JIRO | 1972(昭和47)10.17(天秤座/A型) | 北海道函館市 | ※ベース |
HISASHI | 1972(昭和47)02.02(水瓶座/O型) | 北海道函館市 | ※ギター |
TERU |
1971(昭和46)06.08(双子座/O型) |
北海道函館市 | ※ボーカル |
TAKURO |
1971(昭和46)05.26(双子座/O型) |
北海道函館市 | ※ギター ※リーダー |
□略歴
94年 シングル「RAIN」でメジャーデビュー。
96年 シングル「グロリアス」がヒット。
97年 NHK紅白歌合戦に初出場。
99年 「Winter,again」で日本レコード大賞を受賞。
※他の主なシングル:
「口唇」「HOWEVER」「誘惑」
■GLAY
□人間関係
・YOSHIKI(X JAPAN)…YOSHIKIにスカウトされてメジャーデビュー。
デビューシングルのプロデューサー。
・hitomi、TOKIO…デビュー同期生。
・ガレッジセール…テレビ「ガレッジヴァンガード」の企画でユニット・GALAYを結成、
シングル「道産子シーサー」を1000枚限定でリリース(=02年)。
・佐久間正英…プロデューサー。
・岡崎瑞生…マンガ「ミュージシャン実録ストーリーGLAY」の作者
(雑誌「少年マガジン」掲載=98年)。
・岩崎慎吾、櫻井二郎…アマチュア時代のGLAYのメンバー。
・EXILE…GLAY×EXILEとしてシングル「SCREAM」をリリース(=05年)。
・今井絵理子…GLAYのファン。GLAYの曲を弾きたくてギターを始めた。
・山下智久、渡辺徹、国仲涼子、長島三奈…GLAYのファン。
■GLAY
□エピソードなど
・TAKUROとTERUを中心に結成。
・プロを目指して上京後、アルバイトでスタジオ代を稼ぎ、
デモテープを作っては売り込んだ(約3年間続けた)。
・最初のライブは観客0人、その後約2年間は10人以下だった。
・アマチュア時代、TAKUROが「とにかく続けなきゃ」とメンバーを引っ張り、
ライブ後に必ず反省会を開催。
・アマチュア時代、バンドオーディション番組「イカ天」に出演、
審査員に「毒がない」「全部Aメロみたい」と酷評された(=90年)。
・デビュー当時、メンバーのみで機材車をTAKUROが運転して移動。
・メジャーデビューから約2年間売れなかった。
・オリコンチャート1位の時の給料は月額15万円。
生活の為にインディーズ時代の曲を会社に内緒で売っていた。
・紅白歌合戦に初出場(=97年)。
・LUNA SEA、L'Arc〜en〜Ciel、SHAZNA等とともにビジュアル系バンドと呼ばれた。
・ベストアルバム「REVIEW」が発売1週間で300万枚を突破、
オリコン史上最高得点で初登場1位(=98年)。
・全国ツアーのチケット予約で電話回線がパンク、長野五輪に影響が出た(=98年)。
・ハワイで開催した初の海外公演に日本からファン3000人が詰め掛けた(=98年)。
・幕張で開催した野外ライブで日本音楽史上最多の20万人を動員(=99年)。
最終的にフェンスを壊してチケットチェックをスルーして観客を入れた。
総費用30億円、スタッフ総数7500人、報道陣1000人。
・函館−羽田線就航10周年記念でGLAYを機体にあしらった特別塗装機を就航(日本航空=99年)。
・日本レコード大賞を受けるかどうかでメンバーの意見が別れ、
一時は「賞は受けるが、GLAYは解散しよう」という方向でまとまりかけた。
・ドラマ&映画「未来日記」の音楽を担当(=00年)。
・地雷ゼロキャンペーンソング「ZERO LANDMINE」にTAKUROとTERUが参加(=01年)。
※坂本龍一プロデュース
・北京で日中国交正常化30周年記念コンサートに3万5000人を動員(=02年)。
・GLAY EXPO2004をユニバーサルスタジオジャパンで開催(=04年)。
・JIROの誕生日に運動会を開催(=04年)。
・05年のデビュー10周年記念ツアー終了後、事務所とレコード会社を移籍して約1年間活動休止。
・台湾、香港で初のワンマンライブ(=18年)。
・初の韓国公演(=19年)。
・メンバー同士仲が良い(家族ぐるみのつきあい)。
TERUの子供がTAKUROの自宅に遊びに行く。
凡例:20.01現在=2020年1月現在