■光石研(みついし けん)
□肩書き
俳優
□本名
光石研
□生年
1961(昭和36)09.26(天秤座/A型)
□出身地
福岡県八幡市
□出身校
東海大学付属第五高校
□略歴(満年齢)
78年(17歳)映画「博多っ子純情」主演。
10年(49歳)朝ドラ「ゲゲゲの女房」出演。
19年(58歳)ドラマ「デザイナー渋井直人の休日」主演。
※他の主な出演:
舞台「ドタ靴をはいた青空ブギ」
映画「男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花」「童貞物語」「あぜ道のダンディ」
ドラマ「おしん」「踊る大捜査線」「ケイゾク」
CM「トヨタ プレミオ」「TOTO」「東京メトロ」
□趣味
音楽観賞 絵画
□サイズ
173㎝ 靴のサイズ26.5㎝
□SNS
・Instagramフォロワー数約6.9万人(=21.08現在)
■光石研
□幼少時代〜
・父親は八幡製鉄所勤務→喫茶店経営(2年で閉店)。
実業団でサッカーをやっていた。
・ひとりっ子。
・父親は多趣味な人だった。
父親に連れられてよくスキーに行った。
・近所に飲食店やキャバレーがある繁華街で生まれ育った。
・漫画家、絵描き、洋服屋、古着屋、喫茶店などサラリーマン以外の仕事に憧れた。
・小学校時代、クラスで前に出るタイプではなかった。
自分が属している小さなグループの中では先生や友人のモノマネをした。
・中学時代、勉強は苦手だった。
・中学時代、テニス部。
・中学時代、身長が低いのがコンプレックスだった。
入学当初の身長は140㎝以下。
・中学時代、クラス対抗の演劇大会で全編普段使っている北九州弁でやる事を提案。
本番は観客に大受けだった。
・高校時代、男子は全員ボウズ(校則?)。
・高校時代、スケートボードで商店街を滑走。
・高校時代、雑誌「POPEYE」を愛読。
■光石研
□私生活
・好物…とんこつラーメン。うどん。たこ焼き(大好物)。
・朝食をあまり摂らない。ヨーグルトとカフェオレ程度。
・好きな酒は自然派のワイン。
37歳から酒をたくさん飲むようになった。
・健康法…ジョギング。
・歌と踊りと学期が苦手。
・好きな音楽…70年代のソウルミュージック。
・10代の頃にお金がなくて変えなかったレコードを多数購入。
・好きなミュージシャン…ジャンク フジヤマ(ライブに行く)。
・自分の出演シーンを見るのはあまり好きではない。
・自宅にピアノがある。
・古着が好き。
・紺色の洋服が好き。
・住んでいた所…
東京都世田谷区千歳船橋(4畳半、風呂なし、家賃1.9万円、上京当時)。
神奈川県横浜市都筑区(港北ニュータウン、新婚時代)。
東京都・下北沢(30代半ば〜)。
・いきつけ…
博多ラーメン「唐そば」(渋谷、店長は小学校の同級生=23.05現在)。
洋服店「ENGINEERED GARMENTS」(青山=19.10現在)。
洋服店「BEAMS PLUS」(原宿=19.10現在)。
・愛車は1963年式メルセデス・ベンツ(=23.05現在)。
・電車に乗っている時に滅多に気づかれない。
・ホノルルマラソンを完走。
・父親は本格的に陶芸をやっている(実家に窯がある=12.07現在)。
・母親はがんで他界(享年60)。
・妻に電話でプロポーズした。
・妻に生活を支えて貰っていた。
・妻と一緒によく海外旅行に行く。
■光石研
□人間関係
・鈴木浩介…友人。一緒に食事。同郷。
・田中哲司…友人。飲み友達。同じ事務所。
・小林稔侍、緒形拳…事務所の先輩。
若い頃によく世話になった。
若い頃にふたりの出演作品に多数バーターで出演。
緒形と一緒にニューヨーク旅行。
・遠藤憲一、大杉漣、田口トモロヲ、寺島進、松重豊、光石研
…ドラマ「バイプレーヤーズ」の出演者。
収録後によく一緒に食事をした(会計は完全割り勘)。
・長谷川京子…ドラマ「SCANDAL」で夫婦役で共演。
・青山真治…映画「Helpless」の監督。
映画「Helpless」出演をきっかけに役作りに対するアプローチが大きく変わった。
・石井裕也…映画「あぜ道のダンディ」の監督。
・野間口徹…実家が近所。
・大森南朋…光石を目標にしている。
・吹石一恵…光石のファン。
・妻…90年結婚。電話受付の仕事をしていた。
■光石研
□エピソードなど
・映画「博多っ子純情」のオーディションに合格。
友人に誘われて一緒に受けた。優勝賞金30万円。
・映画「博多っ子純情」の撮休日にスタッフに新宿に連れて行って貰った時、
小さな店で女性がいきなり上半身裸で踊り始めたの見て衝撃を受けた。
・映画「博多っ子純情」の現場が楽しかったので映画制作に関わりたいと思った。
・上京して「博多っ子純情」でお世話になった人に挨拶に行ったら、
その場で映画「男はつらいよ」出演が決まった(エキストラに近い役)。
・アルバイト経験がない。
・20代の頃、チンピラ役の仕事が多かった。
・20代の頃、Vシネマに多数出演。
・30代の頃、バブル崩壊でVシネマの仕事がどんどん減り、将来に不安を感じて悩んだ。
仕事がない時期に多くの人・本・映画に触れて、絵をたくさん描いた。
・俳優の仕事で食べられるようになったのは40歳を過ぎてから。
事務所からの借金と妻のアルバイトで食いついないでいた時期があった。
・ドラマ「世にも奇妙な物語」の脚本を数本担当。
・映画「めがね」の役作りで3ヵ月特訓してマンドリンを実際に演奏。
・映画に多数出演。
ハリウッド映画「シン・レッド・ライン」出演(=98年)。
1年間で出演映画15本が公開された(=07年)。
通算出演作品数は200本以上(=18.10現在)。
・どの映画の現場に行ってもたいていスタッフに顔見知りがいる。
・映画「あぜ道のダンディ」でデビュー作以来33年ぶりの主演(=11年)。
・某映画監督に「日本最高の脇役」と評された。
・「金のためだけの仕事はしない」という矜持を肝に銘じている。
・監督の要求にきちんと応えて演じた上で少し自分の色を出すようにこころがけている。
・ドラマ「デザイナー渋井直人の休日」で連ドラ初主演。
・エッセイ集「SOUND TRACK」出版(=22年)。
・映画「逃げきれた夢」に90歳の実父が出演(光石の父親役=23年)。
・映画とドラマの出演作品総数は約500本(=23.05現在)。
凡例:20.01現在=2020年1月現在