原田真二
■原田真二(はらだ しんじ)
□肩書き
歌手 作曲家
□本名
原田真二
□生年
1958(昭和33)12.05(山羊座/AB型)
□出身地
広島県広島市
□略歴(満年齢)
77年(19歳)シングル「てぃ〜んずぶる〜す」でデビュー。
98年(40歳)ミュージカル「奇妙なゲーム」の音楽を担当。
02年(44歳)日韓合作映画「白神渡海」の音楽を担当。
※他の主なシングル:
「キャンディ」「タイム・トラベル」「シャドウボクサー」
※主な出演:
テレビ「スタジオパークからこんにちは」
□趣味
料理
■原田真二
□幼少時代〜
・母親は仕事で児童文学に携わっていた。
・母親の影響で子供の頃から読書が好きだった。
・子供の頃、宇宙飛行士になりたいと思っていた。
・小学校時代、広島のローカル番組に出演。
・小6の時、エルビス・プレスリーのコンサートの衛星中継を見てロックに目覚めた。
・中2の時、ギターをはじめる。
・中3の時、考え方教室に通ってポジティブシンキングの方法論を学んだ。
考え方教室で出会った小柴先生は人生の師。
・高校は進学校だったが全く勉強しなかった。
・高校時代、ロックバンドを結成して自分のオリジナル曲を演奏。
・高校時代、6つのバンドにかけもちで参加。
・高1の時、ピアノをはじめた。
・大学の講議に出たのは2回だけだった。
□私生活
・得意料理…イタリア料理。
・好きな酒…ラム。
・葉巻を愛飲。
・健康法…ウォーキング。
・好きなアーティスト…エルトン・ジョン。スティービー・ワンダー。
・自宅のトイレで考え事をするのが好き。
・計画を立てるのが好き。
・精神世界にに興味関心がある。
・別荘がある所…静岡県熱海市(スタジオ、天然温泉風呂=08.10現在)。
・いきつけ…ラーメン屋「しる幸」(飯田橋)。
□人間関係
・石野真子、ツイスト、サザンオールスターズ、渡辺真知子…歌手デビュー同期生。
・吉田拓郎…デビュー時のプロデューサー。
・高樹沙耶…中学時代、原田の大ファンで何度もコンサートに来た。
・中森明菜、小泉今日子…曲を提供。
・小川菜摘…原田の大ファンだった。
・松田聖子…原田の大ファンだった(ファンクラブに入っていた)。交際を噂された。
松田に楽曲を提供してコンサートとディナーショーをプロデュース(=01年)。
・千賀代…?年結婚、02年離婚。
・子供:
長男…25歳(=08.10現在)。ミュージシャン。
次男…20歳(=08.10現在)。
■原田真二
□エピソードなど
・高2の時、自作の曲で応募したフォーライフレコードの新人オーディションに合格。
締切に間に合わなくなりそうだったので修学旅行を休んで曲を作った。
・デビュー当時、当時目新しかったピアノの弾き語りをテレビ番組で披露。
・デビュー曲から3ヵ月連続でリリースしたシングルが3曲同時にヒットした。
※「てぃ〜んずぶる〜す」「キャンディ」「シャドーボクサー」
・デビュー当時、「ロック界のアイドル」と呼ばれた。
ファンクラブの会員は3万人以上。アイドル雑誌の表紙を何度も飾った。
コンサートに定員を大幅に上回る客が殺到して機動隊が出動する新聞沙汰になった。
・10代ソロ歌手として初めて武道館でコンサートを開催。
・初アルバム「Feel Happy」がオリコン初登場1位(=78年)。
※10代男性ソロ歌手の初アルバム初登場1位は原田のみ(=17.06現在)
・NHK紅白歌合戦でピアノの上に置いたバラだけカラーになる特別演出。
「テレビが壊れて白黒になった」と思った視聴者がたくさんいたらしい。
・デビュー前から自分の音楽のテーマは「愛」「平和」だと思っていた。
最終的に松本隆が作詞を担当したデビュー曲「てぃ〜んずぶる〜す」は
最初に自分で作ったのは「君の世代へ」というメッセージソングだった。
・テレビ「8時だヨ! 全員集合」の出演をドタキャンした。
・独立して個人事務所を設立(=80年)。
・アメリカに音楽留学(=82年)。
・CM音楽を多数てがけている。
・八王子市立袖木小学校の校歌「下柚木の丘はいつだって」を作詞作曲(=95年)。
15分で作詞作曲。CD化されて一般発売された。
・環境庁主催のチャリティーライヴをプロデュースして自らも演奏、
収益金をボスニアヘルツェゴビナに寄付(=96年)。
・国際環境会議に参加(=99年)。
・環境問題を訴えるチャリティーコンサート「鎮守の森コンサート」を全国各地の神社で開催。
伊勢神宮や明治神宮で歌った。
・日本の伝統芸能を取り入れたライブをフランスで開催(=04年)。
・自宅を「情報ツウ」で公開(=05年10月25日放送分)。
・別荘を「メレンゲの気持ち」で公開(=08年10月18日放送分)。
・長男が松田聖子の「アベ・マリア」にラッパーとして参加。
・ニューヨーク国連本部でスピーチとライブを行った。