古舘伊知郎
■古舘伊知郎(ふるたち いちろう)
□肩書き
アナウンサー
□所属
テレビ朝日(77年〜84年)
□本名
古舘伊知郎
□生年
1954(昭和29)12.07(射手座/AB型)
□出身地
東京都北区滝野川
□出身校
北区立滝野川第二小学校
千代田区立今川中学校
立教高校
立教大学経済学部卒業
□略歴(満年齢)
77年(23歳)アナウンサーとしてテレビ朝日に入社(→84年退社)。
87年(33歳)テレビ「オシャレ30・30」出演。
04年(50歳)テレビ「報道ステーション」出演(〜16年)。
※他の主な出演:
舞台「古舘伊知郎トーキングブルース」
テレビ「ワールドプロレスリング」「夜のヒットスタジオ」「F1中継」
□趣味
映画鑑賞 カラオケ サウナ
□サイズ
170㎝
■古舘伊知郎
□幼少時代〜
・父親は会社社長。
40代で途中入社した2部上場企業で社長になった。
・6歳年上の姉がいる。
・家族全員がお喋りで話上手だった。
父親は早稲田大学雄弁会出身。
・父親は敬虔なクリスチャンだった。
・母親はとても記憶力が良かった。
ハリウッド女優の名前を100人以上暗記していた。
・子供の頃は内気で無口で引っ込み思案だった。
200m離れた友人の家からひとりで帰れなかった。
活発な姉に憧れていた。
・小4の時、学芸会で一言台詞を言った瞬間に人前で喋る快感に目覚めた。
・小学校高学年の頃は肥満児だった。
・中学時代、プロレスごっこのバックドップで気絶して病院に運ばれた。
・中学時代、将来ラジオのアナウンサーになりたいと思った。
ラジオの深夜放送を3局かけもちで聴いていた。
・高校〜大学時代、放送研究会。
・高校時代、東武東上線の車掌のモノマネが得意だった。
・高校時代、プロモーター兼実況アナウンサーとして中庭でプロレス大会を開催。
・19歳の時、セックスを初体験。
・大学時代、アメフト部。1年で退部。
・大学時代、レストラン「ココ・パームス」でウェイターのアルバイト。
・大学時代、箱根のホテルでアルバイト。
・大学時代、三越の配送のアルバイト。
連日配達した大きな屋敷の若奥さんを好きになってバイト最後の日に告白した。
・大学時代、神宮球場で六大学野球を観戦する時に母校寄りの「実況」をした。
・大学時代、東京アナウンスアカデミーに通った。
・大学4年の時、卒業旅行でひとりでヨーロッパに行った(初の海外旅行)。
■古舘伊知郎
□私生活
・好物…じゃがいも(大好物)。
干いも(1年中常備、旅先に持っていく)。
花豆(一袋一気に食べる)。
・嫌いな食べ物…レバー。カキ(匂いだけでも駄目)。
・禁煙に挑戦して2ヵ月で挫折(=00年)。
・健康法…パーソナルトレーニング(週1回、全身の筋肉を連携させる)。
・フィリピンで5日間の断食&腸内洗浄をした事がある。
・3年間飲尿療法を続けた事がある。
・軽い睡眠導入剤を飲んでつまらない映画を見ながら寝る。
面白い映画だと目が冴えてしまう。
・肘、手首、手の甲を使ってテーブルを叩いてリズムを刻む事ができる。
・ヘビが苦手。
・新聞6紙を読む。
・好きな歌手…吉田拓郎。
・お香が好き。
・アンティークウォッチが大好き。
飲んでいる時に褒められとその時つけている時計をプレゼントしてしまう。
・住んでいる所…東京都世田谷区(=22.01現在)。
・自宅にトイレが4つある(=04.03現在)。
・渋谷に仕事部屋がある(=02.10現在)。
・29歳まで実家に住んでいた。
・いきつけ…
「鰻 両國」(両国、焼鳥=23.08現在)。
スペイン料理「Los Reyes Magos」(参宮橋=23.08現在)。
※「Los Reyes Magos」のオーナーは幼稚園からの親友だった(54歳で他界)
・サウナ、鍼、灸、マッサージが好き。
・スーパーでの買い物が大好き。
・毎年夏休みに宮古諸島の小さな島でリフレッシュ。
・予定を立てるのが大好き。
リゾート地でも規則正しく予定を立ててリラックスする。
・パソコン、メールに興味がない。携帯を持ってない。※01.10現在
・自分で自分を「オバさんっぽい」と自覚している。
妻から「オバさん」と呼ばれる。
・話を盛る癖がある。
・父親は心不全で他界(=98年)。
・母親は84歳で他界。
・姉はガンで他界(享年42=91年)。
■古舘伊知郎
□人間関係
・高見沢俊彦…親友。高見沢から「いっちゃん」と呼ばれる。
一緒に飲んでスポーツ新聞に「女性と密会」と書かれた事がある。
・水谷豊…友人。3ヵ月に1回会って奢り合う。
・アントニオ猪木…友人。
参院選に立候補した猪木を「国会に卍固め」というキャッチコピーで応援(=89年)。
・みのもんた…友人。立教大学の10年先輩。中学時代から憧れていた。
テレ朝の新人時代にカバン持ちで銀座のクラブ巡りに同行。
一緒に旅行に行った事がある。
「報道ステーション」にみのがゲスト出演(=06年)。
・千原ジュニア…友人。ふたりで食事。
・石橋貴明、秋元康…友人。飲み友達。
・和田アキ子…友人。若い頃に和田の家に何度も泊まった。
・加賀まりこ…友人。歌舞伎を一緒に観た。
「夜のヒットスタジオSUPER」の司会で共演。
・片岡鶴太郎、養老孟司、秋野暢子…友人。
・浜田雅功…息子同士が友人(バンド仲間)。
・赤井英和…妻同士が友人。
・中村江里子、古舘伊知郎、みのもんた、徳光和夫
…立教大学放送研究会出身。
・渡辺宜嗣…テレビ朝日の同期。
学生時代のアナウンサーの学校時代からの仲。
若い頃に渡辺が泊まりに来てシングルベッドで一緒に寝た。
・南美希子…テレビ朝日の同期。
・上沼恵美子…紅白歌合戦の司会で2年連続共演(=94年、95年)。
・柴俊夫…「夜のヒットスタジオデラックス」で共演。
・阿川泰子…「オシャレ30・30」で共演。
・マルシア、渡辺満里奈…「おしゃれカンケイ」で共演。
・ピーコ……スタイリストをやって貰っていた。
・松尾貴史…同じ事務所。
・中村雅俊…古舘の長女と中村の次女が同じ日に生まれて偶然同じ名前を付けた
(麻美、読み方は古舘は「あさみ」、中村は「あみ」)。
・伍代夏子…デュエット曲「男と女のはしご酒」をリリース(=87年)。
・松村邦洋…古舘のモノマネができる。
・久米宏…「報道ステーション」の前番組「ニュースステーション」のキャスター。
・谷ナオミ…若い頃に谷の熱狂的ファンだった。
谷が出演したポルノ映画をハシゴ、会社を休んで谷の引退興行に行った。
・飯島直子…憧れている芸能人。好きなタイプ。
・有森裕子…古舘のファン。古舘のトークライブに3回来た。
・戸田恵子…古舘のファン。古舘のトークライブに毎回来る。
・島崎和歌子…古舘のファン。
・梅田淳…梅田はアナウンサーとして古舘を目標にしている。
・飛鳥涼…妻が飛鳥の大ファン。
・美樹…元フライトアテンダント。87年結婚。
ハワイに行く飛行機が揺れた時に空いていた隣の席に座って知り合った。
・子供:
長女…麻美(あさみ)。88.11.21誕生。
次女…9歳(=98年現在)。
長男…古舘佑太郎。1991.04.05誕生。ミュージシャン、俳優。
■古舘伊知郎
□エピソードなど
・新人アナウンサー時代、くだけた口調で出前の電話をかけて先輩に怒られた。
・新人アナウンサー時代、大井競馬場で全レースの実況練習をして、
脳が実況モードから抜けなくなり、自宅に帰る自分を延々実況した。
・テレビ朝日時代、最初の3年間は基本に忠実にアナウンスしていた。
・「ワールドプロレスリング」の独特のフレーズを駆使した過激実況が話題になった。
・主な古舘語:
アントニオ猪木「燃える闘魂」「国会に卍固め」
長州力「革命戦士」「掟破りの逆サソリ」
アンドレ・ザ・ジャイアント「人間山脈」「ひとり民族大移動」
アイルトン・セナ「音速の貴公子」
ボブ・サップ「ひとり定員オーバー」
ミルコ・クロコップ「蹴りの24時間営業」
山田勝己「職業SASUKE」
・プロレスやF1の独特なフレーズの殆どは事前に用意していた。
・タイガーマスクの入場曲「燃えろ! 吠えろ! タイガーマスク」のボーカルを担当。
・中継トラブルでオンエアに画が映らない状態でプロレス実況を数十分続けた事がある。
・テレビ朝日を退社して古舘プロジェクトを設立(=84年)。
・フリーになった時、テレビ朝日の大物プロデューサーに
「お前が1年でつぶれるのを楽しみにしてるぞ」と言われた(それが逆に励みになった)。
・フリーになって最初のギャラ(800万円)を連日のドンチャン騒ぎで1ヵ月で使い切った。
・テレビ「笑っていいとも!」のコーナー司会を担当。
ヘッドホンマイクを装着して「おーっと」のフレーズでいきなり実況開始。
・ドラマ「ヨイショ君」主演(=85年)。
・テレビ「徹子の部屋」で飲み物のグラスを倒して割ってしまった(=87年10月5日放送分)。
・トークライブ「古舘伊知郎トーキングブルース」を開催(=88年〜)。
・映画「スウィートホーム」に出演(=89年)。
・民法全局のゴールデンタイムを制覇。
・3年連続で紅白歌合戦白組司会(=94年〜96年)。
・競輪の実況を担当(=97年〜)。
・世界陸上スペイン大会の女子マラソンの実況を担当(=99年)。
・00年大晦日に路上トークライブを開催、
カウントダウンを行わずに世紀をまたいで喋り続けた。
・世界水泳日本・福岡大会とスペイン・バルセロナ大会の実況を担当(=01年、03年)。
・トークライブ「トーキング・ブルース」のテーマにシェイクスピアを選んで全37作品を読破。
・メガネ20〜30個が入っているメガネケースを常時携帯。
・難しい言葉を暗記するのが好き。
・トークの練習の為に小声で実況中継しながら散歩する。
・ファンに貰った木彫りのマイクをお守りとして持ち歩く。
・立教大学経済学部客員教授に就任(=19年)。
「現代社会における言葉の持つ意味」を担当。
・主な著書:
「晴れた日には会社をやめたい」
「えみちゃんの闘病記」
「母なる映画、父なるビデオ」
「MC論」
凡例:20.01現在=2020年1月現在