吉田照美

吉田照美


■吉田照美(よしだ てるみ)

 

□肩書き

 アナウンサー

 

□所属

 文化放送(74年〜85年) 

 

□本名

 吉田照美

 

□生年

 1951(昭和26)01.23(水瓶座/O型)

 

□出身地

 東京都葛飾区

 

□出身校

 葛飾区立葛飾小学校

 江戸川区立小岩第三中学校

 都立小岩高校

 早稲田大学

 

□略歴(満年齢)

 74年(23歳)文化放送に入社(→85年退社)。

 87年(36歳)ラジオ「吉田照美のやる気MANMAN」パーソナリティー。

 99年(48歳)テレビ「どう〜なってるの?」司会。

 ※他の主な出演番組:

  映画 「ゴジラ2000ミレニアム」「スカイハイ劇場版」

  テレビ「夕やけニャンニャン」「ぴったしカンカン」「11PM」

      ラジオ「セイ! ヤング」「吉田照美 ソコダイジナトコ」「親父熱愛」

 

□趣味

 読書 映画鑑賞 パソコン 

 

□特技

 絵画(色鉛筆画、油絵)

 

□資格・免許

 書道3段

 

□サイズ

 182㎝ 靴のサイズ27㎝

■吉田照美

 

□幼少時代〜

・父親は製紙会社のサラリーマン。

・ひとりっ子。

・子供の頃、内気でおとなしくて話下手だった。

・子供の頃、よく扁桃腺が腫れた。

・子供の頃、よくひきつけを起こした。

・子供の頃、社宅の共同風呂(混浴)を利用。

 両親と父親の同僚が普通に一緒に入浴していた。

・幼稚園時代、女の子にイジメられて泣かされた。

・幼稚園時代、マンガが大好きだった。

 将来漫画家になりたいと思っていた。

・小学校時代、「照美」という名前を女の子みたい、とからかわれた。

・小学校時代、寒い冬の日にたき火で暖めた石を懐に入れて登校。

・小学校時代、身長がクラスの男子で一番大きかった。

・中学時代、体操部。

 屋外練習で側転に失敗して転んだ時にガラスの破片で肘を怪我をして退部。

 肘から血が1mピューッと吹き出した。

・高校時代、柔道部。

 厳しい練習に嫌気がさして数ヵ月で退部。

・高校時代、自転車に乗っていてクルマに衝突した。

・反抗期があった。

・大学受験で5校受けて全敗。

 親が「腰抜け」と呼んでいるのを聞いてショックを受けた。

・大学浪人中に対人恐怖症&女性恐怖症になった。

・大学時代、対人恐怖症を治すためにアナウンス研究会に入った。

・大学時代のアルバイト…ゴムボート工場。家庭教師。

・大学1年の時、中学時代から好きだった女性に手紙で告白してフラれた。

・大学1年の時、アナウンスコンテストのフリートークで絶句してしまった。

 

■吉田照美

 

□私生活

・好物…果物(特に桃、メロン、バナナ)。デザート。和菓子。

・嫌いな食べ物…パクチー。

・若い頃はヘビースモーカー。

・健康法…玄米。スポーツジム(筋トレ)。犬の散歩(1日3回)。

・持病…腰痛。

・20代の時にはしかになった。

・尿管結石になった事がある。

・花粉症。

 体質水で花粉症が軽減した。

・寝付きがとても良い。

 どこでもすぐに寝られる。

・バスタオルは1回使ったら洗う。

・寒がり。

・美容院が苦手。

・サウナが苦手。

・好きなマンガ家…つげ義治。

・アロハシャツが好き。

・収集…切手。

・ペット…

 犬(ラブラドール)。

 猫(子猫5匹=23.07現在)。

・東京都渋谷区在住(=20.04現在)。

・50歳を過ぎてから絵を描き始めた。

 自宅近所にアトリエ用のアパートを借りている(=07.11現在)

・いきつけ…中華「筑紫樓」(渋谷区恵比寿)。

・巨人ファン。

・年賀状をほとんど出さない。

・37歳で結婚するまで実家に住んでいた。

・母方の叔母は106歳で他界。

・メイド喫茶に行った事がある。

・恋愛に関して奥手だった。

 女性との初交際は20代半ばだった。

・若い頃は自称ソープの帝王。

 ソープランドをハシゴした事があったらしい。

 

■吉田照美

 

□人間関係

・伊東四朗…ラジオ番組で長年レギュラー共演。

・大竹しのぶ…都立小岩高校の後輩。

・みのもんた…文化放送の先輩。

 入社試験の2次試験で試験官だったみのもんたに「ラ行が弱いね」とダメ出しされた。

・八代亜紀…八代がやっている油絵教室に通った。

・乙葉…映画「バネ式」に出演。

・伊東四朗…ラジオ「親父熱愛」で共演。

・オテンキのり…ラジオ「てるのりのワルノリ」で共演。

・みうらじゅん…みうらが勝手に制定した「みうらじゅん賞」を吉田が受賞。

・ザ・リリーズ…吉田照美&リリーズでデュエット曲「夫婦茶碗」を発表。

・小俣雅子…ラジオ番組「吉田照美のやる気MANMAN」で長年共演。

 デュエット曲「浮気道・やるべ」を発表(=98年)。

 雑誌「女性自身」が車中熱烈キスシーンを掲載(=01年)。

・品川祐…品川の母親と一緒に司会の仕事をした事がある。

・ヒデ(ペナルティ)…ラジオ「てるてるワイド」のハガキ職人だった

 ※中学時代、ペンネームは「明石家まぐろ」

・小山薫堂…吉田のマネージャー、吉田が経営していた店の店長を努めていた。

・HEY!たくちゃん…吉田のモノマネをする。

・有野晋也、坂本昌行…顔が似ているとよく言われる。

・真野響子…憧れている芸能人。

・妻…88年結婚。9年間交際して結婚。

 ラジオ「セイ!ヤング」の公開イベントで知り合った。

・子供:

 長男…中1(=02.12現在)。

 

■吉田照美

 

□エピソードなど

・新宿音楽祭で司会をした時に観客が投げた生卵が命中した。

・ラジオ「セイ! ヤング」の企画でいろいろなイタズラをした。

 電車の車内で乾杯する企画にリスナーが殺到してパニックになりかけた。

 東大の合格発表でニセ学生として派手に胴上げされてNHKのニュース番組で取り上げられた。

・ラジオ番組の宣伝の為に頭にリボンを付けて日本テレビ「ズームイン朝!」に出演して

 徳光和夫からインタビューされた(テレビ初出演=81年)。

・テレビ「オレたちひょうきん族」の「タケちゃんマン」にゲスト出演。

・ラジオ「吉田照美のやる気MANMAN」が全局ワイド番組の中で首位を獲得(=98年)。

・ラジオ番組のCMの合間に昼ごはんを食べた事がある(食べながら喋った事もある)。

・映画「ゴジラ2000ミレニアム」にゴジラ上陸のニュースを読む役で出演(=99年)。

・舞台「バネ式 17歳のこの胸に」脚本・演出・主演(=00年)。

・映画「バネ式」監督(第1回監督作品=02年)。

 ※予算は約700万円、役者のほとんどは友情出演

・オリジナルショップの経営に2回失敗。

・自宅を「情報ツウ」で公開(=02年)。

・美術展(三軌展)で入選(=06年)。

・若い頃は遅刻の常習犯だった。

・生放送のラジオ番組で気分が乗らない時は「今日は調子が悪いです」と冒頭で言う。

・日本テレビ「ラジかるッ」にDJ TERUの名前で出演。

・CD付きの絵本「バルサの翼」を出版(文、絵、作詞をてがけた=07年)。

・アルバム『愛よ! 倹つましき者たちに、絶え間なく降りそそげ!」をリリース(=12年)。

・エッセイ集「いななくぞこのやろう」出版。

・文化放送の冠帯番組に36年半出演(=80年10月〜17年3月)。

凡例:20.01現在=2020年1月現在