■加山雄三(かやま ゆうぞう)
□肩書き
俳優 歌手
□本名
池端直亮
□別名
弾厚作(作詞作曲用のペンネーム)
□生年
1937(昭和12)04.11(牡羊座/A型)
□出身地
神奈川県茅ヶ崎市
□出身校
慶応大学法学部政治学科
□略歴
61年(24歳)映画「大学の若大将」に主演。
65年(28歳)「君といつまでも」がヒット。
65年(31歳)映画「赤ひげ」出演。
※他の主な出演など:
映画「独立愚連隊西へ」「椿三十郎」「乱れる」「乱れ雲」
ドラマ「華麗なる一族」「ぼくの妹に」「翔ぶが如く」
テレビ「知ってるつもり!?」「若大将のゆうゆう散歩」「ウチくる!?」
CM「井関農機 トラクター」「サントリービール純生」「日産自動車」
楽曲「お嫁においで」「ぼくの妹に」「サライ」
□趣味
テレビゲーム 鉄道模型 陶芸
ヨット ジェットスキー マリンジェット
□特技
料理 パソコン ピアノ ギター 英会話 絵画 船の設計 スキー
□免許・資格
5級海技士
■加山雄三
□幼少時代〜
・父親は俳優の上原謙。
・母親は俳優の小桜葉子。
・母方の先祖は岩倉具視。
・長男。妹が1人いる。
・2歳の時、田園調布から茅ヶ崎に引っ越した。
・4歳の冬、スキーを始めた。
・おばあちゃん子だった。
・いたずら好きの悪ガキだった。
・父親は厳しかった。よく殴られた。
・父親が16ミリフィルムで家族を撮影した。
※「誰だって波瀾爆笑」13年3月10日放送分
※「徹子の部屋」16年3月4日放送分
・子供の頃、父親の書斎にあったクラシックのレコードを片っ端から擦り切れる程聴いた。
・小2の時、2歳年上のピアノが上手な女の子に初恋。
※その女の子の名前(エミ)にあやかって次女を「絵美子」と命名した
・小学校時代、仲間外れにされていじめられた。
・中学時代、自宅にあったサンドバックで練習して父親に勝負を挑んだ。
・中学時代、自作のサーフボードでサーフィンをした。
・中2の時、自分で設計して長さ3mのカヌーを作った。
・高校時代、大きな弁当箱を持っていたので「ドカベン」というあだ名をつけられた。
・高校時代、3年間5厘刈りで通した。
家庭教師に「女の子にモテて大変だね」と言われた事に反抗して自分で刈った。
・大学時代、講議にはほとんど出ず、寿司屋、そば屋、雀荘に入り浸っていた。
・大学時代、毎年冬に仲間約20人で志賀高原で山ごもり。
昼はスキー、夜はウクレレやギターで合奏。
4ヵ月以上こもって食料がなくなってくるとスルメで餓えをしのいだ。
・大学時代、計8隻の船を自作。
モーターボードを作って父親にエンジンを買って貰った。
・大学2年の時、本格的にバンド活動を始めた。
バンド名はカントリー・クロップス。
・大学3年の時、地元の魚屋とのケンカになり、魚屋が氷を切る鋸を出して来たので、
家から日本刀を持って来て一触即発で睨み合った(睨みあっているうちに警官が来た)。
・スキーの神奈川県代表として2年連続で国体出場(=59年、60年)。
・将来造船技師になりたいと思っていた。
・友人に「親の暖簾で役者になって稼いだ金で船を造ればいい」と言われて芸能界入りを決意。
■加山雄三
□私生活
・好物…白米。肉(朝から300グラムのステーキを食べる)。
魚。ロールケーキ。
・嫌いな食べ物…甲殻類(アレルギー)。ホヤ。
辛いもの。酸っぱいもの。
・得意料理…パスタ。蒸し鍋(大根おろしと日本酒で煮る)。中華料理。
・朝からたくさん食べる。
・自分が作れる料理をメニュー表にして遊びに来た客に選んで貰う。
和洋中あわせて何百もの料理を作れる。
・酒は飲まない。
・タバコを吸わない。
・健康法…トマトとニンジンの特製ジュース(ミキサーを使わず手で絞る)。
玄米フレーク。朝晩水をかぶる。
ルームランナー(ニュースを見ながら走る)。
・カロリー計算された宅配の食事で5㎏減量(87㎏→82㎏=18年頃)。
・91年に禁煙後に一気に10㎏太った。
・スキー場で圧雪車に轢かれて全治2ヵ月の重体(=74年)。
・自宅で筋トレ中に腰を痛めた(腰椎椎体骨折=19年)。
・軽度の脳梗塞で入院(コンサートを延期=19年11月)。
外食中に左手が勝手に動いて異変に気づいた。
・軽度の小脳出血で入院(=21年)。
・70代半ばで少しだけ白髪が出てきた。
・歯が丈夫。虫歯が1本もない(=23.09現在)。
5種類の歯磨きグッズを使い分ける。
・よく寝る。
・漢字の書き取りが苦手。
・好きな音楽…Jポップ。演歌。
・好きな歌手…北島三郎。内山田洋とクールファイブ。
・好きな映画…「素晴らしき哉、人生! 」。
・ゲームが大好き。
朝までやる事がある。連続19時間プレイした事がある。
ギターを演奏するゲームで長女と競いあった。
移動中のクルマの中でプレイする。旅行に携帯用ゲームを持って行く。
好きなテレビゲーム…
「バイオハザード」(武器を取らずにナイフ1本だけのクリアに成功)。
「鬼武者」(1時間以内でクリアした事がある)。
「フィナルファンタジー」。
・鉄道模型を約200両所有。
・高校時代に「空飛ぶ円盤実験機」という本を読んだのをきっかに物理学に興味を持った。
ホーキングの最新の宇宙論に非常に興味を持つ。
量子力学が好き。
・覚えておきたい事を雑多にノートに書く。
・新しいモノが大好き。
・下着は白のブリーフ派。
・ファッションに興味がない。
自分で服を買った事はほとんどない。
若い頃は常に東宝の衣装部が用意してくれた服を着ていた。
・自宅に大人4〜5人が入れる24時間風呂がある。
・自宅にアトリエ、レコーディングスタジオがある。
・住んでいる所…東京都世田谷区成城(=01.01現在)。
・19年年末に妻と一緒に自立型ケアハウスに入居。
・運転免許証を自主返納(=19年4月)。
・全長30.5mの大型クルーザー「光進丸」を自ら設計して建造。
伊豆の安良里港に係留して沖縄やグアムに航海。
乗船客にフルコースの食事をふるまった(多い時は10人分以上を作る)。
※安良里港に停泊していた光進丸が火事で沈没、
ショックで倒れて点滴治療を受けた(=18年)。
・自分の船に10万曲のカラオケセットがある。
・2O隻以上の船を造った。
・災害救助向けのエコシップを建造。
・全天候型のエコシップを作って世界一周をする事を目指している。
太陽光と風力で発電して無補給・無給水で世界一周できる船。
・ヨットレースで2位に入賞した事がある。
・5級海技士の資格を持っているので船で近隣諸国に行く事ができる。
・台風接近で大荒れの海を大島から江ノ島まで自分の船で帰って死にかけた事がある。
風速30m以上、7m以上の波の中、ウェットスーツを着て船室の外で舵輪を握った。
普段は1時間半の航路が8時間半かかった。
公共交通機関は全て欠便・欠航だった。
・スペースシャトルに乗って地球が丸いのを自分の目で確かめるのが夢。
・50代に入ってからゴルフを始めた。
・「感心・感動・感謝」の心を失わないようにこころがけている。
・カラオケの十八番…演歌。
・座右の銘…享楽からは失う事が多く、苦しみからは得る事が多い。
・父親は82歳の誕生日パーティーを盛大に開催したその夜に亡くなった。
・4人の子供が小学校を卒業するまで毎日子供と一緒に朝食を食べた。
・長女や次女が結婚する時に寂しさを全く感じなかった。
・次女の夫・ダニエルはドイツ人(モデル、俳優)。
・愛妻家。よく「愛してるよ」と言う。
出かけるときにハグやキスをする。
毎晩寝る前にその日の出来事を1時間以上話をする(地方にいる時は電話する)。
・妻が海外に出かけている間にサプライズで自宅の大掃除した。
・夫婦喧嘩をケンカした時は、向こうが悪いと思っても自分から謝る。
・結婚39年目に新婚当時の約束を果たして夫婦でボラボラ島に行った。
■加山雄三
□人間関係
・愛川欽也…家族ぐるみのつきあい。
・関口宏…友人。大学時代からの仲。
・さだまさし…友人。互いにライブにゲスト出演。一緒に曲を作った。
さだは10代の頃に加山の大ファンだった。
・谷村新司…友人。陶芸の師匠。
デュエット曲「サライ」をリリース(=92年)。
テレビ「24時間テレビ」の企画で作詞・谷村、作曲・加山で24時間で作った。
・桑田佳祐…互いの父親同士が友人。
赤ん坊の頃の桑田を抱っこした事がある。
・泉ピン子…友人。毎月加山のライブでグッズ販売を手伝う。
加山の妻は泉の親友(高校の同級生)。
・和田アキ子…友人。誕生日が1日違い。
加山を「おにいちゃん」と呼ぶ。加山の妻と仲が良い。
・武田鉄矢…友人。
・加瀬邦彦…加瀬が経営するライブハウス「ケネディハウス銀座」に毎月ノーギャラで出演。
・田中邦衛…映画「若大将」シリーズで共演(田中は「青大将」役)。
・星由里子…映画「若大将」シリーズで恋人役で共演。
・坂上忍…坂上が中3の時に連続ドラマで共演。
収録の合間に勉強を教えてあげて、撮休日に船に乗せてあげた。
・甲斐よしひろ、玉置浩二、徳永英明、槇原敬之
…還暦記念トリビュートアルバム「Sixty Candles」に参加(=97年)。
・三宅裕司…加山のファン。ライブで共演した事がある。
加山のスキー場で転倒して3針縫う怪我をした。
・小倉智昭…加山の大ファン。
・渡辺裕之…小学校時代、加山のファンだった。
・ピーター、小倉久寛…加山の熱烈なファン。
・テリー伊藤…加山のファン。
・綾小路きみまろ…好きなタレント。寝る前に綾小路のネタを聞く。
・喜多嶋舞…父親が加山のいとこ。
・橋本龍太郎…大学の同級生。※故人
・ノーキー・エドワーズ…ロックバンド「ベンチャーズ」のギタリスト。
エレキブームの頃からの友人。一緒に全国ツアーを行った(=99年)。
・大林雅美…故・上原謙の元夫人。加山家との確執が話題になった。
・松本めぐみ…俳優。70.09.04アメリカ・ロサンゼルスの教会で挙式。10歳年下。
映画での共演がきっかけで知り合った。旅行先のローマまで追い掛けてプロポーズした。
・子供:
長男…信宏。作曲家。
次男…山下徹大。俳優。75.08.08誕生。
長女…梓真悠子。俳優。76.07.26誕生。
次女…池端えみ。俳優。78.03.28誕生。
・孫:
男児…悠貴。00.08.12誕生。長女・梓真悠子の子供。初孫。
※孫が4人いる(男2女2=23.09現在)
■加山雄三
□エピソードなど
・東宝所属の青春スターとして多数の映画に出演。
・映画「若大将シリーズ」全18作に主演。
劇中で毎回違うスポーツに挑戦した。
アイビーブーム、エレキギターなど、当時の世間の流行を先取りした。
・若い頃は人気に俳優としての実力が追い付いていない不安感が強かった。
「いつ辞めようか」とよく考えていた。
・「椿三十郎」の本番撮影中に台詞のない場面で居眠りをして、
黒沢明監督に「加山のために1時間休憩」と言われた。
・船舶免許受験の為に黒沢明監督に映画「赤ひげ」の撮影延期を頼んでOKして貰った。
・映画「エレキの若大将」の挿入歌「君といつまでも」は350万枚の大ヒット。
間奏で呟く台詞「幸せだなあ」は流行語になった。
「幸せだなあ」という台詞はレコーディング中のアドリブが採用された。
・来日したビートルズのメンバー4人と一緒にすき焼きを食べて箸の使い方を教えた。
ビートルズ4人と一緒に写真を撮って貰った写真が残っている
※ビートルズ4人と1人のアーティストが映っている写真は世界で1枚しかないらしい
・自作のサーフボードでサーフィンをして「日本人初サーファー」として新聞に掲載された。
※日刊スポーツ64年3月9日号
・アルバム「恋は紅いバラ」で日本初の多重録音に挑戦(=64年)。
・新潟県湯沢町にスキー場「加山キャプテンコースト湯沢」を経営。
若い頃は仕事がある時も5:00に起きてサーフィンをやってから仕事に行った。
・シングル「君といつまでも」は約350万枚の大ヒット。
「幸せだなあ」という台詞はレコーディング中のアドリブが採用された。
・父親と一緒に経営していた茅ヶ崎のパシフィックホテルが倒産(=70年)。
20億円以上の借金をキャバレー廻りなどをして約10年で返済。
返済中に何度も債権者に土下座をした。
国税局にかけあって月5万円の生活費を認めて貰った。
食べる物がない時は義母がやっていたスナックで食べさせて貰った。
自殺を考えた事があった。
・紅白歌合戦の司会を3年連続で務めた。
紅白歌合戦の司会で少年隊の「仮面舞踏会」を「仮面ライダー」と紹介(=86年)。
・カツラ着用を噂された事がある。
・加山雄三ミュージアムを開館(静岡県西伊豆町=98年)。
絵画・楽譜・楽器・秘蔵フィルムなどを常設展示。・絵画の個展を毎年開催。
描いた作品点数は1500点以上。
1日の売り上げが3000万円以上になる事がある。
・ファッションブランド「レジメンタル・クラブ」をプロデュース(=99年)。
・結婚30周年を記念してオリエント急行に乗った(=00年)。
・加山キャプテンコーストで「第1回湯沢フィールド音楽祭」をプロデュース(=01年)。
加山キャプテンコーストは加山が経営するスキー場。
・セルフカバーアルバム「ALL BY MYSELF」をリリース(=04年)。
プロデュース、アレンジ、全楽器の演奏、多重録音を全てひとりでこなした。
・アメリカ・カーネギーホールでコンサート(=05年)。
・著書「I AM MUSIC 音楽的人生論」出版(=05年)。
・自らが持っていた日本武道館最高齢公演記録を更新(=14年)。
・若いミュージシャンと一緒に組んだバンドでフェスに参加。
・茅ヶ崎市名誉市民。
・茅ヶ崎駅の構内アナウンスは加山のデジタル音声(=21.97現在)。
・コンサート活動を引退(=22年)。
凡例:20.01現在=2020年1月現在