なぎら健壱

なぎら健壱


■なぎら健壱(なぎら けんいち)

 

□肩書き

 歌手 俳優 タレント

 

□本名

 柳楽健一

 

□生年

 1952(昭和27)04.16(牡牛座/O型)

 

□出身地

 東京都中央区東銀座→東京都葛飾区金町

 

□出身校

 中央区立京橋小学校

 葛飾区立金町中学校

 東京都立本所工業高校 

   ビジュアルデザイン研究所

 

□略歴(満年齢)

 72年(20歳)デビューアルバム「万年床」をリリース。

 81年(29歳)ドラマ「2年B組仙八先生」出演。

 03年(51歳)朝ドラ「こころ」出演。

 ※他の主な出演:

  映画 「嗚呼!!花の応援団」「釣りバカ日誌10」「ゴジラ2000 ミレニアム」

  ドラマ「さすらい刑事旅情編」「静かなるドン」「梅ちゃん先生」

  テレビ「タモリ倶楽部」「ギルガメッシュないと」「金之玉手箱」

 

□趣味

 読書 映画観賞 ゲーム パソコン 写真 麻雀 

 プロレス評論 エロ風俗評論 落語観賞 下町探訪 

 居酒屋巡り 古本屋巡り 自転車 ゴルフ 

 

□特技

 料理 バイオリン 絵画(イラスト) マッサージ 指圧 

 

□資格・免許

 溶接免許 食品衛生責任者


■なぎら健壱

 

□幼少時代〜

・父親は宝石箱や貴金属の飾り台を作る職人。

 若い頃に役者に憧れて旅芸人の一座に付いて家出した。

・祖父は村一番の女形。

・ひとりっ子。

・子供の頃、父親を尊敬していた。

 将来父親の跡を継ごうと思っていた。

・子供の頃、松屋デパートの屋上から街を観るのが好きだった。

・子供の頃、デパートでよく迷子になった。

・小3の時、東銀座から葛飾区金町に引っ越した。

 当時の葛飾区柴又は東銀座に比べると全然あか抜けていなかった。

・小学校時代、漫画家か画家になりたいと思っていた。

・中学時代、天体観測と切手収集が好きだった。

・中学時代、中原中也に憧れて詩を書き始めた。

・中学時代、文芸部と美術部。

・中2の時、ギターをはじめた。

・高校は男子校。

・高校時代、フォークグループ・シャンゼリゼを結成。

 アングラフォークに傾倒。自作の歌を学校で披露。

・高校時代、授業をさぼってエロ映画を観に行った。

・高校時代、マラソン大会ではスタートからゴールまで歩いて毎年ビリ。

・高校時代、修学旅行でホテルの地下のバーで仲間と一緒に酒を飲んだ。

 同じ店で先生も飲んでいたが見て見ぬふりをしてくれた。

・高校時代、自分でお膳立てして学校の近くの孤児院でコンサート。

・高3の夏、中津川フォークジャンボリーに飛び入り参加、

 オリジナル曲「怪盗ゴールデンバットのうた」を歌った。

 ※ライブ録音されたレコードに収録された


■なぎら健壱

 

□私生活

・好物…駄菓子。

・酒が好き。好きな酒は焼酎。

 若い頃に「酒さえ飲まなきゃ家が建つのに」と言われた程飲んだ。

 酒の飲み過ぎでアル中特有の幻聴を経験した事がある。

 1年間で700軒のスナックに行った事がある。

・多忙によるストレスで収録中に倒れて1ヵ月入院した事がある。

・好きな音楽…カントリー。

・好きなアーティスト…高石友也。高田渡。矢沢永吉。

・春歌、刑務所の歌、バイオリン演歌など「消えていく歌」に興味関心がある。

・好きなゲーム…「あつまれ どうぶつの森」。

・気功に凝っている。

・収集癖がある。変なモノを多数収集。

 本、レコード、マッチ、眼鏡、帽子、ウエスタンブーツ、

 新聞の死亡記事、マンガ雑誌のグラビアの切り抜き、

 航空写真付き住宅販売チラシ、弁当の醤油さし、納豆のラベル、

 ラムネの瓶、千社札、ホテルの石鹸、ベーゴマ。など。

・ウエスタン風のファッションが好き。

・別荘がある所…千葉県(=11.12現在)。

・銭湯が好き。

・25歳までの事は異常に鮮明に覚えているが25歳以降の事は殆ど覚えていない。

・散歩が好き。

 行き先を決めずに電車やバスに乗って適当な所で降りてぶらぶら歩く。

・自転車が大好き。

 約10台所有(保管の為のアパートを借りている=09.03現在)。

・デジタルカメラを持って下町の裏道を散策して変わったモノを見つけると写真を撮る。

・さまざまな事柄に関するうんちくが豊富。

 興味を持ったらとことん調べるがその道のプロと話ができる程度まで来ると飽きる。

・毎日本屋に行く。

 下町、演芸、昔の東京に関する資料本を多数所蔵。

・夜中に自宅の近所をパトロールする。

・浅草が好き。

・アメリカのナッシュビル(カントリー&ウェスタンのメッカ)によく行く。

・事務所所有のクルマの車体下部から火が出てギター2本を抱えて脱出した(=99年)。

・熱しやすく冷めやすい性格。


■なぎら健壱

 

□人間関係

・ヨネスケ…友人。ヨネスケがいない時にヨネスケの自宅に遊びに行った事がある。

・中山秀征…友人。飲み友達。

・タモリ、立川談春…友人。

・マーク・パンサー…なぎらのファン。

・美空ひばり、石原裕次郎…憧れている芸能人。

・宮田幸男…高校の同級生で親友。一緒にフォークをやっていた。

・早苗…77年結婚。子供服のデザイナーだった。同い年。

 吉祥寺の店で酔ってパンツ一丁で踊っていた時に居合わせていて知り合った。

・子供:

 長男…柳楽詠人。79年誕生。05年に歌手デビュー。


■なぎら健壱

 

□エピソードなど

・高校卒業後、ペンキ屋に就職。

・若い頃によくラジオやテレビにノーギャラで出演して歌っていた。

 後にレコード会社はしっかり儲けていた事を知って愕然とした。

・取組み中にまわしが外れた力士を歌ったコミックソング「悲惨な戦い」がヒット(=73年)。

・所属事務所(如月音楽一家)が倒産、一時は土方のアルバイトで糊口を凌いだ。

・「およげたいやきくん」のB面「いっぽんでもニンジン」を歌った

 (印税契約ではなく、3万円の買い取り契約)。

・フォークブームの後、収入は月10万円程度が約3年続いた(芸能界引退を考えた)。

 仕事は地方のライブハウスだけだった。

・ドラマ「2年B組仙八先生」に出演中、交通費がなかったので台風の中を原付バイクで行き、

 朝から何も食べていない家族の為にに番組の弁当を持って帰ってきた事があった。

・アメリカでカントリーのライブを開催した事がある。

・下北沢のライブハウスでの毎月恒例のライブを20年続けている(=03年現在)。

・よく出来た作り話のネタをたくさん持っている。

 タクシーの運転手を自宅にあげてお茶を御馳走した話、

 オオアリクイと戦った話、

 コイを散歩させている人の話、etc.

・「芸能界のうんちく王」と呼ばれる。

・著書「東京酒場漂流記」「下町小僧」「ぼくらは下町探検隊」は<下町3部作>と呼ばれる。

・プロレスの評論、エロ風俗の評論なども手掛ける。

・明治時代の流行歌を口伝で習っている。

・副業…

 カントリー&ウエスタン居酒屋「キャノンボール」(廃業)。

 「下町もんじゃ らくらく」(学芸大学、長男が店長=12.11現在)。

凡例:20.01現在=2020年1月現在