■佐藤二朗(さとう じろう)
□肩書き
俳優 脚本家
□本名
佐藤二朗
□生年
1969(昭和44)05.07(牡牛座/A型)
□出身地
愛知県愛知郡東郷町
□出身校
東郷町立東郷小学校
東郷中学校
東郷高校
信州大学経済学部卒業
□略歴
05年(36歳)ドラマ「電車男」出演。
08年(39歳)ドラマ「拝啓トリュフォー様」主演。
09年(40歳)映画「幼獣マメシバ」主演。
※他の主な出演:
映画 「大洗にも星はふるなり」「マメシバ一郎3D」「HK 変態仮面」
ドラマ「ごくせん」「医龍」「JIN」
テレビ「超逆境クイズバトル!! 99人の壁」「A-Studio」
□特技
腕相撲
□サイズ
181㎝ 靴のサイズ31㎝
□SNS
・Twitterフォロワー数約189万人(=22.01現在)
■佐藤二朗
□幼少時代〜
・父親は大手住宅メーカーの独身寮の寮長。
その独身寮に繋がる2LDKに家族で住んでいた。
・生まれた時の体重は約4500グラム。
・兄が1人いる。
・田んぼに囲まれた田舎に住んでいた。
・家はあまり裕福ではなかった。
・子供の頃、よく母親に「300万円と僕、どっちが大事?」と訊いていた。
・子供の頃、デパートや名古屋球場で迷子になった。
・小学校時代、通信簿に毎年「落ち着きがない」と書かれた。
・小学校時代、走るのが速かった。50m6秒台。
・小学校時代、水泳が苦手だった。
・小学校時代、近所で有名なガキ大将だった。
・小学校時代、少年野球チームに入っていた。1番ショート。
・小学校時代、体操と水泳が苦手だった。25mを完泳できなかった。
・小4の時、学習発表会でやった劇で語り部を演じて芝居の面白さに目覚めた。
・小5の頃、勉強もスポーツもできる近所の女の子に初恋。
・小学生の頃から将来俳優になりたいと思っていた。
倉本聰や山田太一の連続ドラマが大好きだった。
自作の台詞を録画したカセットと「僕を使って下さい」と書いた手紙を
倉本聰、山田太一、杉田成道に送った(杉田成道から返事のはがきが来た)。
・中学時代、軟式テニス部。(幽霊部員)。
練習コートに隣接していたプールで水着姿の女子をよく眺めた。
・中学時代、学校の規則で男子は全員丸刈り。ニックネームは「豆」だった。
・中学時代、成績優秀(主要5教科オール5)だったが実力テストの成績は悪かった。
・高校時代、英会話部(幽霊部員)。
・大学時代、長野県松本市でひとり暮らし。
・大学時代、浅間温泉の旅館で4年間アルバイト(フロント業務、布団敷き、皿洗い)。
1ヵ月分のバイト代約7万円を1日でパチスロですってしまった。
・大学時代、足が大きすぎて合うスキー靴がなかったのでスキーに行けなかった。
・就職活動で東京のマスコミを受けて25連敗。
■佐藤二朗
□私生活①
・好物…砂肝のにんにく炒め。ささみの唐揚げ(妻の手料理)。
・酒が大好き。
ホッピーが大好き(焼酎で割って飲む、ホッピー大使に任命された)。
自宅で晩酌をする。以前はよく朝8:00まで飲んでいた。
高円寺で飲み過ぎて妻から「高円寺出入禁止」を申し渡された。
「新宿で打ち合わせ」と妻にウソをついて高円寺に行く。
・タバコが好き。
・背中にあった出来物を手術で取った。
・頭と足が大きい。
・早い時は21:00に寝る。
・眠れない時は中日ドラゴンズのベストオーダーを考える。
・痛みに弱い。
・静電気が大の苦手。
・歯医者が大嫌い。
・飛行機が苦手。
・不器用。折りたたみ傘を綺麗にたためない。
・長男誕生を機に家事をやりはじめた。
・住んでいる所…東京都世田谷区南烏山(2LDK=17.12現在)。
・住んでいた所…東京都・新高円寺。
・住んでいた所…東京都中野区野方(風呂なし、共同玄関、結婚前に妻と同棲)。
■佐藤二朗
□私生活②
・いきつけ…
鮮魚店「さかなや勇魚」(千歳烏山、酒の肴を買う=22.01現在)。
居酒屋「ふぐちん」(千歳烏山=21.05現在)。
居酒屋「子だぬき」(千歳烏山=15.10現在)。
喫茶店「珈琲亭」(千歳烏山=15.10現在)。
「串焼き処 若竹」(世田谷区南烏山=13.02現在)。
居酒屋「我舎我舎」(世田谷区南烏山、妻と一緒によく行く=13.02現在)。
居酒屋「せんぼん屋」(ひとりで行く)。
・メモ魔。紙とペンを常時携帯。頭に浮かんだ言葉を書かずにいられない。
・温泉が好き。
・中日ドラゴンズのファン。
・ガラケーを使っている(=14.10現在)。
・緊張してテンパりやすい。
留守電にメッセージを入れる時に必ずテンパる。
・狭い道で人とすれ違うのが苦手(同じ方向に避けてしまう)。
・地方ロケの時にひとりでぶらぶら歩いて飲み屋に行く。
■佐藤二朗
□私生活③
・寂しがり屋。
・人から指示されるのが大好き。
・義父は寺の住職。
・女性のむっちりした太ももが好き。
・女性と交際するとすぐに同棲する。
・アルバイトをせずに役者だけで食べていけるようになった34歳の頃に結婚した。
・妻を「君」と呼ぶ。
・妻は身長147㎝。
・妻に「あなたの精神年齢は小3」と言われる。
・妻によく耳かきをして貰う。
・愛妻家。
毎日「行ってきます」のキスとハグをする。
外で飲んだ時は「帰るコール」をする。
眠れない時に妻に「何かお話して」と甘える。
よく妻と一緒に晩酌をして1日の出来事を話す。
よく妻と一緒に近所を散歩する。
■佐藤二朗
□人間関係
・前田健…友人。飲み友達。前田は佐藤がタイプ。
・安田顕…友人。飲み友達。よく演技論を話す。
・渡部篤郎…友人。飲み友達。
渡部に「お前と飲んでるとサラリーマンと飲んでるみたいだよ」と言われた事がある。
・山田孝之…友人。
・小池栄子…友人。佐藤のファン。ドラマで夫婦役で共演。
・稲垣友健、石井澄代…友人。飲み友達。劇団ちからわざの創立メンバー。
若い頃によく朝まで3人で飲んで演劇論を戦わせた。
・鈴木裕美…劇団自転車キンクリートの演出家。鈴木に演技を鍛えられた。
・渥美清、藤山寛美、松田優作、柄本明、北野武…憧れている俳優。
・妻…文学座の養成所で知り合った。02年結婚。
結婚前に8年間同棲。妻が30歳になる前に結婚した。
・子供:
長男…11.12.30誕生。
■佐藤二朗
□エピソードなど①
・NHK名古屋児童劇団所属。
・小6の時にNHK「中学生日記」に出演。
・映画「アイコ十六歳」に端役として出演(クラスメイト役=83年)。
・大学時代、ドキュメンタリー番組「地球キャッチミー」で世界各国に行った。
・20歳の頃に35歳の役を演じた。
・大学卒業後、リクルートに入社するが入社式の雰囲気に違和感を感じて1日でやめた。
東京で開催された入社式の2次会会場をひとりで抜け出してそのまま実家に帰った。
・劇団文学座の養成所に通っていた(劇団員に昇格できなかった)。
・26歳の時、俳優を諦めるつもりで広告代理店に再就職。
成績トップの営業マンとして勤務。リクルートの孫請け会社。
・28歳の頃、趣味で演劇をやるつもりで劇団ちからわざを旗揚げ。
旗揚げ字の座員は5人、最初の公演の観客は15人だった。
・29歳の時、広告代理店を辞めて劇団自転車キンクリートに所属。
・アルバイト歴…塾講師。テレアポ。工事現場。道路整理。
■佐藤二朗
□エピソードなど②
・30代前半の頃、名前のない端役で多数のドラマに出演。
・05年7月から13クール連続で連続ドラマに出演。
・サインがとても読みやすい。
・年上に見られる事が多い。
・舞台・映画・ドラマの脚本を多数担当。
・脚本のメモを不要な紙の裏に殴り書きする。
・昭和の雰囲気の喫茶店で脚本を書く。長い時は1日中いる。
おしゃれなカフェは落ち着かない。
・「アドリブのように見える芝居」が得意(事前に研究する)。
・あらゆる方法論でどんな役柄でも演じられる俳優を目指している。
・現場で演出に関してよくアイディアを出す。
・映画「memo」原作・脚本・監督・出演(=08年)。
・映画「はるヲうるひと」原作・脚本・監督・出演(=21年)。
凡例:20.01現在=2020年1月現在