安藤忠雄

安藤忠雄

■安藤忠雄(あんどう ただお)

 

□肩書き

 建築家

 

□生年

 1941(昭和16)09.13(乙女座)

 

□出身地

 大阪府大阪市

 

□出身校

 大阪府立城東工業高校電気科卒業

 

□略歴(満年齢)

 69年(28歳)安藤忠雄建築研究所を設立。

 97年(56歳)東京大学工学部教授に就任。

 ※主な出演:

  テレビ「ごごナマ」

 

□趣味

 読書 旅行


■安藤忠雄

 

□幼少時代〜

・大阪の下町に生まれた。

・3人兄弟の長男(弟の1人は自分と双子)。

・母親がひとり娘だったので母方の実家の養子になり、雑貨屋を営む祖母に育てられた。

・家は裕福ではなかった。

・近所で有名なガキ大将だったらしい。

・小学校時代、祖母に言われて宿題は学校で済まし、

 教科書やノートは学校に置いて帰って来た。

・中2の時、近所の大工と仲良くなって仕事を手伝わせて貰い始めた。

 自宅に2階を増設する歳に自ら図面を作って棟梁の見習いのような形で参加。

・高校時代、フェザー級のプロボクサーとして活躍。

   始めて1ヵ月でプロテストに合格。リングネームは「グレート安藤」。

   マネジャーやセコンドを付けずに試合に挑みんだ(休憩中に自分で水を飲んでいた)。

 戦歴は18戦8勝3敗7分け。ファイトマネーで建築関係の書籍を多数購入した。

■安藤忠雄

 

□私生活

・好物…コーヒー(1日2〜3杯)。

・健康法…ウォーキング(1日最低1万歩)。スポーツジム(3日に1回ペースで行く)。

・胆嚢・胆管・十二指腸のがんを全摘する手術を受けた(=09年)。

・膵臓と脾臓のがんを全摘する手術を受けた(=14年)。

・食べ物、ファッション、クルマにはあまり興味がない。

・住んでいる所…大阪府大阪市旭区(子供の頃から住んでいる長屋=89.01現在)。

・世界各地の良い建築物を見るのが何よりの楽しみ。

   良い建築物は何度見ても飽きず見る度に新しい発見がある。


■安藤忠雄

 

□人間関係

・ファイティング原田…同じボクシングジムに所属。

 原田を見て自分の才能の限界を感じてボクシングをやめた。

・北山孝雄…双子の弟。北山創造研究所を経営。

・北山孝二郎…末弟。建築家。

■安藤忠雄

 

□エピソードなど

・高校卒業後、建築事務所でアルバイト。

・24歳の時、ヨーロッパを放浪して建築を学んだ。

 一般の海外旅行が解禁になったのを機に150万円を腹巻きに入れて船でヨーロッパへ渡った。

 近代建築の巨匠アルヴァ・アアルトの作品やミケランジェロの建物に触れて感銘を受けた。

・安藤忠雄建築研究所を設立後、最初の1年間は注文ゼロだった。

 その間ライトやコルビュジェの作品集や美術書を見て設計コンペに多数応募した。

・「住吉の長屋」で個人住宅初の日本建築学会賞を受賞(=79年)。

・コンクリート打ち放しと幾何学的なフォルムによる独自の表現を確立。

・90年代以降は美術館などの大規模建築物も数多く手がけている。

・阪神淡路震災復興支援10年委員会の実行委員長を務めた。 

・83年から版画に取り組み、「安藤忠雄版画集1998」を出した。

・日本だけでなく世界各地から講演会の依頼が来る。

 その場所に自分が見たい建物がある場合は仕事を受ける。

・自らを「建築界のゲリラ」と広言して思った事をはっきり言う。

 施主と徹底的に話し合いをして意見が合わない時は仕事を断る。

・瀬戸内海の自然回復プロジェクト「瀬戸内オリーブ基金」を中坊公平と共に設立(=00年)。 

・年1〜2軒住宅を設計する。

・無学歴で東京大学教授に就任して世間を驚かせた。

・イェール大学客員教授、コロンビア大学客員教授、ハーバード大学客員教授を歴任。

・東京大学特別栄誉教授、21世紀臨調特別顧問を務めた。

・展覧会「安藤忠雄展 挑戦」を国立新美術館で開催(=17年)。

・設計を担当した主な建築物:

 サントリーミュージアム

 光の教会(大阪)

 92年セビリア万博日本政府館

 淡路夢舞台

 兵庫県立美術館

 アルマーニ・テアトロ(イタリア・ミラノ)

 ピューリッツァー美術館(アメリカ・セントルイス)

 表参道ヒルズ

・主な著書…「連戦連敗」「旅」。