大黒摩季

大黒摩季

■大黒摩季(おおぐろ まき)

 

□肩書き

 歌手

 

□本名

 大黒摩紀

 

□生年

 1969(昭和44)12.31(山羊座/A型)

 

□出身地

 北海道札幌市

 

□出身校

 札幌市立石山小学校

 藤女子学園中学校

 藤女子学園高校 

 

□略歴(満年齢)

 92年(23歳)「STOP MOTION」で歌手デビュー。

 95年(26歳)「ら・ら・ら」がヒット。

 ※他の主な出演など:

  テレビ「ダウンタウンなう」「徹子の部屋」

  楽曲「あなただけ見つめてる」「熱くなれ」「いちばん近くにいてね」

 

□趣味

 料理 ガーデニング ゴルフ サーフィン


■大黒摩季

 

□幼少時代〜

・実家はパンとケーキの製造販売会社「札幌キムラヤ」。※02年倒産

・母親も働いていた。

・弟がいる。

・お転婆で元気な子供だった。

・習いごと…習字。ピアノ(3歳〜)。

・6歳の頃、初めて曲を作った。

・父親から深夜に料理を教え込まれた。小学生の頃から弟の食事の面倒を見た。

・小学校時代、バレーボールに熱中。

 卒業文集に「めざせ全日本、ワールドカップ」と書いた。

・中学・高校は地元で有名なお嬢様学校。

・中学時代、ロックに目覚めて山に向かって大声で歌の練習をした。

・中学時代、好きな男の子を殴るのが好きだった。

・音大進学を視野に入れて15歳から17歳までクラシックの声楽のレッスンを受けた。

・高校時代、アマチュアバンドにボーカルで参加してライブハウスで歌った。ディープ・

 パープルをコピーしていた。

・高2の冬、「高校を中退して東京に出て音楽をやろう」と決意するが

 両親に高校だけは出るように説得された。


■大黒摩季

 

□私生活

・好物…納豆。プリン。イチゴ。

・子供の頃から料理が好き。

 遅く帰って来ても夕食は自分で作る。

 冷蔵庫の残り物を工夫して料理するのが得意(子供の頃に父親に教え込まれた)。

   落ち込んだ時にいくらのしょうゆ漬けを漬ける。

・健康法…筋肉トレ(背筋をしっかり鍛える)。ジョギング。

・子宮疾患の治療の為に歌手活動を約6年間休止(=10年〜16年)。

 不妊治療と病気の治療のサイクルを何度か繰り返した。

 15年11月に受けた手術で持病の子宮腺筋症の根治の見通しが立った。

・掃除が苦手。

・ライブが続くと無性に土に触りたくなる。

・失敗を数学的に分析する。

・ペット…猫4匹(=09.01現在)。

・いきつけ…

 和食「三六や五兵衛(みろくやごへい)」(世田谷区、オーナーと仲良し)。

 「わかな」(目黒、ひとりで行く事がある)。

・30代後半でサーフィンを始めるまでは水恐怖症だった(子供の頃に溺れた)。

・キリスト教美術が好き。

 イタリア各地で数多くの作品を見た。

・好奇心旺盛。

・歌手活動休止中に父親が他界(=00年)。

 家業のパン屋を継ぐかどうか悩んで音楽をやめる事を考えた。

・脳内出血で倒れた母親を介護する為に札幌と東京を往復する生活を送った。

・アメリカで代理母出産を2回挑戦して2回不成功。

・好きなタイプ…細マッチョの男性。

・恋愛に関して積極的。

・好きな男性の色に染まるのが好き。

・失恋のショックから立ち直る為にマンションを買った。


■大黒摩季

 

□人間関係

・藤原紀香…親友。

 片岡愛之助と藤原紀香の披露宴でお祝いの為に作った曲を歌った。

・神田うの…友人。「摩季姉」と呼ばれる。

・カルーセル麻紀…友人。毎年北海道でゴルフコンペ共催。

・ISSA…友人。20年来の飲み友達。

・春畑道哉…友人。18歳の時からの仲。

・恵俊彰…ゴルフ友達。

・加藤浩次、大泉洋、松岡昌宏、吉村崇、兼近大樹(EXIT)、

 m.c.A・T、大黒摩季、GLAY、タカアンドトシ

 …北海道会の主なメンバー。

 加藤浩次が主催。総勢50〜60人。

・春畑道哉…TUBEのギタリスト。

 デビュー前に春畑のソロツアーに参加。

・真矢…大黒のバックバンドのドラマーを務めた。

・近藤房之助…「ら・ら・ら」にコーラスとして参加。

・有賀雅史…パーソナルスポーツトレーナー。

・ZARD…同じ事務所所属。ZARDの音楽葬で号泣した。

・相川七瀬…大黒のファン。ファンクラブに入っていた。

・宇多田ヒカル…大黒のファン。

 宇多田が初めて買った邦楽CDは大黒のCD。

・上原浩治、安室奈美恵、中村中…大黒のファン。

・家森幸子…カラオケで大黒の曲を歌う。

・葉山たけし…音楽プロデューサー。交際を噂された(=97年)。

・中田英寿…同じ事務所。交際を噂された(=01年)。

・夫…IT関連会社勤務。03.11.11入籍、19年春離婚。


■大黒摩季

 

□エピソードなど

・高校卒業後、スタジオを借りて作ったデモテープを持って上京。

 ※デビュー曲「STOP MOTION」はその中の1曲

・第3回BADオーディション合格(=89年)。

・上京当時、世田谷区池尻の木造アパートに住んでいた。

・スーパーマーケットで早朝から品出しのアルバイト(よく朝まで飲んで寝ないで行った)。

 青山トンネル、多摩川の河原、電車の高架下で歌の練習をした。

・上京当時は太っていた。

・デビュー前、「イカ天」の制作スタッフのアルバイトをした(楽屋番など)。

・無名時代、B'zやZARDのバックコーラス、CMソングの仕事をした。

・デビューが決まらずに行き詰まりを感じて有り金1000ドルを持ってアメリカに渡った。

 全米各地のライブハウスに出演して帰国するとソロデビューの話が決まっていた。

・デビュー曲「STOP MOTION」は普通にキャンペーンをやったがあまり売れなかった。

・セカンドシングル以降、キャンペーン、ライブ、テレビ出演をしなかったので

 「大黒摩季は実在しない」と噂された。

・若い頃は取材は一切受けなかった。

 「音楽は聴いて貰うものでいくら説明しても伝わらない」と思っていた。   

・散文集「TWO HALF」出版(=95年)。

・初のベストアルバム「BACK BEATs#1」が約300万枚の大ヒット(=95年)。

・シングル「熱くなれ」はNHKアトランタ五輪中継のテーマソング。

・地元・札幌で初のミニライブ(=96年)。

・東京・有明で初の本格的ライブで47000人を動員(=97年)。 

・エッセイ集「ありがとうなんて絶対言わない」出版(祥伝社=99年)。

・99年大晦日から約1年半歌手活動を休止。

・シングル総売上数は1000万枚以上。

 「DA・KA・RA」「ら・ら・ら」「あなただけ見つめてる」はミリオンセラー。

・歌詞は基本的に自分や知人の実体験。

 「ら・ら・ら」は不倫の歌らしい。

・ライジングサンロックフェスで約6年ぶりにステージに復帰(=16年)。

凡例:20.01現在=2020年1月現在