■奥村チヨ(おくむら ちよ)
□肩書き
歌手
□本名(旧姓)
奥村智代
□生年
1947(昭和22)02.18(水瓶座/B型)
□出身地
大阪府池田市
□出身校
夙川学院高校
□略歴
65年(18歳)シングル「私を愛して」でデビュー。
69年(22歳)シングル「恋の奴隷」がヒット。
94年(46歳)アルバム「コケティッシュ爆弾」をリリース。
※他の主なシングル:
「北国の蒼い空」「終着駅」「街灯」
※主な出演:
ドラマ「月とスッポン」「さんかくはぁと」
テレビ「オレたちひょうきん族」「夜もヒッパレ一生けんめい」「徹子の部屋」
□特技
衣装デザイン
□サイズ
158㎝ B85W57H88
□特記事項
・夫は浜圭介
・姪は麻生祐未
■奥村チヨ
□幼少時代〜
・父親はキッコーマンのサラリーマン(営業)。
キッコーマンソースを広めて「ソースの神様」と呼ばれていた。
・5人きょうだいの末っ子(兄、兄、姉、姉)。
・3歳の時、千葉県野田市から大阪府池田市石橋に引っ越した。
・きょうだい全員の母親が作ってくれた洋服を着ていた。
・3歳の時、大阪に引越した。
・親の躾が厳しかった。
・母親が裁縫や編み物で服を作ってくれた。
・子供の頃、病弱だった。
小1の時に病気で死にかけたがきな粉もちを食べて復活した。
・子供の頃、人と話すのが苦手だった。
・体を丈夫にする為に歌を習った(ラテンとスタンダード)。
・小4の時、ラジオ局主催ののど自慢大会で優勝。
・将来服飾デザイナーになりたいと思っていた。
■奥村チヨ
□私生活
・好物…納豆(毎日食べる)。小豆。キウイ。ケーキ。コーヒー。
・嫌いな食べ物…牛乳。
・朝はフルーツとコーヒーだけが基本。
・1日2食。8:00と16:00が基本。
夜にお腹が空いた時はミニトマトをつまむ。
・酒が好き。好きな酒は赤ワイン。若い頃はたくさん飲んだ。
・健康法…
黒ごま、乾燥ワカメ、きな粉、いりこ(ミキサーでブレンドして1日2回摂る)。
普通のお茶と杜仲茶をブレンドしたお茶。ストレッチ体操。水泳。
ウォーキング(夫と一緒に皇居の周りを歩く)。
・美容法…朝晩水と特製のせっけんで洗顔。
氷水で濡らしたタオルで顔を冷やす(真冬でも朝晩最低30分以上)。
・体型はデビュー当時と変わらない。ふだんから体にフィットした洋服を着る。
・仕事のストレスで顔に吹き出物がたくさん出た事がある。
・寝付きが悪い。
翌朝が早い時は寝坊が気になって1時間おきに目が覚める。
コンサートの前日は歌詞が頭から離れずに寝付けない。
・掃除・洗濯が苦手。
・好きな音楽…クラシック。
・90年代前半のリバイバル記念に2000万円のネックレスを購入。
・ペット…猫2匹(名前はリボンとタカシ=02.04現在)。
・10匹以上の猫を保護して不妊手術を受けさせた。
・夫婦揃って猫が大好き。
・住んでいる所…東京都・市ヶ谷。
・別荘がある所…
ハワイ(92年購入、ワイキキビーチを望むコンドミニアム=18.04現在)。
・いきつけ…
手打ちそば「吉田」。
パン屋「シェカザマ」(麹町、長年毎日のように通っている)。
京料理「感」(銀座)。
・渋谷109によく行く。
・服や靴はたまってくるとどんどん人にあげる。
・若い頃からハワイが大好き。
・ヨーロッパが好き。毎年行く。
・テンションが上がると関西弁になる。
・父親は98歳で他界。
・母親は97歳で他界。
・仕事をセーブして晩年の両親と長時間一緒に過ごした。
・実際の自分は「恋の奴隷」の歌詞のような男性に献身的に尽くす女性とは正反対のタイプ。
・結婚後3年間完全休養して専業主婦をしていた。
家事経験が全くなかったので当初は母親やスタッフに一から教えて貰った。
夫に毎日お弁当を作った。
・結婚当初、料理が楽しくて毎日7品作って夫が太ってしまい、
夫に「こんなにたくさん作らないで」と言われた。
・夫は料理が得意。カレーライスを作る時は築地まで肉を買いに行く。
・夫はしょっちゅう「愛してる」と言ってくれる。
・週に1回は夫とデートをする(コンサート、スポーツクラブなど)。
・外でデートした時に健康の為に散歩して帰ってくる。
■奥村チヨ
□人間関係
・佐良直美、美川憲一…友人。若い頃に楽屋でよくバカ話をした。
佐良から保護猫を貰った。
・黛ジュン、小川知子…「東芝3人娘」として売り出された。
扇情的な奥村、健 康美の黛、可憐な小川と三者三様の個性と評判だった。
・欧陽菲菲…ユニットを結成して「TOKIO天使」をリリース(=01年)。
・山田千鶴…デビュー曲「林檎のうさぎ」を奥村がプロデュース(=02年)。
・みうらじゅん…小学生の頃から奥村の大ファン。
アルバム「チヨ! コケティッシュ爆弾」をプロデュース。
・北野大…奥村のファン。
・竹内結子…カラオケで奥村チヨを歌う。
・麻生祐未…姪(兄の子供)。
・浜圭介…作曲家。74年札幌の教会で挙式。同い年(同学年)。
ヒット曲「終着駅」の作曲家。「終着駅」は浜にとって初のヒット曲。
「終着駅」がヒットしなければ浜は作曲家はあきらめて実家の札幌に帰るつもりだった。
結婚前に2年間交換日記をしていた。
■奥村チヨ
□エピソードなど
・高3の時、小野薬品のドリンク剤のCMソングを歌った。
レコーディング当日は40℃の発熱でふらふらだった。
・芸能界に行きたくなかったが「10年に一人の歌手」と説得されてしぶしぶ承諾した。
・デビュー当時、「和製シルヴィ・バルタン」と呼ばれた。
・デビュー当時、音楽番組がたくさんあり、睡眠時間は1日1〜2時間。
年に2回は倒れていた。
・デビュー当時、ラジオ番組を録音して練習して標準語を覚えた。
・デビュー当時は自分でメイクしていた。
・20代前半、恋シリーズなどの<セクシー小悪魔路線>でヒットを連発。
恋シリーズ:「恋の奴隷」「恋泥棒」「恋狂い」。
自分は真逆なキャラだったので当時はその種の曲を歌うのは好きではなかった。
「恋の奴隷」のレコーディングで歌うのが嫌で大泣きした。
事務所に「こういう売り方はやめて欲しい」と頼むと「割り切りなさい」と言われた。
軽く見られてよく男に言い寄られた。
「恋の奴隷」の歌詞「悪い時はどうぞぶってね」はNHKではNGだった。
・<セクシー小悪魔路線>で売れて水着グラビアの仕事が増えた。
・若い頃、男性との交際に関して事務所のチェックが厳しかった。
身内の男性と歩いただけで呼び出されて注意された。
・衣装を自分でデザイン。
・映画「日本一の男の中の男」に本人役で出演(=67年)。
・若い頃の歌もキーを下げずに歌いたいので歌のレッスンは欠かさない。
・香西かおりがカバーした「恋の奴隷」がCMに起用され話題になった(=93年)。
・90年代中盤、60〜70年代のファッションが若者のブームになり人気が最上昇。
高校生がカラオケで「恋の奴隷」をかわいく歌うのを見て
当時は嫌いだった小悪魔路線の曲が大好きになった。
・70年代当時の曲のCDとビデオをリリース(=94年)。
・超ミニのベビードレスを着てファッションショーのモデルを務めた(=94年)。
・ザ・ピーナッツ「恋のフーガ」をカバー(=98年)。
・宝石のオリジナルブランドを設立(デザインを監修=00年)。
・18年いっぱいで芸能界を引退する意向を発表(=18.01.06)。
凡例:18.01現在=2018年1月現在