片渕須直
■片渕須直(かたぶち すなお)
□肩書き
映画監督 アニメーション作家
□生年
1960(昭和35)08.10(獅子座)
□出身地
大阪府枚方市→千葉県八千代市
□出身校
千葉県立船橋高校
日本大学芸術学部映画学科卒業
□略歴
00年(40歳)アニメ映画「アリーテ姫」監督・脚本。
09年(39歳)アニメ映画「マイマイ新子と千年の魔法」監督・脚本。
16年(56歳)アニメ映画「この世界の片隅に」監督・脚本。
※主な出演:
テレビ「PON!」「ワールドビジネスサテライト」
■片渕須直
□幼少時代〜
・3歳年下の弟がいる。
・母方の祖父は映画館「枚方映劇」を経営(創始者)。
その映画館でいつもタダで映画を観ていた。
映画館で貰って来た映画のポスターの裏によくお絵描きをした。
・母親の実家に父親が同居する大家族で育った。
母方の祖父母、母親のきょうだい4人と同居。
・小3の時、神奈川県川崎に引っ越した(父親の転勤)。
・小6の時、千葉県八千代市に引っ越した。
3DKの公団住宅に当選。
※父親は18年までこの部屋に住んでいた
・中学時代、クラスで映画を作った。
・高校時代、視聴覚映像委員会。
生徒会長の依頼を受けて8ミリで撮った記録映画を文化祭で上映。
・大学時代、アニメーションを専攻。
□私生活
・2歳の時に観た映画の記憶がある。
・住んでいた所…東京都西東京市(風呂なしアパート、20代半ば)。
■片渕須直
□人間関係
・宮﨑駿…テレビアニメ「名探偵ホームズ」で一緒に仕事をした。
宮崎が大学に特別講師として来た事がきっかけで知り合い、
片渕が提案した「名探偵ホームズ」のあらすじが採用された。
・浦谷千恵…同僚のアニメーター。?年結婚。
□エピソードなど
・大学3年の時、ゼミの先生の紹介でアニメ脚本家の募集に応募、
テレコム・アニメーションフィルムで働き始めた。
当初の待遇はアルバイト扱い、大学卒業後に正社員。
※宮﨑駿、大塚康生が当時在籍していた会社
・アニメ映画「魔女の宅急便」の演出補を務めた。
・30代半ばでテレビアニメ「名犬ラッシー」で監督としてデビュー。
監督の依頼が来てから放送開始までわずかな時間しかなく、
スタジオに連日泊まり込んで仕事をした。
□「この世界の片隅に」に関するエピソードなど
・企画から公開まで約6年。
・クラウドファンディングで製作資金を調達。
・当初の制作資金は自己資金の持ち出し。
口座残高が5万円を切って家族4人が1日300円の食費で過ごした時期があった。
・細部のリアリティにこだわった。
当時の資料を集める為に呉に20回以上足を運んだ。
・キネマ旬報日本映画部門ベストテン第1位。
アニメ映画のキネ旬1位は1988年の宮崎駿「となりのトトロ」以来。
・第40回日本アカデミー賞最優秀アニメーション作品賞。
凡例:19.01現在=2019年1月現在