10回以上引っ越をした。

   ダンボールをあけずに生活していた事があった。

   銀座以外に二本榎、久が原、田園調布、白金、自由が丘などに住んだ。

・子供の頃、内向的で人と話すのが苦手だった。

・習いごと…日舞。茶道。三味線。新内。能。

・小学校時代、勉強は大嫌いだった。

・小学校時代、卒業アルバムに「将来は茶道の家元になりたい」と書いた。

・子供の頃から高1まではとても太っていた。

 出前のカツ丼を1日2〜3杯食べた事があった。

 最大事のウエストは100㎝以上あった。

 高校の制服はあうサイズがなく工場まで出向いて特注した。

 高1の時にダイエット用の飴だけを口にする生活を1ヵ月半続けて一気に減量。

・中学〜高校時代、仏像の研究に熱中。

 ひとりで夜行バスを使って京都や奈良に仏像を見に行った。

 将来日本美術史研究家になりたいと思っていた。

・高校時代、演劇をやっていた女の子と交際、交換日記をした。

   一緒に心中するつもりでふたりで薬局に行って睡眠薬を買って同じ時間に飲む約束をして

 実際にクスリを飲んだが翌朝元気に目が覚めた(薬局が売ってくれたのはビタミン剤だった)。

 彼女は冗談だと思っていてクスリを飲んでいなかったので人間不信になった。

・高校時代、約1年半自分の部屋に引きこもった。

 顔見知りの人に挨拶して無視された事で人間不信が亢進、学校でも孤立して登校拒否になった。

 食事とトイレ以外は一切部屋から出なかった。

 先生や友人からの電話にも出なかった。

 家宝の日本刀を持ち出した父親にひきこもりをとがめられた(=ネタか?)。

 母親に懇願されて受けた精神科のカウンセリングで回復した。

・高3の時、演出・主演のミュージカルを文化祭で上演、雑誌で紹介されるほど好評を得た。

 映画「ゴッドスペル」を翻案した作品。

 これがきっかけでミュージカルの演出家を志した。

・21歳の時、下宿に遊びに来ていた母親が脳溢血で倒れて他界(享年65)。

 

■宮本亜門

 

□私生活

・好物…丼もの。オムライス。ソーキそば。

 フィッシュ&チップス。餃子。朴葉焼き。豆腐よう。

 冬瓜漬(ブルーチーズと一緒に食べる)。

 豆大福。甘いもの(大好物)。

・刺身にマヨネーズをつけて食べる。

・酒が好き。

 好きな酒は泡盛(沖縄の自宅の床下に壺で保存)。

・沖縄に来て泡盛を飲むようになってから酒が強くなった。

・料理はほとんどしない。

・健康法…もろみ酢。

・前立腺がんの全摘手術を受けた(=19年)。

 テレビ番組の企画で受診した人間ドックで判明。

 ロボットアームによる最先端手術で傷跡が殆どない。

・タイのバンコクで乗車していたタクシーが暴走車両が追突されて大怪我(=01年)。

 電柱に衝突してフロントガラスを突き破って約10m投げ出された。

 頭部を50針縫う大怪我、生死の境をさまよった。

 治療の為に髪の毛を全部剃ったら以前より濃くなった。

・生牡蠣に当たった事がある。

・早寝早起き。

・自転車に乗れない(=17.06現在)。

・好きな作家…泉鏡花(小学生時代から好き)。

・好きな画家…葛飾北斎。サルバドーリ・ダリ。

・香水が好き。

 TPOにあわせていくつかのコロンを使い分ける。

・アジアが好き。アジア映画をよく観る。

 アジアンテイストの家具や小物が大好き。

・収集…仏像。

・ペット…犬(保護犬、名前はビート、6歳以上、毎日散歩、一緒に寝る=17.06現在)。

・住んでいる所…東京都(=16.11現在)。

・住んでいた所…

 沖縄県南城市(99年落成、一軒家、敷地面積約213坪、自分で設計、

 海のすぐそば、台風の時は家のすぐそばまで海になる、

   海を見ながら入れるジャグジー、茶室)。※20年売却

 沖縄の家は観光地になっていて、知らない人が勝手に入って来た。

・いきつけ…

 「松島屋」(高輪、豆大福=23.06現在)。

 「The Gazebo」(葉山、フィッシュ&チップス=23.08現在)。

 「そば処 夢の舎」(沖縄=23.08現在)。

 「手打ち蕎麦 成冨」(銀座=20.01現在)。

 「Burger Mania 広尾店」(犬を連れて行く=15.05現在)。

・一日中海を見ていても飽きない。

・沖縄の家によく人が遊びに来て飲み会をする。

・毎年春に近所4軒で海楽パーティーを催す。

 庭でバザーをやる。のべ2000人が来る。

・沖縄に住むようになってから逆に東京も好きになった。

・1年の1/3を沖縄、1/3を東京、1/3をニューヨークで過ごす。

・飛行機で移動中にノイズキャンセラーを愛用。

・チベットが好き。

・9.11の時にニューヨークに滞在していた。

 借りていた部屋は現場から20ブロック離れたいたが窓には煤がべったりとこびりついた。

 ボランティアに食料を差し入れした。

・タイでタクシーに乗車中に交通事故に遭遇してフロントガラスを突き破って車外に放り出され、 

 15m先まで飛ばされて生死の境をさまよった。

 意識を失っている間は白く発光しているような空間にいてとても気持ちが良かった。

 頭部と顔面を約50針縫って顔が少し変わった。※01年頃?

・チベットで不思議な現象に遭遇して高山病が治った事がある。

・好きな言葉…「離見の見」(世阿弥の言葉)。

・せっかちな性格。

 眉毛は鉛筆で描く。

・父親と仲が良い。ふたりで海外旅行に行く。

・演出家として成功した後でも父親が「喫茶店経営」といった本を送って来る。

・父親の再婚相手は宮本の友人。

 

■宮本亜門

 

□人間関係

・LiLiCo…友人。一緒に食事。

・内田有紀、川原亜矢子…映画「BEAT」に出演。

・中山エミリ…舞台「くるみ割り人形」に主演。

・木村佳乃…舞台「滅びかけた人類、その愛の本質とは…」に出演、

 激しい濡れ場やレズシーンにチャレンジ(=00年)。

・濱田マリ…舞台「GIRLS TIME」に出演。

・中島啓江…舞台「アイ・ガット・マーマン」に出演。

・杏子…舞台「マランドン」に出演。

・植木等、佐藤隆太、森山未來…印象に残る俳優。

・中村勘三郎(18代目)…子供の頃に同じ教室で日舞を習っていた。

・藤田朋子…大学の英語劇サークルの後輩。交際を噂された。

 

■宮本亜門

 

□エピソードなど

・大学を3年で中退してアメリカ・ニューヨークに2年間ダンス留学。

 ハウスキーピングのアルバイトをしながらダンスのレッスンを受けた。

 夜はディスカウントチケットで舞台を見まくった。

・「演出家は俳優の気持ちを判らないといけない」と思って最初は役者をやった。

・ミュージカル「ヘアー」に出演。

・アメリカから帰国後、ミュージカルの演出を志すが仕事に恵まれず、

 六本木の店で女の子の振り付けなどをしていた。

・27歳の時、勉強をし直す為にロンドンに留学。

・初の演出作品「アイ・ガット・マーマン」は借金をして小さなホールを借りて自主公演。

・「アイ・ガット・マーマン」で文化庁芸術祭賞。

・日本レコード大賞司会(=93年、94年)

・レコ大の司会で、国武万里を中国出身の歌手と勘違い、

 神田正輝を「かんだみさき」と紹介してしまった。

・CM「ネスカフェ」が話題になった(演出家・宮本亜門は知っている)。

・映画「BEAT」監督(=98年)。

・39歳の時、仕事に行き詰まりに感じて1年間休養。

・サンリオピューロランド・スーパーレビューで初のレビュー演出(=01年)。 

・「くるみ割り人形」を世界で初めてミュージカル化(=01年)。

・自宅を「ジャスト」で公開(=04年4月8日放送分)。

・ミュージカル「太平洋序曲」で日本人演出家として初のブロードウェイ進出、

   トニー賞4部門にノミネートされた(=04年)。

・父・亮祐、継母・レイ、弟・師門が「素顔がイイねっ!」に出演(=05年10月22日放送分)。

・多い時は1年に10本の舞台を演出。

 3本同時進行で頭の整理ができなかった事がある。

・副業…創作料理「花蝶」(東京・銀座、04年開店=07.09現在)。

・ホテルや旅館の経営に興味がある。