宮史郎

宮史郎

関連項目:物故者


■宮史郎(みや しろう)

 

□肩書き

 歌手 

 

□所属グループ

 ぴんからトリオ

 ぴんから兄弟

 

□本名

 宮崎芳郎

 

□生年

 1943(昭和18)01.17(山羊座/A型)

 

□没年

 2012(平成24)11.19(享年69)多臓器不全

 

□出身地

 兵庫県加西市

 

□略歴(満年齢)

 72年(29歳)シングル「女のみち」がヒット(ぴんからトリオ)。

 73年(30歳)紅白歌合戦初出場。

 83年(40歳)シングル「夢一輪」でソロデビュー。

 ※他の主なヒット曲:

  「女のねがい」「女のゆめ」

 

□趣味

 麻雀 ゴルフ 釣り

 

□サイズ

 164㎝ 53㎏

■宮史郎

 

□幼少時代〜

・兄と弟がいる。

 

□私生活

・デビュー当時68㎏だった体重をダイエットで52㎏に落とした。

・若い頃はたくさん酒を飲んだ(一晩でボトルを軽く空けていた)。

・脳内出血で緊急入院(=01年)。

・赤坂の韓国クラブが好き。

・若い頃はよく興行師と一緒に大金を賭けてバクチをした。

 

□人間関係

・宮路オサム(殿さまキングス)…友人。ゴルフ仲間。

 よく間違えられる。一緒に営業で廻った事がある。

 ※「女のみち」と同時期に同タイプの曲(殿さまキングス「なみだの操」)がヒット、  

  ぴんからトリオと殿さまキングスはよく並び称された

・新沼謙治…ゴルフ仲間。

・宮五郎…実兄。ぴんからトリオのメンバー。

・並木ひろし…ぴんからトリオのメンバー(リーダー)。

・美川憲一…デビュー当時の美川に憧れていた。

・妻…?年結婚。


■宮史郎

 

□エピソードなど

・デビュー前、姫路市のキャバレーで働いていた(※要確認)。

・シングル「男の花道」を自主制作でリリース(=59年)。

・61年にスパローボーイズを結成、大阪松竹芸能所属で歌謡漫才をやっていた。

・ぴんからトリオの由来は「ピンからトリを」らしい。

・ぴんからトリオ結成後、一時吉本興業に所属していた。

・「女のみち」がヒットするまで約10年地方を廻っていた。

・「女のみち」は限定300枚で自主制作したソノシート盤が

 大阪のホステスから火がついてヒットした。

・「女のみち」が16週連続でオリコンチャート1位(=73年)。

・「女のみち」は300万枚の大ヒットだったが、

 印税契約が甘かったのでそれほど儲からなかったらしい。

・並木ひろしが脱退してグループ名をぴんから兄弟に改名(=73年)。

・映画「女のみち」に出演(=74年)。

・アメリカ、ブラジルで海外公演を開催。

・あがり性。テレビのトーク番組に出ると緊張で頭が真っ白になる。

・地方営業ではスタッフにサクラをやらせておふねりを出して貰うきっかけを作る。

・故郷の兵庫県加西市に「女のみち」の歌碑が建立された(=92年)。     

・CM「金鳥 虫よけグリーン」で虫に扮して「虫ごころ」を歌った(=04年)。

・CM「金鳥 おでかけカトリス」で「おでかけ慕情」を歌った(=05年)。

・映画「歌謡曲だよ、人生は」(第5話女のみち)に主演(=07年)。

凡例:17.01現在=2017年1月現在

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