松野明美

松野明美


■松野明美(まつの あけみ)

 

□肩書き

 陸上選手(長距離、マラソン)※95年引退

 

□本名

 松野明美

 

□生年

 1968(昭和43)04.27(牡牛座/A型)

 

□出身地

 熊本県熊本市

 

□出身校

 田原小学校

 植木町立鹿南中学校

 熊本県立鹿本高校卒業

 

□略歴(満年齢)

 88年(20歳)日本選手権優勝(10000m)。ソウル五輪出場。

 93年(25歳)世界選手権出場(マラソン、11位)。

 15年(47歳)熊本県議会議員。

 ※主な出演:

  ドラマ「スローダンス」「電車男」

  テレビ「ドキュメンタリ宣言」「徹子の部屋」

 

□趣味

 カラオケ 映画観賞

 

□サイズ

 147㎝


■松野明美

 

□幼少時代〜

・父親は農業兼トラック運転手。

・父親は陸上選手だった。

・7歳年上の姉、2歳年下の弟がいる。

 ※[3歳年下の弟]とする媒体もある

・祖父母は同居していた。

・子供の頃、内気な性格でいつも母親の後ろをついて歩いていた。

 外で遊ぶのは大嫌いだった。

・小学校低学年の頃、いじめられっ子だった。

・小学校時代、ナイチンゲールの伝記を読んで、

 将看護婦になりたいと思っていた。

・小5の時、町内マラソン大会で優勝して走る楽しさ事に目覚めた。

 ゴールした時に両親が涙を流して喜んで抱きかかえてくれた。

 翌日から近所を走るのが日課になった。

・マラソン大会優勝をきっかけに性格も明るくなった。

 学校で延々喋り続けて「スピーカー」というニックネームを付けられた。

・小学校の卒業文集に「大きくなったら陸上でオリンピックに出たい」と書いた。

・中学時代、陸上部がなかったのでバスケットバール部に所属。

 バスケ部の練習後の母親のバイク先導で往復8㎞を走った。

・高校は進学校。

・高校時代、陸上部。

・高3の時、インターハイ予選3000mでぶっちぎりでゴールインしたが、

 突風にあおられてインフィールドに踏み込んでいて失格になった。

・学生時代、陸上部の先輩とスケート場でデート。

 ※先輩から貰った応援ハチマキをその後長く取っておいていた


■松野明美

 

□私生活

・好物…ご汁。

・料理が好き。

・健康法…ジョギング(毎日90分)。

・掃除、整理整頓が大好き。

・倹約家。

 シャンプーやリンスを薄めて使う。

 電化製品は待機電力が勿体ないのでコンセントから抜く。

・住んでいる所…熊本県(05年落成、一軒家、敷地130坪、4LDK、

 敷地内にバリ風コテージがある、天然足湯温泉がある=08.05現在)。

・トレーニングを兼ねて片道10㎞を走って買物に行く。

・温泉が好き。

・几帳面な性格。

・私生活でもお喋り。

・カラオケが大好き。十八番は酒井法子「碧いうさぎ」。

・毎月親と一緒に温泉に行っていた。

・姉は身長170㎝。

・第1子を流産(=01年)。

・妊娠中に出産直前まで走っていた。

・長男の出産はきつい陣痛が24時間続いた大難産だった。

・次男は2歳の時に心臓の手術を受けた。

・次男はダウン症を患っている(=10.04現在)。

・子供のミルクにプロテインを入れて飲ませた。

・10代の頃、中国の陸上選手にいきなりプロポーズされた。

・20代前半の頃、「オリンピックが終わるまで待っている」と指輪を貰ったが、

 プロポーズだと気付かなかった。

・自分から積極的にアプローチして夫を口説いた。

・夫に二股をかけられていた(結婚前)。

・夫は10年在籍した会社を辞めて松野のマネージャーになった。

・夫に「浮気は絶対NG、合コン・キャバクラに行ったら別れる」と釘を刺してある。

 できれば他の女性とは会話もして欲しくない。

・浮気防止の為に夫の携帯や領収書を毎日チェックする。

・浮気防止の為にたくさん食べさせて夫を太らせた。

・夫が食事会や飲み会に行く時は1ヵ月以上前に申告して貰う。


■松野明美

 

□人間関係

・有森裕子…バルセロナ五輪マラソン代表の最後の1枠を争った。

 松野は落選、選考された有森は本番で銀メダル。

・島田直孝…鹿本高校陸上部の顧問。

・岡田正裕…ニコニコドー陸上部監督。

・唐沢寿明、ラサール石井…好きなタイプ。

・前田真治…高校の1年先輩。01.05.17入籍。

・子供:

 長男…輝仁(きらと)。02.10.21誕生。夫が出産に立ち会った。

 次男…健太郎。03.12.26誕生。


■松野明美

 

□エピソードなど①

・熱烈に勧誘されてニコニコドー陸上部に入った。

・ニコニコドーの時計と宝石の売り場で働いていた。

・ニコニコドー陸上部時代、2DKのアパートで4人で共同生活。

・ニコニコドー陸上部時代、通常練習以外に多くの自主練をこなした。

 早朝練習の前にこっそり起きてひとりでグラウンドを走った。

 寮から店舗までの10㎞を走って通勤。

 月2回の休日に帰省する時に往復50㎞を走った。

・ペース配分や駆け引きを一切考えず、

 スタートからゴールまで全力で走った。

 よくゴール後に倒れ込んだ。

 2位以下は最下位と同じ、と思っていた。

・風邪を引いて最悪の体調で出場した沖縄国体5000mで優勝(=87年)。

・第5回全日本実業団対抗女子駅伝で12人抜き(=87年)。

・ソウル五輪の10000m予選を9位で予選落ち(記録は日本新)。

 ゴール後に倒れて1位の選手に助け起こされた。

・バルセロナ国際女子駅伝に出場(=89年)。

・アジア大会10000m3位(=90年)。

・九州実業団駅伝で10㎞のロード記録(30分59秒=90年)。

・大阪国際女子マラソン2位(初マラソン=91年)。

・名古屋国際女子マラソン2位(=92年)。

・バルセロナ五輪のマラソン代表を求めて記者会見で「私を選んで下さい」とアピール。

・招待レースの商品で鳥取県の山を貰った。

・極度の貧血に陥って馬刺など食事療法を行った。

・心肺機能(酸素摂取量)が優れているので激しい運動でも脈拍が下がらない。

・いくら食べても練習で消費するエネルギーに追い付かず体重は30㎏少々。

・18歳から10年間生理がなかった。

・発言あれこれ:

 「長距離は気持ちが一番大切」

 「レースを発表の場として、倒れるまで走ります」

 「走るのは長い人生の中の何年間かだけ。だから好きじゃなくても打ち込める」


■松野明美

 

□エピソードなど②

・ニコニコドー陸上部のコーチに就任(=95年)。

・地元のテレビ番組にスポーツキャスターとして出演(=96年)。

・夫・前田真治、義父・前田敬治が「ダウンタウン7」に出演(=02年)。

・夫、長男が「メレンゲの気持ち」「情報ツウ」にVTR出演(=02年)。

・自宅を「情報ツウ」で公開(=02年)。

・自宅を「2時っチャオ」で公開(=08年5月23日放送分)。

・全国各地で講演。

・熊本刑務所篤志面接委員を務めた。

・熊本市議に初当選(=10年)。

凡例:20.01現在=2020年1月現在