■三沢光晴(みさわ みつはる)
□肩書き
プロレスラー
□所属
全日本プロレス(81年〜00年)
プロレスリング・ノア(00年〜)
□本名
三沢光晴
□旧リングネーム
タイガーマスク
□生年
1962(昭和37)06.18(双子座/O型)
□没年
2009(平成21)06.13(享年46)バックドロップによる頸髄離断
□出身地
埼玉県越谷市
□出身校
越谷市立大沢小学校
越谷市立中央中学校
足利工業大学付属高校
□略歴(満年齢)
84年(22歳)2代目タイガーマスクとしてデビュー。
92年(30歳)三冠統一ヘビー級王座を獲得(→7回連続防衛)。
00年(38歳)新団体「プロレスリング・ノア」を旗揚げ。
□趣味
ゲーム アニメ・特撮のフィギュア収集
クルマ スキューバダイビング
□サイズ
185㎝110㎏
■三沢光晴
□幼少時代〜
・兄がいる。
・小学校に入る前に両親が離婚。
離婚する前の姓は「小竹(こたけ)」だったが、母親の旧姓の「三沢」になった。
・父親は酒癖が悪かった。
離婚後も家で暴れるのを見て「大きくなったらブッとばしてやろう」と思っていた。
※父親とは小学生の頃に会ったのが最後
・母親が昼も夜も必死に働いてくれたのでお金で苦労しなかった。
・子供の頃、人前で話すのが苦手だった。
・中学時代、器械体操部。
・中学時代、スポーツ万能で女子にモテモテだった。
・中2の時、たまたまテレビでプロレスを見て、判りやすさに魅かれてプロレスラーを志した。
ボクシングや柔道には判定があるが、プロレスは3カウントかギブアップで単純明快と思った。
・中3の時、進路希望の用紙に「プロレスラー」と書いたら親が呼び出された。
・アマレスが盛んな高校に進学。
・高校時代、レスリング部の特待生。
毎朝10㎞走って放課後は20:00まで練習、休みは年末年始だけ。
当時は練習は大嫌いだった。
高3の時に国体のフリースタイル85㎏級で優勝。
・高校時代、母親が再婚したが、姓は「三沢」のままにした。
・高校時代、夜中に寮を抜け出して彼女の家に遊びに行った。
ベランダをよじ登って2階の彼女の部屋に忍び込んでセックスしていた。
親にばれそうになってファンシーケースに隠れた事があった。
・高2の時、全日本プロレスの事務所にアポ無しで行って入門を直訴、
ジャンボ鶴田や吉村道明に「高校出てからもう一度来い」と追い返された。
・高3の時、アマレスの選手として自衛隊体育学校に誘われ、
親、高校のレスリング部の監督、自衛隊の担当者に6時間説得されたが断った。
■三沢光晴
□私生活
・好物…駅弁。
・嫌いな食べ物…ほや。
・コンビニの弁当は苦手(プラスチック容器が嫌い)。
・酒が好き。好きな酒は焼酎。
・肌が弱い。直射日光を浴びるのを医者にとめられている。
・好きな映画…「火垂るの墓」(必ず泣いてしまう)。
・カラオケでアニメ・特撮系の主題歌を歌う。
・フィギュアが大好き。フィギュア雑誌を愛読。
地方遠征の合間に現地のおもちゃ屋をチェック(掘り出し物が眠っている事が多い)。
・宝物…ジャアント馬場に結婚祝いに貰った時計(派手すぎて使えない)。
・ペット…犬。猫。ラビーウサギ。ハムスター。
・住んでいる所…東京都世田谷区(=99.06現在)。
・いきつけ…
寿司屋「すし処 宴」(台東区)。
エステサロン「メディケア」(品川区東五反田)。
■三沢光晴
□人間関係
・大善尊太(大相撲力士)…親友。化粧回しをプレゼント。
・武野功男…友人。東十条、浅草で一緒に飲む。
・奥田民生…雑誌の対談で仲良くなって一緒に飲みに行った。
・清水アキラ…足利工業大学附属高校の先輩。
・小川良成…タッグパートナー(チーム名「アンタッチャブル」)。
小川はタイガーマスク以前の三沢に憧れて全日に入団。
・藤田和之、秋山準、桜庭和志、船木誠勝、小橋健太、
小川良成、武藤敬司、三沢光晴、田上明
…プロレスリング・ノア出身(所属&参戦、引退・移籍を含む、年齢順)。
・ジャンボ鶴田…新弟子時代に鶴田の付き人をやっていた。
・ジャアント馬場&馬場元子夫妻…仲人。
・秋山準、曙太郎、小橋建太、川田利明、三沢光晴、大仁田厚、
ジャンボ鶴田、天龍源一郎、輪島大士、ジャイアント馬場、
スタン・ハンセン、アンドレ・ザ・ジャイアント、テリー・ファンク、
ハーリー・レイス、ドリー・ファンク・ジュニア、アブドーラ・ザ・ブッチャー、
ザ・デストロイヤー
…全日本プロレス出身(引退・移籍を含む、年齢順)。
・円弘志、クロちゃん(安田大サーカス)…三沢のファン。
・真由美…87年結婚。さずかり婚。
・子供:
長女…楓。
長男…康真(しずま)。
■三沢光晴
□エピソードなど
・全日本プロレス同期入門の7人中4人が新弟子時代に逃げた。
・ジャイアント馬場に目をかけられて入門5ヵ月でデビュー(通常は約1年)。
・新人時代の給料は7万円(通常は5万円)。
・約半年間メキシコ遠征(=84年)。
「神風三沢」のリングネームでベビーフェイスとして各地を転戦。
メキシコのレスラーより体が大きかったのでたいてい勝った。
プロモーターと直接出場を交渉。
ギャラは1週間(5日出場)で約1万円、日本から持参した金で食いつないだ。
・「タイガーマスク」時代のエピソード:
原作さながらに赤いスポーツカーに乗って孤児院を訪問。
地方遠征の時はマスクを自分で手洗い。
移動の時もマスク着用、飛行機や新幹線の中でもつけっぱなし。
マスクをしていると視界が狭くなるので自然に動きが機敏になった。
・NWAインタージュニアタイトルを獲得(=85年)。
・試合中にマスクを取ってタイガーマスクを卒業(=90年)。
・初対決でジャンボ鶴田にフォール勝ち(=90年)。
・24歳の頃にヘビー級に転向。
・得意技…エルボー。タイガードライバー。
タイガースープレックス。エメラルドフロウジョン。
・イメージカラーは緑。
・左膝靭帯の故障で9ヵ月休場(=89年)。
・右手薬指じん帯断裂、左膝蓋骨骨折した状態で出場したチャンピオンカーニバル優勝(=98年)。
・テレビ「ガキの使いやあらへんで!」を一般の観客として観覧。
・全日本プロレスの社長に就任(=99年)。
・全日本プロレスを離脱してプロレスリング・ノアを旗揚げ(=00年)。
選手・スタッフ総勢40人以上を引き連れて離脱。
・全日本離脱・ノア旗揚げの原因は馬場元子オーナーとの確執、と報じられた。
社長として決めたマッチメークなどが元子オーナーの意向で実行できなかった。
芸能活動、講演会、商品販売などは元子オーナーの子会社が仕切っていて金の流れが不明瞭だった。
・プロレス・格闘技専門会場「ディファ有明」内にノアの仮事務所と道場を設置。
・ノアの旗揚げ戦で秋山準にフロントネックロックで絞め落とされてレフェリーストッププロレス人生初の失神)。
・試合中に突然左膝が外れて観客に分からないように自分で入れ直した事がある。
凡例:20.01現在=2020年1月現在