■古賀稔彦(こが としひこ)
□肩書き
柔道選手(00年引退)
□本名
古賀稔彦
□生年
1967(昭和42)11.21(蠍座/A型)
□没年
2021(令和03)03.24(享年53)
□出身地
福岡県久留米市
□出身校
弦巻中学校
世田谷学園高校
日本体育大学卒業
□略歴
92年(25歳)バルセロナ五輪金メダル(72㎏級)。
95年(28歳)世界選手権優勝(3回目)。
96年(29歳)アトランタ五輪銀メダル(78㎏級)。
※主な出演:
テレビ「24時間テレビ」
□サイズ
169㎝
□特記事項
・バルセロナ五輪金メダル
■古賀稔彦
□幼少時代〜
・父親は鉄骨関連の仕事をしていた。
・2歳年上の兄がいる。
・子供の頃は病弱だった。
気管支が弱かった。よく発熱した。
・小学校時代、父親と一緒に外で遊んだ。
虫採り(クワガタ、カブトムシ)、潮干狩り、ウナギ釣り、など。
・小1の時、兄と一緒に柔道を始めた。
近所の神社の石段150段を毎日7往復した。
父親が庭に鉄柱を埋めて作ったトレーニングマシンで打ち込みを練習。
・小学校卒業後、上京して講道学舎(柔道のエリート私塾)に入門。
・中学〜高校時代、寮生活。坊主頭で柔道漬けの毎日だった。
・中学〜高校時代、自分より大きい選手を投げるのが大好きだった。
・中学時代、ガニ股を矯正する為に普段から内股で歩いた。
・中学時代、全国大会の個人と団体で優勝。
・高校時代、インターハイで個人2連覇、全国選手権で団体2連覇。
・大学の卒論のテーマは「背負投げの魅力を探る」。
・チャレンジ精神を養う為にバナナを皮ごと食べた。
■古賀稔彦
□私生活
・好物…刺身。
・好きな酒…焼酎。
・好きな映画…「ロッキー」(仕事の前に必ず観る)。
・感激屋。アニメ「フランダースの犬」を見て号泣する。
・注射が大の苦手。
・お化けが怖い。
・電化製品が苦手(説明書を読まない)。
・自宅の屋上にプールがある(=06.10現在)。
・自宅の1階で柔道教室をやっている(=15.11現在)。
・子供は3人とも柔道をやっている(=15.11現在)。
・妻はハンドボールなどをやっていた。
■古賀稔彦
□人間関係
・吉田秀彦…講堂学舎の2年後輩。
講堂学舎時代の当時の吉田は古賀の投げられ役だった。
バルセロナ五輪で吉田との乱取り練習中に左膝を大怪我
・ボビー・オロゴン…テレビ「からくりTV」の企画でスパーリング。
・谷本歩実…谷本がアテネ五輪で金メダルを取った時にコーチを務めた。
・安西ひろこ…古賀のファン。
・吉村和郎…コーチ。育ての親。
「どんなに厳しい練習でもネをあげなかったのは古賀だけだった」と発言。
・古賀正博…兄。柔道選手。
・元妻…?年結婚、96年離婚。
・早苗…?年結婚。
・子供:
長男…古賀颯人。97.09.13誕生。柔道選手。慶応高校教員。
次男…古賀玄暉。98.12.19誕生。柔道選手。
長女…古賀ひより。00.09.12誕生。柔道選手。
■古賀稔彦
□エピソードなど
・得意技は背負い投げ。兄から教わった。
大きい相手に手をつかれて防がれないように立ったまま投げる。
・本能を研ぎすます為に川や海で魚を突く事を練習に取り入れていた。
・「最も金メダルに近い選手」という前評判だったソウル五輪で3回戦敗退。
長期間の練習をしすぎてソウル五輪本番は疲労がピークだった。
ソウル五輪以降は練習方法を短期集中型に変えた
・全日本選手権で史上最軽量(76㎏)で決勝進出(=90年)。
※決勝で小川直也に破れた(全日本選手権は体重無差別)
・バルセロナ五輪で吉田秀彦との乱取り練習中に左膝を大怪我(左足側副靭帯損傷)。
痛み止めの注射を6本打って出場して金メダル。
怪我をした後で吉田と一緒にヌーディストビーチでトップレスの女性を見て気分転換。
普通に歩くまでに1ヵ月、柔道をやるまでに1年かかると言われた大怪我だった。
・ポイントを挙げても逃げの態勢には入らずに常に一本勝ちを目指した。
・「平成の三四郎」と呼ばれた。
・飲食店でサインを求められると住所を訊き、自宅で丁寧に筆ペンで書いた色紙を送付。
・雑誌「近代柔道」のあこがれ欄で名指してくれた人に筆ペンで書いたサイン色紙を送付。
・町道場「古賀塾」を神奈川県川崎市高津区に開塾(=03年)。
自宅を兼ねた3階建て、1階は72畳の道場。
・「24時間テレビ」の企画で100人掛けに挑戦(=05年)。
・自宅を「メレンゲの気持ち」で公開(=06年10月14日放送分)。
・IPU環太平洋大学体育学部体育学科教授・女子柔道部総監督に就任(=07年)。
・弘前大学大学院医学研究科でスポーツ医学を研究。※08年入学、12年修了
・全日本柔道女子強化委員に就任(=14年)。
・次男・古賀玄暉が全日本体重別選手権優勝(60㎏級=21年)。
凡例:20.01現在=2020年1月現在