■コシノジュンコ
□肩書き
ファッションデザイナー
□本名
小篠順子
□生年
1939(昭和14)08.25(乙女座)
□出身地
大阪府岸和田市
□出身校
岸和田市立中央小学校
岸和田市立岸城中学校
大阪府立岸和田高校
文化服装学院デザイン科
□略歴(満年齢)
59年(20歳)若手デザイナーの登竜門「装苑賞」を史上最年少で受賞。
66年(27歳)ブティック「コレット」をオープン。
□趣味
サルサ
□特筆事項
・姉はコシノヒロコ
・妹はコシノミチコ
■コシノジュンコ
□幼少時代〜
・実家はコシノ洋装店。
・父親は仕立て職人(戦地で病死)。
・母親はファッションデザイナーの小篠綾子。
・3歳年上の姉、3歳年下の妹がいる。
・母親は子供を放っておいて遊びに行く人だった。
・お転婆で気が強く、姉と妹としょっちゅうケンカをした。
・小学校時代、運動会の徒競走ではいつも1位だった。
・中学時代、画家を志していた。
・高校時代、卓球部。
・高2までだんじり祭りで一番山車を引いた。
■コシノジュンコ
□私生活
・好物…鯖寿司。うどん。お好み焼き。
肉。魚。岸和田の水なすび漬け。
・得意料理…お好み焼き(フォアグラを乗せる)。
・好きな酒…ワイン。
・健康法…スポーツジム(週2回以上=19.01現在)。
・朝が弱い。
・食器を大量に所有。
・住んでいる所…東京都港区南青山(=19.01現在)。
靴を脱ぐとファッションのバランスが崩れるので自宅は土足OK。
アジアンテイストのモノを集めた茶室がある。
・いきつけ…スーパー「紀ノ国屋」。
・海外から自宅に来た友人をたこ焼きやお好み焼きでもてなす。
・母親は06年に他界(享年92)。
酒好きの母親と一緒によく酒を飲んだ。
・岸和田のだんじり祭りの日に毎年家族親戚知人が実家に集まる。
祭り囃子を聞くと血が騒ぐ。
・40歳初産で長男を産んだ。
・長男の幼稚園の文化祭のデザインを担当、
張り切りすぎて当日長男を連れて行くのを忘れた。
・長男はイギリスの美術学校に留学していた。
・長男はジュンココシノ(株)の事業部長(=12.04現在)。
・孫から「ジュンコ」と呼ばれる。
■コシノジュンコ
□人間関係
・高田賢三…親友。
・加賀まりこ、石坂浩二、かまやつひろし、篠山紀信
…若い頃の遊び仲間。
・金子功、高田賢三、松田光弘、コシノジュンコ
…文化服装学院デザイン科の同期生。
文化服装学院時代、毎日一緒に遊び、お互いに競いあった。
・山本寛斎…ファッションの弟子。
・ブルゾンちえみ…コシノジュンコのファン。「おかあさん」と呼ばれる。
・コシノヒロコ…姉。ファッションデザイナー。
・コシノミチコ…妹。ファッションデザイナー。
・前夫…?年結婚、?年離婚。
・鈴木弘之…75年結婚。8歳年下。教習所で知り合った。
・子供:
長男…順之(よりゆき)。80年誕生。ファッションプロデューサー。
※孫が3人いる(=18.07現在)
■コシノジュンコ
□エピソードなど
・上京当時、関西弁が通じなかったので封印した。
・「ブティック」という言葉を日本に持ち込んだ。
・ザ・タイガースなどグループサウンズの衣装を数多く手掛けた。
・ユニセックスの洋服を多数デザインした。
・パンタロン、ロンドンブーツを日本に流行らせた。
・サイケの女王と呼ばれた。
・大阪万博のユニフォームを手掛けた。
・2軒目のブティック「JUNKO」を開店した通りの名前を「キラー通り」と勝手に命名。
・テレビ「オレたちひょうきん族」のコントの衣装(アミダばばあ)をデザイン。
・北京コレクションを開催、中国ファッション発展に貢献(=85年)。
・母親が年輩の女性向けのブランドを設立。
・好きな生地素材はジャージー。
・22年連続でパリコレに参加。
・前例がない事に挑戦するのが好き。
・デザインをてがけた衣装など:
アミダばばあ(明石家さんま)のコント衣装
東京ヴェルディの初代ユニフォーム
読売ジャイアンツのグラウンドコート
武尊(K-1)のガウン・試合コスチューム
和太鼓グループ「DRUM TAO」の衣装
日本オリンピック委員会の公式エンブレム
琉球海炎祭の花火
スクール水着
・自宅を「TOKIOカケル」で公開(=19年1月23日放送分)。
凡例:20.01現在=2020年1月現在
関連項目:文化人系目次 文化人系女性 ファッションデザイナー 1939年誕生