■フローラン・ダバディ
□肩書き
キャスター ジャーナリスト
□本名
Florent Dabadie
□生年
1974(昭和49)11.01(蠍座)
□出身地
フランス パリ
□出身校
東洋語学院
□略歴(満年齢)
98年(24歳)フィリップ・トルシエ日本代表監督の通訳に就任。
00年(26歳)フィリップ・トルシエ日本代表監督のパーソナルアシスタントに就任。
01年(27歳)エッセイ集「『タンポポの国』の中の私」を上梓。
※主な出演:
舞台 「アボルダージュ」
ドラマ「またも辞めたか亭主殿」
テレビ「すぽると!」「新・情報7daysニュースキャスター」「WOWOWテニス中継」
※他の主な著書:
「モダン・マン」「黄金世代ー日本代表のゴールデンエイジ」
□趣味
テレビゲーム ショッピング テニス
□特技
英語 ポルトガル語 イタリア語 韓国語
□サイズ
190㎝
■フローラン・ダバディ
□幼少時代〜
・父親は映画監督・脚本家・作詞家(ジャン・ルー・ダバディ)。
・母親は貴族のお嬢様で女性ファッション誌の編集長。
・母方の祖父はサッカークラブ(ラシン・パリ)の会長。
・叔父は有名な歌手。
・先祖はトルコ革命でフランスに亡命してきたトルコ貴族らしい。
・兄がいる。
・子供の頃から目立ちたがり屋だった。
・両親から「あたゆる差別と戦え」と教育されて育った。
・子供の時、ラシン・パリの試合を毎週観た。
・7歳の時、ラシン・パリの少年チームでサッカーをはじめた。
・8歳の時、両親が離婚。以後3〜4年ごとに父母の間を行き来して育った。
・イブ・モンタン、カトリーヌ・ドヌーブ、ソフィー・マルソーが家に遊びに来た事がある。
・小学校時代、アメリカやカナダのサマースクールに参加して英語をマスター。
祖母がイタリア人だったのでイタリア語も覚えた。
・中学時代、学長に抗議して人種差別的な発言をする数学教師を辞めさせた。
・16歳の時、10歳年上のジャマイカ出身の黒人女性と交際。
・17歳で男女共学の高校に転校するまでずっと男子校だった。
・17歳の時、ゴルチエのモデルをしていた女の子と交際。
その女の子の影響でファッションに目覚めた。
・高校時代、学校のサッカーチームでキャプテン。
・高校時代、映画「東京物語」「タンポポ」を見て日本映画と日本の食文化に興味を持ち始め、
辞書をひきながら漫画「美味しんぼ」を読んだ。
・高校卒業後、UCLA(アメリカ)に留学してジャーナリズムと舞台を勉強。
・東洋語学院で日本語と日本文学を専攻。
・大学4年の時、奨学金で静岡大学に留学、サッカー部でFWを務めた。
■フローラン・ダバディ
□私生活
・好物…寿司(大好物)。そば。
ラーメン(大好物、1日5軒はしごする事がある、とんこつ系が好き)。
豆乳。ベトナム料理。
・食べ歩きが大好き。休日に遠出して新しい店を開拓する。
※レストランガイド本「絶対おいしいTOKYO」を上梓(=05年)
・ヴィーガンで3年間で13㎏減量(78㎏→65㎏)。
・健康オタク。
・健康法…サプリメント。
・酒は飲めない。
・好きな音楽…ハウスミュージック。ボサノバ。
・好きなミュージシャン…フランク・シナトラ。マドンナ。スチャダラパー。小沢健二。
・好きな作家…村上龍。スタンダール。
・好きな映画…「スター・ウォーズ」(グッズを多数所有)。
・好きな映画監督…小津安二郎。黒沢明。ウディ・アレン。
・好きな女優…ジョディ・フォスター。
・好きなテレビゲーム…「ウィニングイレブン」「ボンバーマン」。
・「クレヨンしんちゃん」が好き。
・シンプルなインテリアが好き。
・建築物、アートに興味関心がある。
・日本語の常用漢字はすべて判る。
・変なぬいぐるみが好き。
・住んでいる所…東京都(都心のデザイナーズマンション、ロフト付きのワンルーム、
家賃20万円、東京タワーが見える=02.11現在)。
・いきつけ…
ベトナム料理「ミレイ」(蒲田)。
インド料理「シターラ」(青山)。
フレンチ「マルディグラ」(銀座)。
・クラブで踊るのが好き。
・芸術的なサッカーが好き。
・テニスの大会に出場した事がある。
・自然が嫌い。
・ニューヨークが好き。
・日本の「先輩・後輩」というシステムには馴染めない。
・ロマンチスト。
・好きなタイプ…個性が強くて自分の価値観をしっかりと持っている女性。
・年上の女性との交際経験が多い。
・情熱が永遠に続くと思えないので結婚という制度に疑問を持っている。
■フローラン・ダバディ
□人間関係
・野宮真貴…友人。
・フィリップ・トルシエ…パーソナルアシスタントを務めた。
・鈴木隆行、柳沢敦、中田英寿、小野伸ニ、明神智和、稲本潤一、戸田和幸、宮本恒靖、
松田直樹、中田浩二、楢崎正剛、森島寛晃、市川大祐、森岡隆三、中山雅史
…02年W杯コリアジャパン大会の主要メンバー。
・ロベルト・バッジオ…大好きなサッカー選手。
□エピソードなど
・父親のコネという色眼鏡で見られるのが嫌だったので芸能界に入るつもりはなかった。
・映画雑誌「プレミア」日本版の編集部員になる(=98年)。
・99年南米選手権でグループリーグで敗退して
「トルシエのそばにいるのは日本の文化も知らないフランス人だから負けた」と言われた。
・トルシエの通訳をする時に内容だけでなく口調や身ぶり手ぶりも同じように表現した。
・トルシエが怒ってない所で怒って通訳してトルシエに「やりすぎだよ」と言われた。
・トルシエから毎晩のように「緊急な話なんだ」と携帯に電話がかかってきて、
いつも長話になった(本当に緊急な話だった事はなかった)。
雑誌の締切り間近で本業が忙しい時はが電源を切っていた。
・タブロイド夕刊紙などによる批判や、サッカー界以外の人からの差別を受けた。
・著書「モダン・マン」は三角形の本。
・ファッションモデルとして活躍。
・ファッション雑誌「エル・ジャポン」にコラムを連載。
・自宅を「情報ツウ」で公開(=05年10月20日放送分)。
・将来の夢は映画監督。
凡例:17.01現在=2017年1月現在