■嘉門タツオ(かもん たつお)
□肩書き
歌手
□本名
鳥飼達夫
□旧芸名
嘉門達夫
□生年
1959(昭和34)03.25(牡羊座/A型)
□出身地
大阪府茨木市
□出身校
茨木市立中条小学校
茨木市立養精中学校
大阪府立春日丘高校卒業
□略歴(満年齢)
87年(28歳)テレビ「笑っていいとも!」出演。
91年(32歳)「替え唄メドレー」がヒット。
92年(33歳)紅白歌合戦初出場。
※他の主なシングル:
「ヤンキーの兄ちゃんのうた」「ゆけ! ゆけ! 川口浩!!」「鼻から牛乳」
※他の主な出演:
映画 「バトルヒーター」
ドラマ「あ〜あ小市民」「双子探偵」
テレビ「探偵!ナイトスクープ」「噂の!東京マガジン」
ラジオ「MBSヤングタウン」「嘉門達夫のどんなんやねん! 」
□趣味
料理 読書 珍品収集
□特技
剣道
■嘉門タツオ
□幼少時代〜
・父親は旭屋書店のサラリーマン。
・弟、妹がいる。
・祖母が同居していた。
・小さい頃はひとり遊びが好きな内向的な子供で友達がいなかった。
・幼稚園時代、家の近くの「ヤマハ音楽教室」でオルガンを習っていた。
・小学校時代、クラスのお楽しみ会で自ら漫才の台本を書いて大ウケだった。
学芸会の劇「イワンのバカ」の主役を務めた。
・小学校時代、女の子にモテなかった。
・小学校時代、スポーツが苦手だった。
・小4の時の担任の先生(吉原先生)がユニークな人だった。
絵の具以外のものを使ったお絵描きなど教科書以外の事をいろいろ実践させてくれた。
先生にほめられて国語が得意になって夏休みの宿題の読書感想文を13冊分書いた。
※大人になった後も親交がある
・小6の時、大阪万博に20回以上行って外人の人のサインを集めた(クラスではやっていた)。
万博会場まで家から自転車で30分だった。
・中学時代、テニス部。
・中学時代、笑福亭鶴光の深夜放送とフォークソングに熱中。
深夜放送にハガキを出して何度も採用された。
・中2の時、友人とフォークデュオ・Givを結成。
オリジナル曲を作ってカセットテープに録音して友達に聞かせた。
近所の公民館を借りてコンサートを開催。
・高校は進学校。大学に進学しなかったのは嘉門だけだった。
・高校時代、剣道部。
・高校時代、剣道部のマネージャーと交際。
初めて一緒に観にいった映画は「エマニエル夫人」。
半年後に別れ話の時に偶然「エマニエル夫人のテーマ」がかかっていてふたりで泣いた。
・高校の卒業式で羽織り袴姿で小咄をやった。
■嘉門タツオ
□私生活
・好物…ラーメン(大好物、手帳に日本中のおいしいラーメン屋情報をメモ)。
名古屋コーチン。しめさば。うなぎ。カニ。
・ジョギングと野菜中心・油抜きの食事で数ヵ月で10㎏減量(=00年)。
・ラーメンの食べ過ぎで痛風になった(=93年頃)。
・バカラのワイングラスを愛用。
・好きなマンガ…「日本一の男の魂」。
・自称・雑学王。
・黒い服を好んで着る。
・収集…お弁当についているしょうゆ入れ。B級清涼飲料水。
大阪万博グッズ(ピンバッチ、パンフレットなど)。ホテルの備品。
世界各地のマグネットバッジ(約2000個)。
・ペット…うなぎの稚魚(=11.07現在)。
・住んでいる所…東京都港区芝浦(=20.06現在)。
・住んでいた所…東京都港区赤坂。
・住んでいた所…東京都世田谷区(92年購入、高級デザイナーズマンション、
メゾネットタイプの4LDK、119㎥、仕事部屋兼スタジオがある)。
・いきつけ…
ラーメン屋「野方ホープ」(中野区野方)。
「インディアンカレー」(大阪、大阪に行くと必ず行く)。
うなぎ「勢きね」(赤坂)。
創作料理「くいもの市場 壱番館」(東京・駒沢)。
・バスをよく利用する。
・遊園地が好き。
全国各地のジェットコースターを制覇。
・飲酒運転による追突事故(=23年1月)。
取消になった免許の再取得はしない事を発表。
・座右の銘…念願は人格を決定す。継続は力なり。
・几帳面な性格。
■嘉門タツオ
□人間関係
・桑田佳祐…友人。
20代前半の頃にアミューズ大阪支社で有線営業バイトをしていて、
サザンがツアーで関西に来ると打ち上げに参加して裸になって盛り上げた。
「嘉門達夫」という芸名の名付け親(桑田の別名「嘉門雄三」から姓を貰って付けて貰った)。
桑田の単独ライブに前座で出演。桑田から貰ったギターは宝物。
・北野誠、笑福亭笑瓶…友人。若い頃からの仲。妻に対して結婚をプッシュしてくれた。
・上岡龍太郎…友人。メル友。ジョギングの心得を伝授して貰った。
・坂崎幸之助…友人。
・美輪明宏…いろいろ助言してくれる。近所に住んでいる。
・槇原敬之…高校の後輩。
・伊藤敏博、高原兄…3人でジョイントコンサート。
・浅田美代子…デュエット曲「デュエット替え歌メドレー」をリリース。
・笑福亭鶴瓶…落語家修業時代の兄弟子。破門後に鶴瓶のアドバイスで全国各地を放浪した。
・笑福亭鶴光…師匠。高1の時に弟子入り(在学中は通い弟子、卒業と同時に内弟子になった)。
当時の芸名は笑福亭笑光(しょうふくてい・しょうこう)。
落語よりDJや歌手をやりたくなって勝手な活動をして21歳の時に破門された。
・高島彩…中学時代から嘉門の大ファン。
・山口百恵…高校時代山口の大ファンで将来結婚すると思い込んでいた。
・甲賀端穂…タレント。交際を噂された(=96年)。
・鳥飼こづえ…眼科医(都内の大学病院に勤務)、嘉門の個人事務所社長。08.11.30挙式。
※びまん性星細胞腫で他界(享年57=22年)
■嘉門タツオ
□エピソードなど
・内弟子時代、鶴光が飼っていた猿の世話、子供の世話、家事などをやらされた。
・笑福亭鶴光から破門されて松竹芸能を解雇された後、
ギター1本で約1年間全国を放浪した。
駅で寝てヒッチハイクをして旅先でアルバイト(スキー場、土産物屋など)をした。
放浪中にストレス解消をかねて細かい日記を付けていた。
・アルバイトとしてアミューズに入った。
・レコード「ヤンキーの兄ちゃんのうた」をリリース(=83年)。
自主制作で200枚作って自分で有線をまわって営業した。
自主制作費用17万円は1人1万円づつ17人にカンパして貰った。
・ファーストアルバム「お調子者で行こう」をリリース(=85年)。
・初のベストアルバム「エエトコドリ」をリリース(=88年)。
・「替え唄メドレー」は原曲の作者の使用許可を貰うのに苦労した。
・月1ペースでシングルやアルバムをリリース(マンスリーCDリリース計画=94年)。
・阪神大震災チャリティーシングル「怒りのグルーヴ〜震災篇」をリリース(=95年)。
・シングルのキャンペーンでマネージャーを付けずにひとりだけで全国を廻った(=99年)。
・自宅の仕事部屋でパソコンを使って曲を作る。
・地方営業の仕事多数。
・替え歌のレパートリーは400曲以上。
・黒のサングラスとスーツがトレードマーク。
・自宅を「メレンゲの気持ち」で公開(=11年7月7日放送分)。
・Twitterでネタを募集している。1日約2500の応募がある。
・芸名を「嘉門タツオ」に改名(=17年)。
・主な著書:
エッセイ集「日常〜超B級娯楽世界」「小市民ハンドブック」
凡例:20.01現在=2020年1月現在