中畑清
■中畑清(なかはた きよし)
□肩書き
プロ野球選手
プロ野球指導者
□所属
読売ジャイアンツ(76年〜89年)
横浜DeNAベイスターズ(12年〜15年)※監督
□本名
中畑清
□生年
1954(昭和29)01.06(山羊座/A型)
□出身地
福島県矢吹町
□出身校
安積商業高校
駒沢大学
□略歴(満年齢)
76年(22歳)ドラフト3位で読売ジャイアンツに入団。
04年(50歳)アテネ五輪日本代表監督(銅メダル)。
12年(58歳)横浜DeNAベイスターズの監督に就任。
※入団、就任は野球シーズン年度
※現役時代の通算成績:
1248試合、1294安打、.290、171本、621打点
※主なタイトル・表彰:
ゴールデングラブ賞7回
※主な出演:
ドラマ「豪華特急トワイライト殺人事件」
テレビ「スポーツジョッキー」「メレンゲの気持ち」「炎の体育会TV」
CM「大塚製薬 オロナミンC」「オートバックス」「キャラメルコーン」
□趣味
絵画観賞 麻雀 カラオケ ゴルフ
□特技
ボウリング
□サイズ
184㎝ 85㎏
■中畑清
□幼少時代〜
・実家は酪農家。
・兄、妹がいる。
・子供の頃に野球をはじめた。長島茂雄に憧れてサードを守った。
・小5から家の手伝いで牛の乳搾りをした。
・中学時代、体育以外の成績は殆ど「3」だった。
・大学時代、グローブを使わず素手でノックを受けるなどの猛練習をした。
・大学時代、目立つためにサングラスをかけてプレイした。
・大学時代、東都大学リーグMVP。
■中畑清
□私生活
・好物…菓子パン。歌舞伎揚げ。
・禁煙に挑戦中(=07.04現在)。
・健康法…ヨガ。
・新型コロナウイルス陽性反応(入院=21年3月)。
・コンタクトレンズを使用。
・飛行機が苦手。
台風直撃で死ぬかと思うほど揺れた事がある。
・演歌が好き。カラオケで延々演歌を歌う。
・好きな俳優…高倉健。
・自宅に全自動麻雀卓がある。
・住んでいる所…東京都調布市(一戸建て、築約30年=10.12現在)。
・いきつけ…焼肉「ホルモン家族」(調布市仙川町、長男が店長、長女が働いている)。
・プロ野球開幕前に自宅でもちつき大会を毎年開催。
知人・友人、少年野球チームの選手、中畑のファンなどが大勢集まる。
・兄が大腸がんで他界(享年64=13年)。
・妹は美容院を経営(球場入り前によく散髪の為に立ち寄る=14.05現在)。
■中畑清
□人間関係
・宅麻伸&賀来千香子…中畑が仲人を務めた。ゴルフ&カラオケ仲間。
・吉幾三…友人。中畑のシングル「十和田丸」を作詞作曲。
吉幾三の「津軽平野」は中畑のカラオケの十八番。
・石田純一、大友康平、小堺一機、関根勤、ルー大柴、秋野暢子
…山羊A会の仲間(山羊座でA型の会、会長は中畑、幹事は秋野)。
・布施博…布施の草野球チーム・融合ジャンプスに時々助っ人で参加する。
・ラモス瑠偉…飲み友達。ラモスに「演歌の心」を教えてあげた。
・山本譲二、三浦知良…友人。
・渡辺真知子…CM「アスパラドリンク」で夫婦役で共演(=97年)。
・西尾由佳理…日本テレビ「スポーツMAX」で共演。
・長嶋茂雄…長嶋に憧れて野球を始めた。
現役時代は長嶋を意識して常に観客にアピールするプレイをこころがけた。
アテネ五輪ヘッドコーチとして長島の代役として日本代表チームの指揮を取った。
毎年長嶋を囲んで食事会をする。
・松井秀喜…打撃コーチ時代、中畑家の地下室で素振りをした。
・デーブ大久保…打撃コーチ時代、毎晩のように飲んで相談に乗ってあげた。
・篠塚和典(篠塚利夫)…同期入団。同時期に巨人で活躍。CM「オートバックス」で共演。
現役最後の試合で「中畑さんを使って下さい」と藤田監督に頼んでくれた。
・江川卓、定岡正二、角盈男、西本聖、原辰徳…同時期に巨人で活躍。
・筒香嘉智…横浜DeNA監督として筒香を育てた(4番として使い続けた)。
・大野豊、高木豊…アテネ五輪日本代表コーチ。
・掛布雅之、江川卓…日本テレビの野球解説者。
・二宮至、平田薫…大学の同級生、駒大三羽ガラスと呼ばれた。
ドラフト3位で指名された中畑が二宮と平田も一緒に入団させる事を条件に出した。
・中畑清、原辰徳、岡田彰布、正田耕三、古田敦也、宮本慎也、
新井貴浩、嶋基宏、炭谷銀仁朗
…歴代プロ野球選手会会長(就任順)。
・中村紀洋…中畑に憧れてバットをカッコよく放り投げる練習をしていた(子供の頃)。
・高橋尚成、斉藤和巳…中畑のファン(子供の頃)。
・北浦共笑…中畑のファン。
・仁美…77年結婚。お互いに23歳の時に結婚。
※子宮頸がんで他界(享年59=12年)
・子供:
長男…淳(じゅん)。33歳、焼肉「ホルモン家族」の店長(=10.12現在)。
長女…恵。29歳(=10.12現在)。
※孫…凛(りん)。8歳(=10.12現在)。
※孫が3人いる(=13.02現在)。
■中畑清
□エピソードなど
・北海道拓殖銀行に入る予定だった。
・プロ入り後の3年間、1軍と2軍を行き来していた。
・日米野球対レッズ戦で左翼最上段に逆転2ランホームラン(=78年秋)。
・5位に終わった79年オフ、秋季キャンプで毎日朝から晩まで倒れる寸前まで猛練習。
長島監督の指導の元で基本から徹底的にしごかれた。
※80年代の巨人を支えた若手が参加、「地獄の伊東キャンプ」として伝説になった
・長嶋監督に「調子はどうだ?」と訊かれると常に「絶好調です」と答えた。
・当初のポジションはサードだったが、原辰徳の入団でファーストにコンバート。
・21試合連続安打をマーク(=81年)。
・初の打率.300、日本シリーズで本塁打(=81年)。
・日本シリーズ第3戦でサヨナラヒット(=83年)。
・.294、31本、83打点の好成績(=84年)
・甲子園球場で3打席連続本塁打(=84.07.31)。
・シングル「十和田丸」をリリース(=84年)。
・8試合連続マルチヒット(=85年)。
・労働組合日本プロ野球選手会の初代委員長に就任(=85年)。
・明るいキャラクターとチャンスに強いバッティングで「絶好調男」と呼ばれ、
ムードメーカーとしてチームを引っ張った。
・「絶好調男」「ヤッターマン」「お祭り男」「燃える男」と呼ばれた。
・チャンスで打席に立った時のファンの応援は超熱狂的だった。
「かっとばせ、キヨシ」に続く「燃えろ〜!」の絶叫コールは球場を震わせた。
・チャンスで初球のクソボールに手を出して凡打に終わる事がよくあった。
・江川の牽制球が速すぎて反射的に避けて後逸した事がある。
・レギュラーシーズンの現役最終戦でホームラン(=89年)。
・日本シリーズ第7戦の現役最終打席で代打本塁打(=89年)。
3回振って三振するつもりで普段はやらない一本足で全力で振ったらホームランになった
・読売ジャイアンツの打撃コーチに就任(=93年)。
・打撃コーチとして長島監督の下での念願の日本一(=94年)。
・長野五輪で聖火ランナーを務める(=98年)。
・自宅前に停めていたクルマを盗難された事がある。
・新宿に焼肉屋を開店(3年で廃業)。
・野球解説者として日本テレビ「スポーツMAX」に出演。
・チャリティーゴルフコンペを毎年開催、集まった基金を調布市の福祉に毎年寄付。
・自宅を「メレンゲの気持ち」で公開(=10年12月11日放送分)。
・長男・淳、長女・恵が「メレンゲの気持ち」に出演(=10年12月11日放送分)。
・監督就任当時の横浜DeNAベイスターズは覇気がなかったので自ら率先して盛り上げた。
・オールスター時点で首位からシーズン終了時に最下位(史上初=15年)。
・長嶋茂雄のモノマネができる。
・故郷・福島県矢吹町の名誉町民に就任(=15年)。
凡例:20.01現在=2020年1月現在