ピンク・レディー

ピンク・レディー


 ミー(未唯mie)  1958(昭和33)03.09(魚座/A型)  静岡県静岡市  私立常葉学園高校
 ケイ(増田恵子)  1957(昭和32)09.02(乙女座/O型)  静岡県静岡市  私立常葉学園高校


□略歴

 76年 シングル「ペッパー警部」でデビュー。

 78年 シングル「UFO」で日本レコード大賞を受賞。

 10年 5回目の再結成(永久活動宣言)。

 ※他の主なシングル:

  「渚のシンドバッド」「ウォンテッド!」「カルメン77」

 ※主な出演:

  映画 「ピンク・レディーの活動大写真」

  テレビ「シャボン玉ホリデー」「気になる季節」「UFOセブン大冒険」

  CM    「ナショナル薄型ラジオ ペッパー」「日清焼そばUFO」


□趣味

 ミー…料理 読書 映画観賞 パソコン テレビゲーム イラスト ダーツ(マイダーツ所有)

 ケイ…料理 NBA観戦 日舞(深水流) クラシックバレエ


□特記事項

・日本レコード大賞(1978年「UFO」) 


■ピンク・レディー

 

□人間関係

・叶和貴子…ピンクレディーのバックコーラスを務めた。

・土居甫…ピンクレディーの振付けを担当。

 当時の最新のディスコステップを取り入れていた。

・飯田久彦…ピンクレディーのディレクター。元歌手。

・モンスター…大瀧詠一が結成したバンド。デビュー前の鈴木雅之が在籍。

 パロディーソング「ピンク・レディー賛歌」をリリース。

・大澄賢也…ピンクレディーの振付けを覚えて教室で披露(小学校時代)。

・KABA.ちゃん…ピンクレディーの大ファン。ピンクレディーの振付けを担当。

・古田新太…ピンクレディーの大ファン。ファンクラブに入っていた。

 解散コンサートに行った。

・山咲トオル…ピンクレディーの大ファン(ケイのファン)。

・松本伊代…ピンクレディーの大ファン(小学校〜中学時代、ケイのファン)。

・森高千里…ピンクレディーの大ファン。解散コンサートに行った。

・一路真輝、大沢逸美、酒井法子、中澤裕子、七瀬なつみ、藤森夕子、

 益子直美、山瀬まみ…ピンクレディーのファン。


■ピンク・レディー

 

□エピソードなど①

・浜松のヤマハボーカルスクールの先生のススメでデュオを組んだ。

・高1の時、ヤマハポプコン地方予選に「クッキー」の名前で出場。

・ヤマハのキャンペーンやイベントで3曲歌って3000円のギャラを貰っていた。

・「スター誕生!」の決戦大会で8社からスカウトされた(=76年)。

 衣装・振付バッチリで挑んだオーディション番組「君こそスターだ」で不合格だったので、

 「スター誕生」出場に際して自分たちで考えて素人っぽさを演出した。

・静岡から上京するシーンを母校・常葉学園高校の放送部が8ミリフィルムで撮影。

・デビューに際して「売れるまでは実家の敷居を跨がない」とふたりで決めた。

・レコード会社はフォーク路線で売り出すつもりで、

 用意されていた当初のデュオ名候補は「白い風船」「みかん箱」「茶畑」だった。

 ※事務所の方針でポップス路線に変更、「ピンク・レディー」は都倉俊一の命名らしい

・上京後約2年間、会社の専務の家(木造の古い家)のひと部屋にふたりで居候していた。

 ベッドを並べて寝ていた。予定より遅く帰ると食事も入浴もさせて貰えなかった。

 会社に文句を言うと次の2年間は赤坂ヒルトンホテルの1泊9万円の部屋になった。

・デビュー当時のキャッチフレーズは「初めての味・ピンクレディー」。

・デビュー曲「ペッパー警部」はヒットするまで2ヵ月かかった。

・「ペッパー警部」は夏のリリースだったが目立つ為に雪山で水着グラビアを撮影した。

・デビューして2年間は休みは1日もなし。

 平均睡眠時間1〜2時間(年末は1時間以下)でケンカする暇もない忙しさだった。

 食事はリンゴとバナナとクッキーを移動中に食べるだけ。毎日微熱があった。

 座ると半分気を失っていた。本番中に寝た事が何度もあった。

 トイレに行くのを我慢していたので常に便秘気味だった。

 新曲の振付けを覚える時間がなかった(「UFO」は本番直前に2時間で覚えた)。

 ダブルブッキングで1日10回以上の移動は当たり前。

   パトカー先導やヘリコプターで移動した。ハワイに日帰りでCM撮影に行った。

 移動の途中に何度か脱走を計った。

・ギャラが1年更新の給料制。

 1年目5万円、2年目15万円、3年目30万円、4年目で150万円。

・衣装は3曲目までは私服だった(自分で原宿で買っていた)。


■ピンク・レディー

 

□エピソードなど②

・コンサートでキャンディーズのファンに生卵を投げ付けられた事があった。

・ケイが盲腸をこじらせて腹膜炎の手術を受け、本来なら2週間安静だったが、

 8日目にはお腹に穴が開いたままサランラップを巻いて武道館でコンサートをした。

・ケイが寝坊してコンサートに遅刻、会場に着いた時にオープニングが始まっていた事があった。

・「やせる為にウーロン茶を飲んでいます」と発言してウーロン茶の売上が飛躍的に伸びた。

・全盛時代、月曜日は生放送が5本あった(「魔の月曜日」と呼んでいた)。

・全盛時代、レコードやグッズ全体の売り上げは月に300億円あったが月給は150万円だった。

・78年の年間シングル売り上げの1〜3位を独占。

 1位「UFO」155万枚、2位「サウスポー」146万枚、3位「モンスター」110万枚

・歌番組「夜のヒットスタジオ」で「モンスター」をセクシーな衣装で歌った時、

 踊りで未唯の衣装がズレてバストトップが出てしまいそうになっていた事があった。

・テレビ「第1回24時間テレビ」のパーソナリティー(=78年)。

・英語で歌ったシングル「Kiss In The Dark」がビルボードにランクイン(最高位37位=79年)。

 坂本九以来のビルボードランクイン。

・プロマイドの年間売上枚数1位(=79年)。

・全米ネットのテレビ「Pink Lady Show」にレギュラー出演(=80年)。

 最高視聴率22%、英語でのトークやコントに挑戦。

・シングル22枚の総売り上げ枚数は1100万枚、アルバム19枚の総売り上げ枚数は230万枚、

 カセット29種の総売り上げは約200億円。

・自転車から文房具まで約300種のキャラクター商品が発売された。

 解散した81年のキャラクター商品年間売り上げは120億円。

・9曲連続ヒットチャート1位記録は松田聖子に破られるまでの日本記録。

・ケイがスタッフから「恋愛を取るか仕事を取るか」と迫られて恋愛を選択した事が解散につながった。

・後楽園球場で解散コンサート(=81.03.31)。


■ピンク・レディー

 

□エピソードなど③

・期間限定で再結成、シングル「PINK EYED SOUL」をリリース(=96年)。

・紅白歌合戦にピンクレディーとして出場(=89年)。 

・ピンクレディーを2年間限定で再結成(=03〜05年)。

 新曲「テレビが来た日」をNHK「みんなのうた」で披露。

 22年ぶりの全国ツアーを行って100会場で40万人を動員。。

・「ミュージックフェア21」でモーニング娘。と共演してお互いの曲を歌った(=04.07.24放送分)。

・オカマのファンが多い。

・ライブでお客さんが全員総立ちで一緒に振付けで踊る。

 オカマのファン軍団は派手な衣装を暗転で着替える。

・デビュー30周年記念BOX「プラチナ・ボックス」に幻のデビュー曲「恋のレッスン」を収録(=06年)。

 「恋のレッスン」はアマチュア時代に東海地方で限定発売した曲。

・デビュー30周年記念で当時のオリジナルアルバムを初回限定の紙ジャケット仕様CDで復刻(=06年)。

・6回目の再結成に際して無期限活動継続を宣言(=10年)。

 どちらかが死ぬまで活動を続けるつもり(=10.12現在)。

凡例:20.01現在=2020年1月現在