五輪真弓

五輪真弓


■五輪真弓(いつわ まゆみ)

 

□肩書き

 歌手

 

□本名

 鈴木真弓

 

□生年

 1951(昭和26)01.24(水瓶座/B型)

 

□出身地

 東京都中野区

 

□出身校

 都立桜水商業高校

 

□略歴(満年齢)

 72年(21歳)アルバム「五輪真弓 少女」でレコードデビュー。

 80年(29歳)「恋人よ」がヒット。紅白歌合戦初出場。  

 ※他の主なシングル:

  「リバイバル」「時の流れに 鳥になれ」「恋は突然に」

 ※主な出演:

  テレビ「SMAP×SMAP」「月曜プレミア!」「行列のできる法律相談所」

 

□趣味

 ドライブ クルマ

■五輪真弓

 

□幼少時代〜

・父親は若い頃に教会のオルガン奏者をやっていた。

・父親は長崎県・五島列島出身。

 ※久賀島の五輪村が「五輪」という苗字の発祥地

・両親は共働きだった。

・3人きょうだいの末っ子。兄と姉がいる。

・居間のラジオから常に音楽が流れていた。

・当時の中野新橋には自然がたくさん残っていた。

 近所の小川でザリガニ釣りをした。

・自由奔放でよく笑う子供だった。

・姉と一緒に近所の銭湯に通っていた。

・小学校時代、学校が好きではなかった。

・小学校時代、毎日家の近所で兄か姉の帰りをひとりで待った。

 家の鍵を持たせて貰えなかった。

 暇つぶしに道にチョークで絵を描いて小川や夕日を眺めた。

・小学生高学年の頃からFENをつけっぱなしにして洋楽を聴きはじめた。

 自然に英語のリスニングが鍛えられた。

・中学時代、父親に買って貰ったギターで洋楽を歌い始めた。

・中学時代、ビートルズに熱中。

・高1の時、3年生を送る会で体育館のステージで初めて人前で歌った。

・高2の時、同級生の友人と女性フォークデュオ・ファンシーフリーシンガーズを結成。

・高3の時、ファンシーフリーシンガーズでTBS「セブンツーオー」に出演(テレビ初出演)。

・高校卒業後、英語の専門学校に進学(半年で中退)。

■五輪真弓

 

□私生活

・食事は自然食中心。肉や砂糖を殆ど摂らない。

・健康法…寿元茶(

・44歳の時に花粉症になった。

・ストレスで体調を崩して声が出なくなって数年間休養(07年〜)。

 がちがちだった身体を運動や整体でほぐして徐々に声が戻って来た。

・子供の頃から胃腸が弱い。夏でもできるだけ冷たいものを口にしない。

・大晦日までにいろいろ整理をしようとしてよく年末に体調を崩す。

・好きな音楽…ジャズ。

・クルマの運転が好き。

 運転中は人格が変わってスピードを出す。

 高速道路を運転中に大声で発声練習をする。

・フランスが好き。フランスの個人主義がしっくりくる。

・のびのびと過ごせる環境が好き。

・55歳を過ぎた頃から心が自由になり柔軟な考え方ができるようになった。

・人から縛られるのが嫌い。

・気があわない人と一緒にいるのが苦手。

■五輪真弓

 

□人間関係

・小椋佳…デュエット曲「愛燦燦」をアルバム「Welcome」に収録。

・山田邦子…五輪のモノマネができる。

・林直次郎(平川地一丁目)…五輪のファン。

 ※平川地一丁目が五輪の「少女」をカバー(シングル「とうきょう」のc/w)

・鈴木宏二…84.01.11結婚。ピアニスト。バックバンドのキーボード奏者。

・子供:

 長男…夢時。85年誕生。

 長女…91年誕生。

 

□エピソードなど

・専門学校中退後、銀座の喫茶店で洋楽を歌っていた。

・友人の勧めでラジオ局主催のオーディションで歌ってレコード会社から注目された。

・デビュー直前の20歳の時にピアノを習い始めた。

・アメリカでレコーディングしたアルバム「五輪真弓 少女」でレコードデビュー。

 大好きなアーティストだったキャロル・キングがレコーディングに参加、

 デビュー当時の五輪は「和製キャロル・キング」と呼ばれた。

・デビュー当時は人見知りで笑顔でうちとけて話すのが苦手だった。

 カメラの前で笑わずインタビューに答えなかったので大問題になった事があった。

・約1年間フランスに滞在(=76年頃)。

・フランスでアルバム「MAYUMl」をリリース(フランス語で歌った=77年)。

・フランスから帰国後、洋楽志向だった曲作りが変わり、

 日本ならではのオリジナルは歌謡曲、と考えるようになった。

・シングル「恋人よ」はB面にする筈の曲だったらしい。

・シングル「恋人よ」で日本レコード大賞金賞を受賞。

・「恋人よ」以降の数年間は過密スケジュールで何度も倒れて入院した。

・アルバムの中の1曲「心の友」がインドネシアで大ヒット(=85年)。

 ※その後も歌い継がれてインドネシアでは国歌の次に有名な曲らしい

・長男誕生後に約1年半歌手活動を休養。

・日本フィルハーモニー交響楽団とジョイントコンサート(=04年)。

・スマトラ沖地震チャリティシングル「KOKORO NO TOMO」をリリース(=05年)。

・11年ぶりのオリジナルアルバム「Welcome」をリリース(=07年)。

・寝食を忘れて作曲に没頭するのが大好き。

・東京新聞夕刊にエッセイを連載。

凡例:17.01現在=2017年1月現在