北島三郎
凡例:20.01現在=2020年1月現在
■北島三郎(きたじま さぶろう)
□肩書き
歌手 作曲家
□本名
大野穣(おおの みのる)
□別名
原譲二(作曲家、俳優、演出家)
□愛称
サブちゃん
□生年
1936(昭和11)10.04(天秤座/O型)
□出身地
北海道上磯郡知内村
□出身校
知内村立知内小学校
知内村立知内中学校
函館西高校
東京声専音楽学校中退
□略歴(満年齢)
62年(26歳)「なみだ船」で日本レコード大賞新人賞。
65年(29歳)「帰ろかな」がヒット。
91年(55歳)「北の大地」で日本レコード大賞。
※他の主なシングル:
「函館の女」「与作」「まつり」
※主な出演:
映画 「兄弟仁義」「修羅の群れ」「ジョバンニの島」
ドラマ「暴れん坊将軍」「ライスカレー」「優しい時間」
テレビ「サブちゃんと歌仲間」「北島ウインクハート」「ごきげんよう」
CM 「永谷園 すし太郎」「サントリー ボス」
□趣味
熱帯魚 絵画(水彩画、油絵、水墨画) 書道 麻雀
競馬 買い物 格闘技観戦
ゴルフ ドライブ
□特記事項
・三女は水町レイコ
・次女の夫は北山たけし
・日本レコード大賞(91年「北の大地」)
・紅白歌合戦50回出場(トリ13回)
■北島三郎
□幼少時代〜
・父親は漁師。
・7人兄弟(5男2女)の長男。
・1歳年下の弟が生まれると祖父母の所に預けられた。
・知内村前浜の漁師の親分だった祖父にかわいがられて育った。
祖父が子守歌として「江差追分」を歌ってくれた。
・子供の頃、夏は海や川で泳いで森でカブト虫を採り、冬は手作りのスキーで遊んだ。
・子供の頃、お祭りの演芸大会に1歳年下の弟を一緒に出場しては賞金や賞品を貰った。
・小3の時、ニシン漁の斜陽化で漁業を辞めて内陸部に引っ越して農業に転業。
・小学校高学年の頃、岡晴夫の歌が大好きだった。
・中学時代、商船学校に行って船乗りになりたいと思っていた。
・高校は地元の名門校。
・高校時代、ラグビー部。
・高校時代、朝4:00に起きて片道3時間をかけて汽車通学。
・高校時代、母親が毎朝3時に起きて弁当をふたつ作ってくれた。
・高校時代、家が貧乏で冬に手袋もコートも買って貰えなかった。
・高校時代、地元では有名な不良だった。
函館山の教会の横の芝生でよくケンカをして必ず勝った。
・高校時代、学校をさぼって岡晴夫、田端義夫、三浦洸一、三橋美智也のリサイタルに行った。
・高2の時、海で溺れていた小学生を助けて北海道新聞に載った。
・高2の時、NHKのど自慢に出演。
三浦洸一「落葉しぐれ」を歌って鐘2つ、司会の宮田輝にホメられた。
・学生時代、ボクシングをやっていた。
・学芸会や青年団の演芸会でよく歌を歌った。
■北島三郎
□私生活
・好物…赤飯。味噌ラーメン。磯辺焼。
ちゃんこ鍋。肉じゃが。とんかつ。味噌かつ。ししゃも。マヨネーズ。
ポン菓子。こしあんのおはぎ。炭酸を抜いたサイダー。甘いもの。
・嫌いな食べ物…生臭い魚(サバなど)。おでんの大根。
匂いのある野菜(ピーマン、春菊、にんじんなど)。
・酒はほとんど飲めない。
・昔はヘビースモーカーだったが禁煙した。
・コーヒーに砂糖を大量に入れる。
・腎臓結石の石が自然に出てきた(=99年1月)。
・自宅で転倒して歩行困難になって入院(頸椎症性脊髄症、コンサートを延期=16年)。
・自宅で転倒して足の指を骨折(=19年11月)。
・睡眠時間は5〜6時間(デビュー当時から変わらない)。
3:00〜4:00に寝る。移動中に立ったまま寝る事ができる。
・左足を上に組んで両手を胸の上に置いて寝るとよく金縛りになって霊を見る。
・自分自身の霊(?)をよく見る。
・機械が苦手。テレビの予約録画ができない。
・好きな音楽…レゲエ。
・好きな曲…ハリー・ベラフォンテ「バナナ・ボート」。
・テレビのスポーツ中継をよく見る。
・ロレックスの超高級腕時計を愛用(値段は1300万円)。
・ペット…シェパード4匹(=07.01現在)。プードル(=07.01現在)。
冷暖房完備の大きな犬小屋がある。一番多い時は犬を11匹飼っていた。
・自宅の庭に野生のカルガモが来て子供が11羽生まれた。
・住んでいる所…東京都八王子市(83年落成、土地1500坪、建坪300坪、部屋数36、
庭はゴルフ練習ができる広さ、テニスコートが2面、富士山が見える=14.06現在)。
・事務所がある所…東京都中野区(=08.01現在)。
・流しをやっていた時、家賃3000円の3畳のアパートに住んでいた。
家財道具はテーブルとして使っていたリンゴ箱だけ。
せめて1000円欲しいと思っていたら道で拾った事がある。
・家賃を滞納していたアパートから夜逃げした事がある。
・いきつけ…ちゃんこ鍋「逆鉾」(京都・河原町)。
・クルマの運転が好き。弟子を隣にのせて自分で運転する。
・買い物が大好き。
・ゴルフ場で手づかみでセミを捕まえる。
・仏所護念会の会員。
・満月の時に月に向かって財布を振る(お金が入ってくるおまじない)。
・クレジックカードが嫌い。常に現金を100万円以上持ち歩く。
・ギャンブルをする時は名前にちなんで「3」「6」に賭ける。
・競馬が大好き。
・競馬で1日に1000万円使った事がある。勝った最高額は2900万円。
・競争馬を約70頭所有(購入総額4億円以上=16.01現在)。
キタサンフドー…皐月賞14着(=97年)
キタサンシーズン…埼玉新聞杯優勝(=98年)
キタサンチャンネル…ニュージーランドトロフィー優勝(=01年)
サンデーサイレンスの仔を所有(種付料は3000万円)。
キタサンブラックが菊花賞、天皇賞2、ジャパンカップ、有馬記念勝利(=15〜17年)。
※キタサンブラックの芝G1通算7勝はJRA歴代最多タイ
※キタサンブラックの獲得賞金18億7684万3000円はJRA史上歴代最多
※キタサンブラックG1勝利の表彰式でアカペラで「まつり」を歌った
※キタサンブラックは史上34頭目の表彰馬
・道営競馬「ホッカイドウ競馬」のテレビCMにノーギャラで出演(=99年)。
・競馬場に行くハイヤーの運転手をげんかつぎで同じ人を指名する。
※金馬(こんま)時男さん(ヤサカ自動車、G1初制覇の時の運転手)
・若い頃によくヤクザとケンカした。
1日3回警察の世話になった。
一升瓶で頭を殴られて流血して包丁を持って仕返しに行って銃を突き付けられた。
・カラオケの十八番…松山千春「恋」。
・負けず嫌い。
・頼まれると嫌と言えない性格。
・娘の名前に「ピー」を付けて呼ぶ(三女・レイコは「レイピー」)。
・三女は頻繁に自宅に遊びに来る。
・母親の命日に誕生した孫をかわいがっている。
・弟・大野拓克が肝臓がんで他界(享年67=14年)。
・妻はデビュー前に住んでいたアパートの大家の娘でファン第1号。
一目惚れしてからデートに誘うまで1年かかった。
・妻の明るさとバイタリティーにひかれて結婚を決意した。
・結婚当初「歌手が駄目だったら私が食べさせてあげるわよ」と妻に言われた。
・結婚記念日、誕生日などに必ず妻にプレゼントを贈る。
■北島三郎
□人間関係
・里見浩太朗…親友。「サブちゃん」「コウちゃん」と呼び合う。
・浅茅陽子、坂口良子、和田アキ子…友人。
・菅原文太、龍虎、長島茂雄、王貞治…友人。
・ジャンボ尾崎…ゴルフの師匠。ジャンボが優勝するとお祝いの電話をする。
・仲代達矢…無名塾の生徒と北島の弟子が交歓
・堺正章…父・堺駿二にかわいがって貰った。
・水前寺清子…デビュー当時からの友人。
・都はるみ…妹分。
・山本譲二、大橋純子、松原のぶえ、小金沢昇司、原田悠里、和田成司…
北島音楽事務所の所属歌手。
山本は約2年間北島の付き人をやっていた。
・鳥羽一郎…デュエット曲「演歌兄弟」をリリース(=02.01.01)。
・木梨憲武、山本譲二…憲三郎&ジョージ山本のシングル「浪漫」を北島が作曲(=96年)。
・松平健…ドラマ「暴れん坊将軍」で共演。
・白木みのる…北島三郎公演に毎年ゲスト出演。
・船村徹…作曲家。師匠。
・武豊…キタサンブラックの主戦騎手。
・瀬川瑛子…子供の頃に瀬川の父親が出身地の函館で行った舞台を観た。
・大沢あかね…北島の大ファン。北島に憧れて芸能界を志した。
北島三郎プリントのお守りを常時携帯。
・デヴィ夫人…北島のファン。コンサートに来る。
・ジャンボ尾崎、ガッツ石松…北島のファン。
・岸本加世子…岸本の母親が北島の大ファンだった。
子供だった岸本を北島がだっこしている写真が残っている。
・川田さん…流し時代の相棒。
・小鹿朝子…楽屋の専属料理人。
・加藤高道(狩人)…北島のものまねができる。
・北山たけし…8年間北島の付き人をしていた。
04年歌手デビュー。09年に北島の次女・智子と結婚。
・雅子…59.11.30挙式。「パパちゃん」と呼ばれる。北島音楽事務所社長。
・子供:
長男…龍。63年誕生。北島音楽事務所社長。
次男…大野誠(大地土子)。作曲家。北島音楽事務所役員。※18年他界(享年51)
長女…綾子。北島音楽事務所社員。
次女…智子。北島音楽事務所社員。
三女…水町レイコ。74.10.17誕生。女優。
■北島三郎
□エピソードなど
・歌手になる事を両親に反対された。
・高校卒業後、歌手を志して上京。
葛飾区新小岩の叔母の家に下宿して昼間工場で働いて夜は音楽の専門学校に通った。
クラシックの基礎練習ばかりで歌謡曲を教えてくれないので専門学校は1年半で中退した。
・上京間もない頃、月賦で買ったばかりの5700円の背広を銭湯で盗まれた。
・新聞広告で見つけた流しのアルバイトを6年間やっていた。
ギターは2日間の特訓で身につけた。3曲歌って100円。
渋谷の恋人横丁がホームグラウンドだった。
・流しをしていた店に着た客の紹介で船村徹の門下生になった。
・デビュー前、ゲルピンポン太チン太の名前で前座で歌謡漫才をやった(北島はポン太)。
・デビューに際して必要だった30万円を妻の母親が用立ててくれた。
・デビュー曲「ブンガチャ節」は歌詞が猥雑と判断されて放送禁止。
・デビュー後3年間、結婚していた事を世間に隠していた。
・映画「兄弟仁義」で背中にイレズミを入れたヤクザ役を演じた。
・10000m上空の飛行機の機内で生バンドでコンサートをやった事がある。
・「北島三郎(きた しまさぶろう)」「北鳥三郎」というニセモノ歌手がいた。
・北島音楽事務所を設立(=74年)。
・ブラジル・サンパウロでチャリティー公演を開催(=84年)。
・暴力団の新年会出席問題で紅白歌合戦出場を辞退(=86年)。
・交通遺児救済等の慈善事業に貢献、日本赤十字から金色有功章を受賞(=90年)。
・モスクワで歌謡ショーを開催、ゴルバチョフ大統領と対面(=90年)。
・道民栄誉賞(=91年)。
・国民の祝日「海の日」の記念曲を制作(=95年)。
・歌番組「サブちゃんと歌仲間」ホスト役(通算放送回数1377=96年〜23年)。
・プロ野球開幕戦(巨人ー阪神戦)で歌謡界で初めて君が代を斉唱(=96年)。
・アニメ「おじゃる丸」の主題歌「詠人」をリリース(=98年)。
次男・大地土子が作詞作曲。
・ドラマ「暴れん坊将軍」に北島三郎、山本譲二、小金沢昇司の北島一家が出演(=98年)。
・紅白歌合戦で「忘れちゃならない」という部分の歌詞を忘れてしまった(=98年)。
・函館市栄誉賞(=99年)。
・歌手生活40周年を記念してシングルを7作品リリース(=01年)。
・歌う直前に「お父さんお母さん、今から歌います」と呟く(げんかつぎ)。
・4人の弟は全員北島に顔が似ている。
・函館に北島三郎記念館がオープン(=02年)。
・東京国税局の税務調査で総額4億円の所得の申告漏れを指摘された(=03年)。
・ドラマ「優しい時間」にゲスト出演(=05年)。
・70年から36年連続で新宿コマで特別公演。
・芸能生活45周年を記念して全国のキャンペーン(=06年)。
・故郷・北海道知内町で毎年夏に歌謡ショーを開催(06年で20回目)。
・八王子の観光大使を務めた。
・三女・水町レイコと舞台「北島三郎特別公演」で親子役で共演(=08年)。
・コンサートや座長公演を年200回開催(=12年現在)。
・自宅のピアノで作曲する。
曲ができるとまず最初に妻に聞かせて意見を聞く。
これまでに作曲した曲は100曲以上(=13.02現在)。
・50回目の出場で紅白歌合戦を卒業(=13年)。
※50回出場は歴代最多(=15年現在)
・紅白歌合戦で大トリを13回務めた。
13回目は「究極の大トリ」として記録上の大トリの後に登場した。
・48年間通算4578回で座長公演を卒業(=15年)。
・紅白歌合戦に特別枠で出場して桑田圭佑、松任谷由実とステージで共演(=18年)。
・22年1月1日にダウンロード配信を開始(カラオケを含む約750曲を配信)。
凡例:20.01現在=2020年1月現在