■芦屋小雁(あしや こがん)
□肩書き
俳優
□本名
西部秀郎(にしべ ひでお)
□生年
1933(昭和08)12.04(射手座/A型)
□出身地
京都府京都市中京区
□出身校
朱雀中学校
□略歴(満年齢)
59年(26歳)テレビ「番頭はんと丁稚どん」出演。
62年(29歳)映画「雁ちゃんの警察日記」出演。
89年(56歳)映画「どついたるねん」出演。
※他の主な出演:
舞台 「月食」「桜日記」
映画 「悪名市場」「てんやわんや次郎長道中」「父」
ドラマ「裸の大将」「社長になった若大将」「ウェルかめ」
□趣味
映画観賞 スポーツ観戦 絵を描くこと 写真
□特技
居合道3段 杖道4段
□サイズ
154㎝ 靴のサイズ24.5㎝
□特記事項
・兄は芦屋雁之助
・元妻は斎藤とも子
・妻は勇家寛子
■芦屋小雁
□幼少時代〜
・実家は1階は駄菓子屋、2階は型友禅染の町工場。
・男6人兄弟の5番目。次男と三男は早くに他界。
・祖母、父親は芸能好きだった。
自宅によく旅芸人が泊まりに来た。
父親は戦時中に漫才師として各地に慰問に行った。
祖母と一緒に週に1回は近所の芝居小屋に通った。
・5歳の頃から映画館に通った。
・8歳頃まで母親のおっぱいを吸っていた。
・8歳頃までおねしょをしていた。
お仕置きでおねしょで汚した布団をかついで近所を走らされた。
・小学校時代、映画代を稼ぐ為に街角で夕刊を売った。
・小学校時代、兄と一緒にチャンバラ芝居を自宅で上演、
近所の子供に切符を配って見せていた。
・子供の頃から絵が好きだった。
・戦後のゴタゴタで小学校を5年の途中でやめて、
新制中学校に行かなかった。
・戦後の食糧難の時期の主食は米ヌカや豆カス、
歩き回ってイナゴを捕まえて佃煮にした。
■芦屋小雁
□私生活①
・好物…白米(若い頃は1日3合以上食べていた)。
味噌汁。焼肉(大好物)。漬物。
・得意料理…ユッケ丼。
・自分で食事を作る。
・1日5食。毎食白米を食べる。
・早食いの大食い。
以前はどんぶり茶碗で毎食白米を2合近く食べていた。
70歳を過ぎてからどんぶり茶碗を普通の茶碗にして量を減らした。
・よく食べこぼしをする。
・酒は殆ど飲めないが飲み屋で遊ぶのは大好き。
京都・祇園でよく遊んだ。
・健康法…散歩(妻と一緒に歩く、繁華街を歩くのが好き、
休憩しながら半日歩く事がある)。
・舞台から転落して右足のかかとを複雑骨折(=81年)。
・初期の胃がんと大腸がんを内視鏡手術で切除(=05年頃)。
・認知症を患っている(=18.06現在)。
・コレステロールが高い。
妻にあっさり系の和食を作ってもらう(京野菜の煮物など)。
・平均睡眠時間は3〜4時間。
・寒さに強い。
・病院が嫌い。
・オーディオマニア。
映画音楽のレコードを多数所有。
・「ER」「24」などテンポが速い海外ドラマが好き。
・自分の出演作品はほとんど見ない。
・住んでいる所…京都府(=15.10現在)。
・大阪、神戸に住んでいた。
■芦屋小雁
□私生活②
・いきつけ…和食「里空木」(京都、友人の店=11.05現在)。
・お金はあればあるだけ使ってしまうが、なければないなりの生活をする。
あちこち散歩して200円のコーヒーを飲んで、
ワゴン売りの300円のDVDを見る1日でも全然平気。
・父親の教えでギャンブルとクスリはやらなかった。
・外車が好き。
アメリカ車、イタリア製のオープンカーに乗っていた。
運転免許を持っていないので運転手を雇っていた。
・子供の頃からカメラが好き。多い時は15台以上所有。
・忘れ物が多い。
・好奇心旺盛。
新しい電化製品を研究するのが好き。
・スマホを使っている(=11.05現在)。
・人見知り。
・好きなタイプ…強い女性。
・金沢の郭でセックスを初体験。
・日本各地に7人の彼女がいた時期があった。
・妻と週1回はセックスする(=15.10現在)。
■芦屋小雁
□私生活(映画)
・超映画マニア。
映画館で月に10本、自宅で時間が許す限り観る。
駄作と言われている作品でも「どこか良い所はないか?」と思って観る。
・ミュージカル映画、怪奇映画、ホラー映画、SF映画が大好き。
・好きな映画は「キングコング」「フランケンシュタイン」「ドラキュラ」。
・日本映画は殆ど観ない。
・手回し映写機、紙フィルム映写機を所有。
・「スター・ウォーズ」「エイリアン」の35ミリフィルムを所有。
・以前の自宅に35ミリフィルムを上映できるミニシアターがあった。
・3〜4日間ひたすら映画を見続ける耐久上映会を自宅で度々開催。
時々おにぎりを食べるだけでただひたすら映画を見続ける会。
筒井康隆、小林信彦、手塚治虫が参加。
・B級作品の字幕なしのフィルムを収集。
最盛期は約450本を所有。倉庫用の部屋を借りている。
離婚の度に整理してDVDになりそうにない作品を厳選。
欲しいとい人に何本も無料で贈呈した。
・収集したフィルムを神戸映画資料館に預けている(名誉館長)。
・映画関係の小規模イベントに積極的にゲスト参加。
■芦屋小雁
□人間関係
・藤田まこと…友人。互いに売れない頃からの仲。
・島田順司…友人。よく映画の話をする。
舞台「新・裸の大将放浪記」で共演。
・山城新伍…友人。若い頃によく一緒に祇園に行った。
・手塚治虫…友人。よく映画の話をした。
・渋谷天外…スマホの師匠。
・おりも政夫…舞台「新・裸の大将放浪記」で共演。
・大村崑、茶川一郎…テレビ「番頭はんと丁稚どん」で共演。
・梶浦梶子、斉藤絵里、白木順子、山本よう子、勇家寛子
…同じ事務所(小顔クラブ)。
・花登筺…仕事仲間。
花登に誘われてOSミュージックホールの幕間コントに出演。
お互いに駆け出しだった頃に雁之助を含めて3人で同居生活。
雁之助を含めてあれこれ喋りながら幕間コントの台本を作った。
・芦屋雁之助…兄。2歳年上。俳優。※04年他界
・芦屋雁平…弟。6歳年下。俳優。※15年他界
・芦乃屋雁王…師匠。16歳の時に兄と一緒に弟子入り。
・ラッキー・セブン…大好きな芸人。弟子入りを志願して断られた。
・元妻…60年結婚、?年離婚。
雁之助、小雁、大村崑の3組合同で読売テレビのスタジオで合同結婚式。
・斎藤とも子…女優。87年結婚、95.06離婚。27歳年下。
離婚後も家族ぐるみでつきあっている。
・勇家寛子…女優。96.07.07挙式。30歳年下。
舞台「裸の大将 下駄の鳴る丘」で共演して知り合った。
斉藤と離婚した時期に勇家が彼氏と別れて、別れた者同士で仲良くなった。
小雁のマネージャーを務めている(仕事先について来る)。
・子供:
長男…佐久間秀樹。俳優。
・前妻(斉藤)との間に一男一女がいる(離婚後斉藤が引き取った)。
・孫がいる。
■芦屋小雁
□エピソードなど
・10代の頃、年齢をごまかして商業美術の仕事に従事(百貨店の宣伝など)。
・父親の勧めで兄・雁之助と漫才コンビを組んで約3年間活動。
コンビ名は「若松ただし・きよし」。
雁之助がツッコミ、小雁がボケ。
お金がなかったので衣装は紙で作った背広だった。
交通費がなかったので京都から滋賀県大津まで歩いて行った。
商業美術の仕事も並行して続けていた。
・OSミュージックホールのヌードショウのコントで芸を磨いた。
・雁之助、大村崑とともに戦後最初の吉本新喜劇に出演。
・劇団・笑いの王国の旗揚げに参加(=59年)。
・テレビ「番頭はんと丁稚どん」の丁稚役で人気を得た。
関西地区で62.3%の視聴率を記録。
・草創期のテレビは全て生放送で失敗は日常茶飯事だった。
・生コマで「ダイハツ・ミゼット」を「ニッサン・ミゼット」と言い間違えた。
・最盛期のレギュラーは週10本。
平均睡眠時間は2〜3時間。
連日移動のワゴン車で寝泊まりした。
軽三輪の荷台に布団を敷いて寝た事があった。
仕事と遊びで1週間して目の前で猿が踊る幻覚を見た。
・雁之助、弟・雁平と劇団喜劇座を結成(=64年)。
・雁之助、藤田まこと、野川由美子と新演技座を旗揚げ(=77年)。
・シングル「大阪環状線フォーク小唄」をリリース(=77年)。
・身体を使ったギャグが好き。
・50本以上の映画に出演。
・宮本亜門演出の舞台「月食」で猛特訓を受けて歌と踊りに挑戦。
・ホノルルマラソンを9時間40分で完走(初のフルマラソン=00年)。
・舞台「どんごな子 蕎麦屋の巻」で14歳の少年を演じた(=04年)。
・雁之助の他界後、舞台「裸の大将放浪記」の山下清役を受け継いだ。
・日本喜劇人協会副会長に就任(=07年)。
・朝ドラに多数出演。
・ドラマ「ウェルかめ」の漁師役の役作りの為に日焼けサロンで体を焼いた。
・京都市観光協会事業功労賞を受賞(=09年)。
・副業…和食「こがん亭」(09年開店、京都=11.07現在営業中)。
・落語会をプロデュース(「こがん亭」で開催)。
・中高年層対象の演劇スクール「元気☆塾」を主催。
・絵の個展「ほん魔界な」を開催(=11年)。
・主な著書:
「ドラキュラ百科」
「シネマで夢を見てたいねん」
「笑劇の人生」(新潮新書=18年)
凡例:20.01現在=2020年1月現在