ジャイアント馬場
■ジャイアント馬場(じゃいあんと ばば)
□肩書き
プロ野球選手 プロレスラー 全日本プロレス社長
□所属
読売ジャイアンツ(55年〜59年)
日本プロレス(60年〜)
全日本プロレス(72年〜)
□本名
馬場正平
□生年
1938(昭和13)01.23(水瓶座)
□没年
1999(平成11)01.31(享年61)※肝不全
□出身地
新潟県三条市
□出身校
三条実業高校
□略歴
60年(22歳)日本プロレスに入団。
72年(34歳)全日本プロレスを設立。
74年(36歳)NWA世界ヘビー級タイトルを獲得。
□趣味
読書 油絵 麻雀
□サイズ
209㎝130㎏ 靴のサイズ50㎝
□特筆事項
・16文キック
・NWA世界ヘビー級タイトルを3回獲得
■ジャイアント馬場
□幼少時代〜
・両親は青果店を経営。
・15歳年上の兄がいる(戦死)。
・子供の頃、父親と一緒によく海へ行った。
おにぎりだけを持って数10㎞歩いて山を越えて行った。
・母親と一緒に三条から長岡まで野菜を売りに行った。
20㎞の道のりを自転車でリヤカーを引っ張った。
・小学校入学時はクラスで一番背が低かった。
・小学校時代、よくちゃんちゃをした。
近所の畑のスイカを盗んだ。お彼岸の時お墓のお供え物を盗んで食べた。
勝手に乗ったトラックの荷台から振り落とされて川に転落。
線路に横たわって列車を止めて警察に呼ばれた。
・小学校時代、ガキ大将。自分からケンカする事はなくもっぱら仲裁役だった。
・小学校時代から野球をやっていた。小5の時に大人のチームで4番を打っていた。
・大きな足に合う靴が近所の店に売っていなかったので両親が東京まで買いに行った。
・中学時代、野球以外にバスケットボールや卓球をやった(球技は何でも得意だった)。
・中学時代、教会に通う貧しい家の女の子に初恋。
その子の為に毎朝納豆を売り歩いて儲けを神父さんに渡した。
・中2のクリスマスにクリスチャンの洗礼を受けた。
・高校入学後、足に合うスピイクがない劣等感から野球部の門を叩けず、美術部に入部。
美術部の先生に「スパイクを作ってやるから」と言われて2年の春に野球部に入った。
■ジャイアント馬場
□私生活
・好物…チーズバーガー。コーヒー(1日20杯)。
甘いもの(ようかんを36本一気に食べた事がある)。
・酒は全く飲めない。
・葉巻が好き。ハバナ製を1日10本程度。
肺活量が多いので煙で火事と間違えられた事がある。
・18歳の頃に脳腫瘍の手術を受けた。
1年間の入院が必要と言われたが1週間で退院した(=ネタか?)。
・左大腿骨を骨折(=90年)。
・癒着性腸閉塞を手術(=99.01)。
・左きき。
・子供の頃にかまれたので犬が苦手。
・10代の頃から読書が好き。戦国武将モノの本をよく読む。
・ドラマ「水戸黄門」が大好き。
・キャピトル東急の部屋を事務所がわりに使っていた(ほぼ毎日滞在)。
・愛車はキャデラック。新型が出る度に買い替えた。
・飛行機が揺れて恐怖を感じても顔には出さない。
・私生活では相手がレスラーでも一切殴り合いのケンカはしなかった。。
・初めて会った時の妻は15歳(馬場は17歳)。
・遊びに行く時は妻同伴。
・夫婦喧嘩でいつも妻に負けた。
■ジャイアント馬場
□人間関係
・アントニオ猪木…日本プロレス時代にタッグを組んで活躍(BI砲)。
・フレッド・アトキンス…アメリカ修行時代の師匠。
・力道山…プロレスラー転向を目指して力道山道場に入門(=60年)。
・水野久美…中学校の先輩。水野の引っ越しを手伝った。
・元子…71年結婚。
□エピソードなど
・東北地方初のプロ野球選手として読売ジャイアンツに入団。
契約金は20万円給料は12000円。
・プロ2年目に12勝2敗の成績でイースタン最優秀投手。
・1軍登板は通算3試合のみ。
・練習中に風呂場で倒れてガラスで腕を痛めて野球を断念後、
ヘビー級のボクサー、映画俳優など様々な勧誘を受けた。
・映画「駅前茶釜」に出演(=63年)。
・プロレス修行時代、力道山の指示で30㎏のダンベルを両手に持って電車移動。
・得意技…16文キック。脳天唐竹割り。かわず掛け。
・アメリカで武者修行(=61年〜63年)。
・NWA世界ヘビー級チャンピオンを3回獲得。
・3団体の選手が一堂に会した日米プロレスサミットを開催(=90年)。
※凡例 20.01現在=2020年1月現在