■中西太(なかにし ふとし)
□肩書き
野球選手(69年引退)
野球指導者 野球評論家
□所属チーム
西鉄ライオンズ(52年〜69年)※現役
日本ハムファイターズ(74年〜75年)※監督
阪神タイガース(80年〜81年)※監督
□生年
1933(昭和08)04.11(牡羊座)
□没年
2023(令和05)05.11(享年90)
□出身地
香川県高松市
□出身校
松島小学校
高松市立第一中学校
高松第一高校
□略歴(満年齢)
52年(19歳)西鉄ライオンズに入団。
53年(20歳)史上最年少でトリプルスリー。
62年(29歳)西鉄ライオンズのプレイングマネージャーに就任。
※入団、就任は野球シーズン年度
※通算成績:
1388試合、1262安打、.307、244本、785打点、142盗塁
※主なタイトル・表彰:
首位打者2回、ホームラン王5回、打点王3回、
新人王、MVP1回、ベストナイン7回
□サイズ
173㎝
■中西太
□幼少時代〜
・母親は手押し車に野菜などを積んで歩く行商をしていた。
・母子家庭に育った。
・母親作ってくれる手打ちうどん、豆腐、あげなどが大好きだった。
・小学校時代、健康優良児だった。
・小学校時代、走るのが速かった。
市内の学童大会の徒競走で1等賞を取った。
・小学校時代、将来海軍軍人になりたいと思っていた。
・小6の時、ひとりで留守番をしていた時に高松空襲にあった。
近所の大人について防空壕を出てさまよった(帰ってみると防空壕はつぶされていた)。
この空襲で親友が死亡した。
※45年7月4日未明の空襲、高松市街の80%が焼け野原になった
・小6の頃、担任に教えられて野球らしきものをはじめた。
道具がないので棒きれで打って素手で捕球した。
・中学時代、先輩に誘われて野球部に入部。
・高校時代、石清尾ー八幡宮の階段上りで足腰を鍛えた。
・高校時代、打撃練習をする時に内野手が守らなかった(打球が速すぎて危険だった)。
・高校時代、甲子園に3回出場(1年春夏、3年夏)。
高3の時に2試合連続ランニング本塁打。
■中西太
□人間関係
・栗山英樹…中西に師事。
中西を通じて入手した三原脩のメモ(三原ノート)を愛読、
23年WBCで宮崎合宿から決勝まで携行。
・新井宏昌、掛布雅之、金村義彦、真弓明信、若松勉…中西に師事。
・仰木彬、高倉照幸、中西太、稲尾和久、
豊田泰光、大下弘、川崎徳次、三原脩
…西鉄ライオンズ出身(移籍・引退・監督を含む)。
・三原脩…妻の父親。人生の師。西鉄ライオンズ監督。
・敏子…56年結婚。
□エピソードなど
・「怪童」と呼ばれた。
・バックスクリーンのはるか上空を越える超特大場外本塁打(=53.08.29大映戦)。
推定飛距離160m以上、日本人選手最長記録と言われている。
・4年連続本塁打王(=53年〜56年)。
・打撃タイトル2冠4回。
・教え魔。対戦チームの選手でも乞われると教えた。
凡例:20.01現在=2020年1月現在